第8話 受け継がれし力

 自らの体を溶かして肉食恐竜のような下半身を作り出し、地上に降り立ったザデラムは、金属音に似た高い奇怪な声を発しながら地響きを上げて猛進しファルハードに襲いかかった。


「まずいぞ。あの怪物、さっきまでよりパワーが増してるみたいだ」


 スタジアムの外へ避難した未玖と拓矢は、広い国道に沿った歩道の上を走って遠くへ逃げながら、後ろを振り返ってファルハードの苦戦に焦りを募らせる。高速飛行のための身軽さを捨て、重量感と安定性のある下半身を持った第二形態のザデラムは格闘能力を格段に向上させ、同じ体型のファルハードとも互角かそれ以上の肉弾戦を展開できるようになっていた。


「要するにあいつ、まだ本気じゃなかったってことかよ……!」


 巨体をぶつけ合い、激しく殴り合うファルハードとザデラム。鋭い鎌の形状をしたザデラムの前脚は、ただのパンチしか繰り出せないファルハードのそれとは違って抜群の切れ味を持つ刃物となっている。ザデラムの右手の鎌で胸を斬りつけられ、続けざまにもう片方の鎌で肩を刺されて、ファルハードは痛ましい叫び声を上げた。


「頑張って! ファル!」


 ファルハードは素早く体を捻って長い尻尾を大きく振るい、その先端についた棘の生えている硬い骨の塊でザデラムの脇腹を殴りつけた。棘が突き刺さって火花を散らし、ぶつけられた重い骨製のボールが魔力によって固まったゴーレムの頑丈な土のボディを傷つける。だがザデラムも左手の鎌で尻尾の二撃目を受け止め、そのまま斬り払ってファルハードを怯ませた。体勢を崩しかけながらも、再びザデラムに向き直ったファルハードは至近距離から火炎を放ち、超高熱の吐息を浴びせて敵を吹き飛ばす。


「いいぞ。行けっ!」


 区役所の大きな建物の前で立ち止まった二人は、ファルハードの必殺の一撃が見事に炸裂したのを見て歓喜した。ファルハードが口から吐くマグマのような熱線は、第二形態となったザデラムにも相変わらず有効である。しかし吹っ飛ばされたザデラムは横倒しの姿勢のまま右手の鎌を青く発光させ、そのまま勢いよく前方に振り下ろして目の前の空気を斬る仕草をした。鎌を離れた青色の光はファルハード目掛けて飛んでゆき、その胸に突き刺さって爆裂する。


「ファルっ!」


 光の刃が刺さったファルハードの胸に傷ができ、そこから血が滴り落ちる。間髪入れず、もう一発の光刃を左手から撃ち出すザデラム。自分の顔面を狙って飛んで来たその鋭利な鎌状のビームを咄嗟にかわそうとしたファルハードだったが、完全には避け切れずにかえって最悪のダメージを負うことになった。光刃は顔の位置をずらしたファルハードの首筋を掠め、頸動脈を切って傷口から血を噴水のように勢いよく噴き出させたのだ。


「うわぁっ……! むごい……」


「もう駄目だわ! 早く逃げて! ファル!」


 凄惨な光景に拓矢が思わず目を覆い、未玖は必死に戦いをやめて逃げるようファルハードに訴える。首から大量出血したファルハードは悲鳴を上げ、巨体でデパートの建物を押し潰して地面に倒れ込んだ。むくりと起き上がったザデラムはファルハードに接近し、上から覆い被さるようにして組み伏せる。


「ファルっ! どうしよう拓矢! ファルが殺されちゃう!」


「落ち着けよ未玖。そんな、どうしようって言われても……!」


 ザデラムが地上戦用の第二形態となったことで、形勢は完全に逆転した。もはや勝敗は明らかで、このままではファルハードはザデラムに止めを刺されて死んでしまう。未玖と拓矢が焦って取り乱しそうになったその時、国道を猛スピードで走る一台の車がこちらに近づいてきた。


「未玖! 良かった。無事だったか」


「お父さん!」


 急ブレーキをかけて停まった車の助手席から父の宏信が下りてきたので、未玖は驚いて駆け寄る。数年ぶりに会った娘の無事を確認して、安堵した宏信は思わず未玖を抱き締めた。


「時間がありません。先生。早速やってみましょう」


 運転席から下りたアミードが未玖たちにも分かる日本語でそう促すと、宏信は胸に抱き寄せていた未玖の体を離してうなずいた。


「ああ。そうしよう。……未玖、父さんの言うことを落ち着いてよく聞いてくれ。お前には、あのザデラムという怪物をコントロールできる特別な力があるんだ」


「えっ? わ、私に……?」


 未玖が戸惑っている間に、アミードは車の後部座席のドアを開けて黒い直方体のケースを取り出し、道路のアスファルトの上に置いた。ケースを開くと、中には錆びついた太い刃を持つ大きな銅剣が入っている。


「あの怪物は超古代の人間が造り出した言わば戦闘ロボットみたいなものでね。大昔の魔術師の血を引くお前なら、この銅剣を使って言うことを聞かせることができるんだ。父さんはずっと、それについて研究してきたんだよ。もう何年もね」


「そんな……私が、これを……?」


 突拍子もない話を急に聞かされて思考がついて行けない未玖だったが、そうしている間にもファルハードはザデラムの鎌で刺されて痛めつけられ、体中から流血して苦しんでいる。重傷を負い、仰向けに倒れたままダウンして動けなくなったファルハードの首を、ザデラムは象の鼻のような長い突起で絞めてそのまま体を持ち上げた。


「未玖! ファルがもうやられるぞ!」


 切羽詰まった声でそう叫んだ拓矢は、とにかく言われた通りにやってみるしかないと未玖に目で訴えた。早くしなければファルハードは死んでしまうのだ。首を絞められ、口から白い泡を吹きながら苦しんでいるファルハードを見て未玖は意を決し、拓矢の目を真っ直ぐに見つめ返してうなずいた。


「分かったわ。お父さん。私、やってみる。やり方を教えて!」


「ああ。頼むよ。この剣を持って、精神を集中させてとにかく念じるんだ。テレパシーを送るようにね。そうすればお前の考えた通りに、あのザデラムは動いてくれるはずだ」


 宏信は道路の上に置かれていたケースから銅剣を取り出し、未玖に持たせる。未玖は両手で剣の柄を握り、剣先を地面に突き立ててザデラムに向かって祈るように念じた。今すぐ戦いをやめ、動きを止めるようにと。


(お願い。言うことを聞いて! ファルを殺さないで!)


 凄まじい圧力でファルハードの首を締め上げ、骨ごと押し潰してへし折ろうとしていたザデラムは、剣を通じて発信された未玖の心の声を聞いて急に動きを止め、力を抜いてファルハードを離した。もはや窒息寸前となっていたファルハードは力尽きたように倒れ、仰向けになって体を震わせながら苦しげに呻く。


「やった! ザデラムが未玖の命令を聞いたぞ」


「成功ですね。やはりラーティブ社長の思っていた通りでした」


 宏信とアミードが手を叩いて喜んでいるその横で、未玖と拓矢は自分たちを守るために戦ってボロボロに叩きのめされてしまったファルハードを心配する。地面に身を沈めたまましばらく動けずにいたファルハードは、やがてふらふらとした足で立ち上がり、翼で羽ばたいて空の彼方へ飛び去って行った。


「何とか大丈夫みたいだな。ファルが死ななくて良かった……」


「でも、これからどうすればいいの? お父さん」


 首尾良くザデラムの動きを停止させることができた未玖は、次の指示を父親に求めた。街に襲来したこの巨大なモンスターをどのように処理すればいいかは、宏信もすぐには判断できずに考え込む。


「そうだな。当然このままにしておくわけにも行かないが……」


「最初の飛行形態に戻して、海の上に誘導しましょう。社長からはそうするように言われています」


 アミードがそう答えたので、宏信もそれに同意してうなずいた。未玖が念じると、ザデラムの下半身は再び溶け出して泥となり、胴体に吸収されながら角度を変えて地面と平行に後ろへと伸びてゆく。

 第一形態の姿に戻ったザデラムは、未玖が頭にイメージした動きに従って西の方角へ飛んで行き、マッハ五の速度でたちまち増毛ましけ 山地を越えて石狩湾の海上に出た。


「素晴らしい……。お嬢様の力は見事ですよ。ミスター柴崎。テストは大成功です」


「テスト……? そういう言い方はどうかな」


 未玖が本当にザデラムをコントロールできるかどうかは確かに未知数だったが、宏信としては旭川の人々の命を守るためにその可能性に賭けたのであって、決して自分の研究成果が正しいかどうかを実証したくて実験をしたわけではない。語弊のある表現に感じた宏信が顔をしかめると、アミードは謝るようにかぶりを振ってから言った。


「とにかく、早くここから去りましょう。お父様とご一緒にご自宅までお送りします。未玖お嬢様」


「ええ。ありがとうございます」


 銅剣をケースに仕舞ったアミードは車のドアを開け、まるで召し使いのような丁寧な所作で未玖に乗車を促した。


「君はどうする? 一緒に乗って行かないかい」


 一人だけその場に置き去りにされそうな流れになってしまった拓矢に、宏信が気づいて声をかける。それを聞いて、アミードはわずかに表情を歪めて嫌がるような素振りを見せた。自分をわざと疎外しているような彼の態度に、拓矢は不快感を覚えてむっとする。


「いえ、俺はチームの皆と行動した方がいいと思うので……」


 近くに避難しているはずのライザーレの選手やスタッフたちに早く無事を知らせて合流しなければ、彼らに心配をかけてしまうことになるだろう。そう理由を述べて拓矢が固辞すると、未玖と宏信は少し残念そうにうなずいた。


「そうか。それじゃあ、気をつけてな」


「じゃあね拓矢。家に帰れたら電話ちょうだい」


 そう言って車に乗り込んだ未玖は、銅剣を入れた大きなケースに占拠されてしまっている後部座席のシートの隙間に腰を下ろして窓から小さく手を振る。走り去る車を見送った拓矢は、心のどこかで何か嫌な予感がしているのをぼんやりと知覚していたが、それを声に出すことはできなかった。

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