第7話 再会、そして激突

「きゃぁっ!」


 炎に包まれながら未玖の上に落ちてくる大型バス。ゴール裏の観客席の最前列にいる未玖も、数十メートル先のフィールドの上からそれを見ていた拓矢も、これには最悪の事態を覚悟した。だがその時、横から凄まじい速さで低空飛行してきたもう一匹の巨大な怪獣が、未玖に激突する寸前となっていたバスを掻っさらうように前脚でキャッチし、そのまま二人の真上を通り過ぎて行ったのである。


「うわあっ!」


「きゃっ!」


 猛烈な突風が地上に巻き起こり、サッカーゴールが煽りを受けて倒壊、未玖と拓矢も危うく風で吹き飛ばされそうになる。疾風の如く飛来した赤いドラゴンのような怪獣は高度を上げ、燃えているバスを右手に掴んだまま、旋回してザデラムの周囲に大きく円を描くように飛び回った。


「えっ……ファルっ!?」


「ファルハードだ!」


 大空を見上げた未玖と拓矢にはすぐに分かった。頭に二本の長い角を生やし、尻尾には棘の生えた球形のスパイクを持ち、そして背中には二列の鰭が何枚も並んだ美しい赤色の竜。あの時とは大きさも逞しさも全く違うが、それでも二人が見間違えたりするはずはなかった。空の彼方、遠く道南の駒ヶ岳から駆けつけて間一髪で未玖を危機から救ったこの怪獣は、七年前に彼女たちの元から巣立って行ったあのファルハードだったのだ。


「ファルが……あんな姿に……!」


「あいつ、こんなに大きくなるなんて……」


 未玖と拓矢には知る由もないことだが、摩周岳の麓で最初に発掘された化石がそうだったように、アヴサロスという種族名を持つこの竜は本来は成体になっても体長二十メートルほどの大きさが平均である。だが食糧である熱を探し求めて駒ヶ岳に辿り着いたファルハードはその火口に巣を作り、七年間に渡って火山のマグマから大量のエネルギーを吸収して育った結果、通常の二倍の四十メートルという背丈を持つ大怪獣に異常成長していた。二匹目のモンスターの出現に人々がうろたえてパニックとなる中、未玖と拓矢は呆然とその場に立ち尽くし、驚異的な成長を遂げて帰って来たファルハードの姿に目を奪われている。


「私を、守ってくれた……?」


 二人が固唾を呑んで見つめる中、大地を揺らしてスタジアムとザデラムの間に立ち塞がるように着地したファルハードは、空中に制止したままこちらをじっと窺っているザデラムを睨むと、まるで勝負を挑むかのように手に持っていたバスを投げつけた。ザデラムは飛んで来たバスを左手の鋏で叩き落とし、地面に激突させて大破させる。


「まさか、戦うつもりなのか」


 ファルハードはアンキロサウルスのようなスパイクのついた尻尾を持ち上げ、ザデラムに向かって威嚇するように咆えながら牙を剥いた。その間に未玖はスタンドの柵を乗り越えてフィールドに下り、突風で倒れたゴールの前に立っている拓矢の元へ駆け寄る。


「拓矢、ファルが……!」


「ああ。あいつ、俺たちを守るために戻って来てくれたんだ」


 未玖と拓矢を襲われて怒ったファルハードは、幼い頃には決して二人に見せなかった獰猛な敵意をザデラムに向けながら恐ろしげな咆哮を発している。一方、泥で造られた巨大なゴーレムであるザデラムには表情の変化というものがなく、その奇怪な蟲のような顔はまるでロボットの如く無機質なままだった。舟のオールを思わせる無数の脚を動かして空中でホバリングしながら、ザデラムは発光する六つの目でファルハードを冷たく見据えている。


 不意に、ぶらぶらと揺れ動いていたザデラムの長いふん が動きを止め、その先端にある花弁はなびら のような口が開かれた。そして次の瞬間、その口の中から、紫色のレーザービームが勢いよく渦を巻いて撃ち出されたのである。


「危ない!」


「ファルっ!」


 ビームの射線上にはスタジアムがあるため、もしファルハードがビームを避ければその後ろにいる未玖や拓矢、そしてまだ避難できずに残っている大勢の観客たちの命はない。だがファルハードはそれを分かっているかのように一歩も動かず、飛んで来た強力なビームを胸でまともに受け止めた。光線が炸裂し、ファルハードの皮膚の上に爆発が起こる。


「大丈夫だ。未玖。あいつ、ビクともしてない」


「えっ……?」


 思わず拓矢に抱きついて顔を伏せた未玖だったが、ファルハードはビームの直撃に耐えて踏みとどまり、白煙を噴き上げる体を揺すりながら低い声で唸っている。攻撃が効果無しと分かっても、ザデラムは驚きや動揺などの反応を全く見せることなく、冷然と空中に制止しながら両手の鋏と脚を規則的に動かし続けていた。


「また来るぞ!」


 ザデラムの口が再び開き、紫色の光線の第二波が発射される。さしものファルハードも何発も続けて喰らえば無事では済まないだろうと未玖と拓矢は危惧したが、ファルハードは後ろにのけ反って大きく息を吸い込むと、口から真っ赤なビーム状の炎を噴射して撃ち返した。ザデラムの破壊光線とファルハードの火炎熱線が正面衝突し、凄まじい爆発が起こって大気を震撼させる。


「凄い……ファルが、こんな……」


 ファルハードが吐いた熱線はザデラムの光線を押し返し、到達した超高熱のブレスを受けてザデラムは数百メートルも後ろへ吹っ飛ばされた。ビルディングに叩きつけられ、建物を崩壊させながら墜落したザデラムは降ってきた瓦礫の山に埋もれて下敷きとなる。恐ろしい魔物のようなザデラムをあの小さく可愛かったファルハードが猛烈な火力で圧倒しているという眼前の光景に、未玖と拓矢は信じられないという心境で息を呑んでいた。


「あっ、お父さんから電話だわ!」


 一瞬時が止まったかのような静寂の中、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが鳴っているのにようやく気づいた未玖は慌てて画面をタップして電話に出る。未玖がスマートフォンを耳に当てると、数ヶ月ぶりに聞く父親の声が響いてきた。


「未玖か。今どこにいる? 怪獣が出ただろう。大丈夫か?」


「お父さん! 今、怪獣のすぐ傍にいるわ。ちょうどスタジアムでサッカーを観てたの。でも大丈夫よ。心配しないで」


「今すぐ迎えに行くよ。とにかく、早くスタジアムの外に出て安全な場所で待っていてくれ」


「今すぐって……お父さん、もしかして帰って来てるの!?」


 普段は考古学者としての仕事で世界中を忙しく飛び回っている父の宏信が、今はすぐ近くにいるというのか。びっくりした未玖がそれを訊こうとしている間に、電話は切れてしまった。


「ファルの奴、止めを刺すつもりだ」


 スマートフォンを耳から離した未玖は、緊迫感をはらんだ拓矢の声を聞いて怪獣たちの方に視線を戻す。勝ち誇ったように大きく遠吠えをしたファルハードは、墜落して建物の残骸に埋まったまま動かずにいるザデラムに向かってゆっくりと前進を開始した。ところが、ファルハードが至近距離まで近づいてきたその時、ザデラムは自分の上に山積みになっていた瓦礫を吹き飛ばしてまるでロケットのように急発進し、突然ファルハードの腹に強烈な体当たりを浴びせたのである。


「ファルっ!」


 頭突きによる奇襲を見舞ったザデラムは、両手についた鋏でファルハードの左右の手首を挟んでそのまま組みついた。赤い鱗で覆われたファルハードの皮膚に鋏が喰い込み、傷口から緑色の血がどくどくと流れ出す。激痛に、ファルハードは甲高い悲鳴のような声を上げてもがいた。


「嫌ぁっ! ファルっ!」


「頑張れ! ファルハード!」


 ファルハードの両手からあふれ出た血を見て、思わずパニックを起こして目を覆う未玖。だが拓矢の声援に応えるかのように、痛みに耐えたファルハードは頭突きの要領で首を大きく前へ振り、頭に生えたトリケラトプスのような長い二本の角をザデラムの脳天に突き刺して必死に反撃した。角の刺突を受けたザデラムの頭部から火花が散り、敵の腕を掴んだまま浮いているその巨体が上からの衝撃に揺れる。


 一突き、二突き、三突き。続けざまに頭の角を振り下ろして、ファルハードはザデラムの額を滅多刺しにする。たまらずザデラムは鋏を開いてファルハードの手を離し、後ろへ滑空して退避した。間合いが開いたところにファルハードはすかさず追撃の熱線を放ち、後退するザデラムを紅蓮の炎に包んで撃ち落とす。


「ファル……」


 両手に深々と走った裂傷を物ともせず血を流しながら咆え猛るファルハードの姿に、未玖も拓矢も圧倒されるものを感じずにはいられなかった。ロギエルが地球侵略の尖兵として獅子座の星から連れて来たアヴサロスは、神に楯突く超古代の反逆者たちを恐怖に陥れた強大な宇宙怪獣である。まるで子犬のように可愛らしく二人に甘えていたあの小さなファルハードは、元来はこれほどまでに強くてタフで勇猛な生物だったのだ。


「ファルの勝ちみたいだな。良かった!」


 背中から煙を噴き上げ、ふらふらとした軌道を描いて墜落したザデラムは地上に建っていた大きな倉庫に激突し、爆発を起こして燃え上がる。空気を漕いでザデラムの体を浮き上がらせていたオールのような無数の脚は全て動きを停止し、紫色に輝いていた六つの目からは、まるで蛍光灯のスイッチを切ったかのように光が消えた。


「死んだのかしら」


 今度こそ勝負ありか。迂闊に近づいて不意打ちを浴びてしまった先ほどの失敗から学習したファルハードは爆炎に包まれたザデラムの様子を遠くからしばらくじっと観察して警戒していたが、それでも相手がぴくりとも動かないのを見ると、やがて巨体をゆっくりと反転させて未玖と拓矢の方へ振り返った。二大怪獣が激闘を繰り広げている隙に他の観客や選手たちは外へ避難しており、閑散としたライジングスタジアムには今は二人だけが残っている。


「ファル……私よ! 分かる?」


 未玖が恐る恐る呼びかけると、ファルハードは彼女の声に反応して嬉しそうに鳴き、二人の元へ近づいてくる。その目には既に先ほどまでの激しい闘争心はなく、飼い主を慕って懐いていた子供の頃のようなあの柔らかさが戻っているのが未玖と拓矢には読み取れた。


「やっぱりファルはファルだな。ちゃんと俺たちのこと、覚えててくれてるみたいだ」


「うん。だからこそ来てくれたんだもんね。ファル! 助けてくれてありがとう!」


 例えどんなに巨大で強い怪獣になっても、怖がる必要は何もない。安堵した未玖が笑顔を浮かべ、助けてくれた礼を言いながら手を振ったその時、突如として背後から飛んで来た青い稲妻がファルハードの右肩を掠めて二人の真上を通過した。


「きゃっ!?」


 未玖と拓矢が驚き、稲妻に肩の鱗を焼かれて負傷したファルハードが怒りの唸り声と共に素早く後ろへ向き直る。鋏から稲妻を放ったザデラムが燃え盛る炎の中から浮上し、紫色の瞳を再び妖しく発光させながら、氷のように冷たい六つの視線をファルハードに向けていた。


「まだやるつもりか。しぶといな」


 そう言って奥歯を噛む拓矢だったが、ここまでの戦いを見る限りファルハードの優位は明らかで、ザデラムがどんなに悪あがきを続けようが勝負の行方はもはや見えてしまっているように思える。ファルハードは再度ブレスを発射しようと構えたが、次の瞬間、宙に浮いていたザデラムの身に異変が起こった。


「見て! 体が溶けていくわ……!」


 土の焼き物のように硬質だったザデラムの体の腹部から尻尾にかけての部分が溶解し、柔らかい泥と化して、重力に引かれながら地面に向かってゆっくりと垂れ下がってゆく。やがて地上に接地したその泥は太い二本の脚と長い尾を形成し、ティラノサウルスのようなどっしりとした二足歩行型の下半身となって再び固まった。腕のように伸びていた前脚の先端も同じように溶けて変形し、蟹のようだった鋏はカマキリのものに似た鋭い大鎌へと造り替えられる。泥で造られたゴーレムであるザデラムは、魔力によって体の一部をドロドロに軟化させて再構成し、飛行能力に主眼を置いた第一形態から地上戦に適した第二形態へと変身したのである。


「何なんだよ。あの化け物は……!」


 拓矢と未玖が慄く中、オパビニアを恐竜と融合させたような不気味な巨獣と化したザデラムは、三本の鋭い鉤爪が生えた左右の足で地面を踏み締めながら、両手の鎌を振りかざしてファルハードに猛然と突進していった。

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