§10

「……アレで、本当に良かったの?」

「あのまま逝かれちゃ、気分が悪いから……それだけです」

「素直じゃないねぇ」

「本音です」

 そう言いつつも、仄かに頬を染めているマグの横顔を見て、マーベルはニヤニヤと笑った。

「で、順調なワケ?」

「ええ、まぁ……包帯を取り替える時に、胸を触る元気があるんだから……もう心配は無いですよ」

 マグは皮肉を込めて、現状を報告した。

 あれから1ヵ月半、医者もさじを投げた程の重症患者であったにも拘らず、バッカスは順調な回復振りを見せた。内臓が無傷であり、栄養の摂取に支障がなかった事が彼にとっての最大の幸運と言えた。四肢の骨折と全身打撲で暫くの間は絶対安静を余儀なくされたが、マグが彼の体内に植え付けたヴァンパイアの体液によって、通常では考えられない程の速度で傷が癒えていき、今では彼女のぼやきの通り、悪戯が出来る程にまで回復していたのだ。しかし、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではなく、事故の直後は自力で水も飲めない状態だったので、マグが口移しで彼に水を飲ませた程であった。

(……まさか、あんなに必死になれるなんて……自分でも不思議に思う……)

 今、バッカスはまだベッドの上から動けない状態なので、彼の身の回りの世話や生活費の捻出などは、全てマグの手によって行われていた。これまで労働など体験した事の無い彼女は、最初は戸惑いを見せ、迷惑を掛けて回ったが、それもほんの僅かな期間で克服し、今では見事に周囲に馴染み、立派にコミュニケーションも取れるようになっていた。なお、彼女がヴァンパイアである事も既に周知の事実として知れ渡っていたが、無害どころか、逆に人助けまでしてしまう子が悪魔なんかであるはずが無い、むしろ天使であると言われ、すっかり街の人気者として定着していたのだった。

 また、バッカス本人もあの一件で汚名返上が叶ったようで、少なくとも店先で彼の名を出した途端に門前払い、という扱いはされなくなった。ただし、これはマグが彼の代理で色々と取り仕切っている所為もあるのだろう。女性陣には相変わらず敬遠されている様子であり、中には本気でマグの事を心配している者も居るぐらいだった。

「でも……いいの? これだと、主従関係はそのままだよ? 家に帰れないんだよ?」

「いいんです。他者の人生を無かった事にしてまで自分の不始末を有耶無耶にしたくはないし、それだと私自身、悔いが残ると思いますから。それに……」

「それに?」

「私の家は、もう……ここにありますから」

 照れ臭そうに、それでいて堂々と言い切ったマグの肩を、マーベルがポンポンと叩きながらニッコリ微笑んでいた。

「あ! か、勘違いしないで下さいね!? 彼を抹消してまで故郷に帰るわけには行かないっていうか、その……仕方なく……」

「分かってるよ、一生付き合う覚悟が出来た、って事でしょ?」

「むー! その言い方、間違ってないけど……納得したくないです」

「アハハハ……」

 仕方なくと言った割りには、顔は笑ってるよ……という一言を胸に仕舞って、マーベルは明るく笑みを漏らすのみであった。


**********


「おーい、嬢ちゃん。喉が乾いたぞー!」

「マグですよ、マ・グ! もぉ……いい加減、覚えてくださいよぉ」

「何? 名前で呼んで欲しいのか?」

「……バカ……」


 口ばかりの悪態をついて、拗ねて見せるマグ。だが、その表情には笑みが浮かんでいるのであった。


<了>

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心の鏡 県 裕樹 @yuuki_agata

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