第3話 綺麗な月夜の舞台で幕引きを


「いや〜!俺は今世界一幸せ者だーー!!」


 夕飯で出てきた、おばさんと香織の手作りハンバーグを食べ終え、今はニ人ともシャワーを浴び終えた後。時刻はもう遅い。

 何故この時間にまだ柊がいるのかというと…


 家に帰りづらいと言う柊のために、おばさんが泊まっても良いよと神のひと声に飛びついたのだ。

 その流れで、香織もおばさんの部屋で泊まる事になり、今隣で大喜びしているさなかである。


「何をそんな喜んでんだよ」


 タオルで頭をガシガシ拭きながら、何故か腕を広げ天を仰いでいる柊に言う。


「そんなの決まってんだろ!一つ屋根の下で香織さんが一緒に寝ておられるのだぞ!!」


 凄い形相で睨んでくるのを軽くあしらいながら、湊は脱いだ制服を壁に掛け始める。


「ああ!本当はこんなむさ苦しい男の部屋で寝ないで、香織さんのとこで寝たかった…!!」


「寝言は寝てから言えよ変態野郎。こっちはお前を追い出したっていいんだからな」


「湯冷めさせる気か!」


「それが嫌なら文句言うな」


 シワにならぬよう、服をポンポン叩きながらハンガーに掛けていると、ふと御守りが入っているポケットに膨らみが無い事に湊は気づく。


「あれ…どこいった」


「どした〜、なんか無くした?」


「御守りが無いんだよ」


 違うポケットに入れてしまったのか。

 鞄の中まで探すが何処にも入っていなかった。


「路地裏の鳥居潜った後どうしたんだよ」


「その時は手に持ちながら階段上がって……まさか…」


 記憶を辿ると、ひとつ思い当たる節があった。

 それは祠での出来事。


 あそこで体が固まったとき、何かが足もとに当たり、動けるようになった…

 あの時、当たったものはもしかしたら、


「御守り………」


 勝手に言葉が零れ落ちた。

 そして急いで外に出ようとすると、


「おい湊!んな慌ててどこ行くんだよ!しょんべんでも漏れんのか!?」


「もしかしたらあそこで落としたのかも!今から取りに行って…」


「馬鹿か!もう夜遅いんだぞ!!危ないから明日にしろよ!」


「で、でもあれは」


「んな心配なら明日朝早く起きて、学校行く前に一緒に探しに行こう!!」


「うぅ…」


 飛び出そうとする湊の前に立ち塞がり柊は説得する。

 確かに今から向かうには少し離れた場所だったし、何よりあの路地裏は日が出てても建物が影になっており暗かった。夜あそこに行っても、見つかるもんも見つからないであろう。


 湊は渋々柊の提案を受け入れた。


「分かった。そうするよ」


「よっし。そうと決まれば明日に備えてもう寝るぞ!」


 床に敷いたお泊まり用の布団に潜り、柊は寝始める。それを見届け、湊も電気を消してベットに入る。

 暫く天井を見上げながら、御守りが無事であるように願い、目を閉じる。


 暗闇の中、秒針が静かに時を刻む音を聞いているうちに、いつの間にか二人は眠りについたのであった。




---------------




こぽり…こぽり…


 耳に届くは何の音か。


 指先ひとつ動かない。

 まるで鉛のような重い体はどんどんと底に沈んでいく。




 いったいどこまで沈むのだろうか…





 いったいいつまでここにいなくてはいけないのか…





《----》


 ふわり、と――

 頬に触れるか触れないかの感触を感じ、閉じていた目を開ける。


《---》


 開いた先に、黒く、長い髪の女性が湊に向かって何か囁いているようだった。


「が、…ッ!?」


ゴボッ


 何と言っているのか、聞こうと口を開けば空気が溢れる。


(ここ…まさか水の中か!!)


 気づいた途端に息が苦しくなり、仄暗い水の中ではどちらが上か下かも分からなかったが、必死にもがこうとする――しかしそれを目の前の女性が許さず、触れていただけの指先を、今度は固定するかのように湊の顔を両手で包み込んできたではないか。


 離せ、と女性を睨むが、長い髪が水中で舞っており、どうしても口から上が隠れて見えなかった。


《------!》


(……え――)



 ゴボゴボゴボッ


 音を立てて下から迫り来る大量の泡が、湊と女性を包み込む。目を強く瞑ってしまい、泡の音だけが耳に響く。

 だんだんと意識も薄れていき、上がってくる泡に逆らって体がまた沈む。


 徐々に音もくぐもり、完全に意識を無くす――






《お願い…探して》







---------------



「ッ!!」


 カッ!と目が開き、ハァ…ハァ…と荒い呼吸をする。

 ある程度息が整い、仰向けのまま頭だけ横に向けて辺りを確認する。


 薄暗いが見知った部屋の内装と、下で熟睡している柊を見て、今迄のは夢だと漸く安堵する。


 汗がすごく、パジャマが肌に張り付いて気持ち悪い。体を起こし、ベットの縁に腰掛けて気持ちを落ち着かせる。

 手元にあった携帯で時刻を確認すると、深夜2時15分と、結構な時間に目が覚めたものだ。

 もう一度寝るにも張り付いたパジャマが気になる。

 

 柊を起こさないようにクローゼットから、最近買ったばかりの黒色の迷彩柄ハイネックパーカーに、同じく黒色のズボンを着る。


(顔はよく見えなかったけど、なんか必死そうだったな)


 先程の夢を思い出し、何故あんなに訴えかけていたのか、ピンとくるものがない。


(それに目が覚める直前に聞こえた言葉も……)



--《お願い…探して》--


 探して。いったい何を。

 何故覚えもないあの女性が出てきたのかも不思議だ。


(もういいや、はやく寝よう。明日になったら忘れるだろうし)


 服を着替え終え、ベットに戻ろうと足を一歩前へ出したとき――


カタン…


 微かにベットの下から物音がした。


(何かいんのか?ゴキブリ…は流石にない…よ、な?)


 携帯のライト機能でベットの下を照らす。すると隠していた木箱の南京錠が少し揺れているのが確認できた。


(地震でも風でもないのになんで揺れてるんだ?)


 不思議に思い、木箱を手に取る。

 揺れる南京錠に触れても特に変わったとこは無い。


 頭を掲げていると、突如耳元で夢に出てきた女性の声が響く。


《探して。今すぐに――》


 その言葉を聞いた瞬間、湊の心臓がドクンと脈打ち、思考に靄がかかる。ドクドクの鳴り続ける心臓に合わせるかのように焦りだし、


「そうだ……はやく…さがさないと――あの方の為に」


 そう言うと湊は木箱を大事に抱え、ある場所へ向かう為に玄関先まで歩いていく。


 おばさんも香織も一階で寝ているので、静かに階段を下り靴を履く。

 ゆっくりとドアを開けて閉め、鍵を掛ける。


 寒い夜風に震えながら、湊は真っ直ぐ歩きだす。


「待ってて…すぐ返すから」


 誰かに言うかのようにぶつぶつ呟き、湊は進む。

 そして辿り着いたそこは柊と行ったあの路地裏だった。

 

 本当は柊と朝一緒に行く予定だったが、どんどん先へと進む。

 建物の裏側に着くと、やはりあの小さな鳥居が見える。


「あった」


 湊は鳥居の近くにあの御守りが落ちているのに気づき、屈んで拾う。すると靄がかかっていた頭がはれ、自分が今いる場所に驚く。


「え…なんでここに…てか何で箱も持ってきてるんだ?」


 先程まで早くここに行かなければと焦っていた思考と、持ってきた木箱に疑問をもつ。

 一人では来たくなかった…しかも夜中に。嫌でも祠の出来事が頭の中で再生されてしまうではないか。


 少しでも恐怖を紛らす為、拾った御守りを木箱を持つ手で握り締める湊。


(大丈夫。ここに幽霊なんていない)


 ガタガタと震える体に喝を入れ、俯いていた顔を上げる。鳥居の先から視線を感じるが、それはきっと湊の恐怖からそう感じさせているだけだ。と乾いた唾を飲み込む。


 暗闇に目が慣れ始めると、湊はある事に気づいた。


 それは――


(階段が…ない?)


 視線の先は鳥居の向こう側。

 放課後訪れたときは確かに階段があり、祠まで繋がっていた筈だ。


 それがどうだろう…今は階段が無いどころか、鳥居のすぐ裏側はコンクリートの壁があり、どう見てもその先へ通れないのである。


(どうなってんだ?違う路地…なわけもないし)


 建物の裏に鳥居があるなんて、そう多くあってたまるかとすぐさまつっこむ。 

 壁を押してもびくともしないし、手にはゴツゴツとした感触が伝わるので夢でもない…


 なんて、


 そんな事をせずに、すぐにでもここから立ち去れば良いものを…。

 触れる壁の亀裂から、黒くドロッとした液体が滲み出てきた時にはもう遅かった。


「うわっ!!?」


 液体が垂れ、湊は手にあたる前になんとか引っ込め、間一髪で避ける。


 しかしそれは止まる事なく大きく、勢いよく出てきた。



べチャリ、べチャリ


 壁から出てきた液体が一つに固まりだし、いつの間にか見上げるほどの大きさに成る。


「ア…ヒュッ…」


 得体の知れない"ソレ"に、湊の口からは恐怖と混乱で苦しい空気の音が漏れてしまう。


 "ソレ"のシルエットは人に近い。が、全身黒く影みたいで、身長3、4mの高さに比べ、腕と足と思われる部分は細長い。

 大きい手の指も細く長く、とても鋭い。あんなのに引っ掻かれたら人間の胴体なんて真っ二つだろう…


 出てきてから特に動く気配の無い大きい影の様な化け物は頭が垂れており、顔はよく見えない。

 そんな中、先に動いたのは湊だった。


 やっと我にかえり、すぐに逃げないとと足が路地の出口へと動きだす。


(やばい…。やばいやばいヤバいヤバいヤバいヤバイヤバイ!!)


 全身から脂汗が吹き出る。

 

 湊は"ソレ"と似たモノを見た事がある…

 そう、それは夕飯前に柊と話していた、


"両親を殺した奴"と。


(でも大きさや形が違う!!それにこんな恐怖を感じたのも初めてだ!!!!)


 後ろを振り返らず全速力で路地裏を走る。

 角を曲がり、あと少しで歩道に出れる!--そう思っていた湊の目の前に、新たな絶望が襲うのであった。


「なんだよ…これっ!?」


 そう叫んだ先は、本来なら路地の出口の筈だった場所が壁で行き止まりになっていた。


 …いや、ただの壁ではない。何故なら無数の手が生えていたのだ。

 手は大人や子供の大きさとバラバラで、どれも湊を掴もうと手を伸ばしている。


 下手に近づくのは危険だ。しかし後ろには先程の化け物がいる為、いつまでもここにいるのも危険。


 どうしたら…。焦る湊の耳に追い打ちをかけるかの如く、不吉な、素足でペタペタと歩く様な音が後ろの曲がり角の先から聞こえた。


 ゆっくりと振り返る。


 ペタリ、と角からあの鋭く大きな指が覗くと、ゆっくりと頭からその本体が現れ、先程まだ俯いていて見えなかった化け物の顔が露わになる。

 しかしそこには何も無かった。目も鼻も口も…。ただ虚無の顔だけがそこにあった。


(ま、まず――)


 ゆっくり、ゆっくりと。化け物の顔が湊へと向いた……瞬間――


 何も無かった顔全体に亀裂が縦に入り、グバァッと割れ、中から大きな眼がギョロリと湊を映す。


《アアぁ゛ァアあアア゛あッーーーー!!!》


 湊と目が合うや否や、地を這うような低く悍ましい声を上げ、先程までのゆったりした動作が嘘のように速く、狭い路地をガンガンと進みだして湊へと腕を振り上げた。



 あぁ、建物の間からはとても綺麗な三日月が町を見下ろしている。こんな夜は音楽を流し、都会の町じゃあまり見えない星を眺めるのが気持ちいいであろう。


 それなのにこんな事態になると誰が思うたか…

 

 綺麗な三日月が化け物の手で隠れると、今度は勢い良く湊へと振り下ろされる。




死ぬ――


「ッ!!」


 逃げ場など無い。こんな時なのに、悲鳴も涙も出ない湊はただただ顔の前に持っていた木箱でガードすることしか出来ない。


 目をぎゅっと瞑り、来る衝撃に備えていたら、なんとその衝撃は湊の頭上を通り過ぎていき、後ろの手が生えた壁にぶち当たる音が響いた。何本かの腕は無様に潰されたであろう…。

 閉じていた目を恐る恐る開くと、何故避けてしまったのか本人も分からず、心なしか挙動不審な化け物がいた。


(な、なんなんだ…)


 一度死を覚悟した心は狂い、妙に冷静につっこんでしまう。

 その時手元から微かにカタッと音がし、もしかしたら化け物が避けた原因はこの、


「木箱のおかげ…?」


 化け物は己の行動に未だ理解できず怒りが湧き、今度は眼玉が割れ、そこから生えた鋭い歯が木箱を見ている湊の頭を噛みちぎろうと襲いかかる。


 無防備なその頭。今度こそ湊はこの世とおさらばになるであろう…歯が湊に触れようとした。


 その時――




――化け物の頭上から、三日月を背に乗せ、構えた刀が月光に照らされ白く輝く。


 その人物は建物から舞い降り、湊に襲いかかる化け物の顔を綺麗に半分切り落とし、湊の前へ着地する。少し遅れて切り落とした顔半分もベシャリとずり落ちてきた。


《ガッ!ギ、ガァ!!》


 口が半分になった事で、上手く発せれない残った顔半分へと手を持っていき呻く化け物を気にせず、いきなり現れた人物は湊を見つめてきた。上から下、まるでどこか怪我していないか確認しているようであった。


 その人物の服装は全体的に白く、豪華な装飾がある袴の様な出立ち。紅い紐で留めてある羽織りにはフードが付いており、それを深く被っている。

 顔を見るにも、紅色で描かれた眼の模様が入った布面のせいで隠れてしまっている。


 そして何より背が高い。

 身長172cmの湊より頭二つか三つ分くらい高く、2mは故に超えている。


 何者なのか、そもそも何故あの高さから落ちてきたのに無傷でいられるのか…疑問は色々あるが、化け物から助けてもらったのに変わりはない。


「あ、あのっ!」


 湊は言葉を言いかけたが、白い人はそれを無視して刀を構え直すと、一直線に化け物へと駆けだす。

 それに気づいた化け物も、向かってくる白い人の両側から押し潰すかのように手が迫る。


バチィイン!!


と、凄まじい響きと共に手が合わさる――その手前で白い人は上へ飛んでその攻撃を避けると、そのまま化け物の手に乗り、腕、肩へと駆けていき、刀を化け物の首へ滑り込ませる。


《ア、ぁ?》


 流れるようなその動きに化け物はついていけず、訳もわからないまま首を落とされてしまった。


 首は地面に着くと、液体のように弾け散り、霧みたいな煙と共に跡形も無く消え去っていった…。

 残された胴体も徐々に煙が立ち始め、消えていくその中から、刀を鞘に納めながら湊の前に立つ白い人。


 現実離れした出来事が立て続けに起きた為、頭の処理が置いてけぼりになった湊は、白い人を見上げることしか出来なかった。


「…怪我はないか?」


 向き合って数秒、唐突に凛とした女性の声が、白い人の布面越しから聞こえた。

 ずっとこんがらがっていた頭に、その声で一気に真っ白になり、つい素っ頓狂な声が出てしまう。


「へぁ!?ない、です……!!助かりました…」


「そう。なら良い」


 安否を確認でき、白い人…女性はくるりと背を向け、湊に言い放つ。


「無事ならすぐここから立ち去ると良い…。この辺りは特に危険だ」


 危険…とは、あの化け物の事だろうか。今の時代の幽霊は、ああも活発に人を襲ってくるようになったのか。勘弁して欲しいものだ。いや、幽霊なのかも分からないが。


「あ、あの。貴方は一体何者なんですか?それにさっきのは幽霊とかの類いなん…です、か…?」


 このまま正体不明のまま家に帰っても、きっと眠れないだろう。それにもし、霊媒師の方でお祓い(物理)してくれたのであれば、名前と連絡先を聞いて、後日改めてお礼しに行こうと考えた発言だった。


 しかし女性はその質問には答えず、再度帰るよう催促する。


「いいから、はやく行け」


「で、でもお礼を――」


「そんなものいらん!」


 しつこい湊にとうとう女性は声を荒げる。


「いいか?もう二度と、ここに、来るな。それとここであった事と私のことは誰にも話すな。たとえそれが虫でもだ」


 こちらに勢いよく振り向き、ずいっと湊の顔に近づき忠告する。女性の着けてる布面の模様が、まるで凝視してくるかのように見えて落ち着かない。


「理解したならはやくそこから出ていくんだ」


 そう指差す先は、無数の手で行き止まりであった路地の出口。


「さっきの手は…」


「本体が消え、一緒に霧散したんだろう。さぁ、はやく」


 威圧感のある声にとうとう押され、諦めて路地から出るため歩きだす。


(さっきからいろんなこと起きすぎだろ…。もしかして…あの祠に行ったのがまずかったのかな)


 放課後ここに訪れてから不可思議な事ばかり起きており、もしかしたら祠に居た手の主の怒りを買い、祟られてしまったのではないか。…そう考えるだけで身震いしてしまう。


 ずっと抱えていた木箱と御守りを強く抱きしめながら、あと一歩で歩道に踏み出す…緊張と疲れが混じった息を吐き、地面に足をつけたその時――


《ア゛ぅアーー》


 右の壁から赤ん坊のような声が聞こえ、そちらに目を向けると、確かに右手と赤ん坊の顔があった。

 しかしそれは壁から生えており、ドス黒い…ただの赤ん坊ではなかった。


「うわぁ!!?」


 あれで終わりではなかったのか!どこか安心しきっていた湊は不意をつかれてしまい、赤ん坊の腕から逃れることが出来なかった。

 小さいその見た目に似合わず、凄い力で湊の襟元を掴み上げ、首が締まり息が上手く出来ない。


《あアアァアアああ!!!!》


「う゛、ぐッ」


 目と鼻の距離で歪んだ顔から泣き声があがる。木箱達は反動で地面に落としてしまったので、空いた手で赤ん坊の腕を引き剥がそうともがこうとするが、まったくびくともしない…。


(も…む、り……)


 脳に酸素が運ばれず、とうとう視界が霞みだし、またも死を覚悟する湊。


ザシュッ!


《ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!》


 肉が裂ける音と共に赤ん坊の腕が解け、湊は解放されて膝から崩れ落ちる。空気が急速に肺へ入っていき、激しくむせる。


「ゲホッゲホッ!!うゥ」


 涙目になりながらも赤ん坊の方を見ると、こめかみの辺りから刀が貫通していた。

 泣き叫ぶ赤ん坊に容赦なく女性は刺した刀をそのまま下へ振り下ろすと、ようやく力尽きたのか、赤ん坊は消えていった。


「あ゛、ありがど、ございま゛す」


 またも助けてくれた女性に、涙声になりながらもお礼を言う。しかし女性は俯き、小さい声で何かを呟いていており、反応しない。


「なん…こんな…」


「あの…?」


 よく聞き取れず湊が声をかけると、女性はハッとしたような顔になり、近くに落ちていた木箱と御守りを拾うと、膝をついた湊の目線に合うようにしゃがんで渡そうとしてくれる。


「なんでもない。それよりコレ…君のだろ」


「あ、そうです。すみま、せ――」


 わざわざ拾って渡してくれる女性へ謝ろうと、目線を合わせるため視界を上へ動かした。--その端に、女性の肩越しからもぞりと蠢く黒い塊に気付く。

 そして気づかぬ女性の背に向かって真っ直ぐと細く鋭い棒が伸びてくるのを、湊は見逃さず、目の前の女性を横に突き飛ばす。


「なっ!?」


 いきなり突き飛ばされ、被っていたフードが取れると、女性の綺麗な白銀の髪が溢れでる。それを綺麗だなぁ、と目を細めると、次いで腹に衝撃が走る。


「ッ……!!」


 恐る恐る腹に手を持っていくと、硬い棒が湊の腹を貫いていた。

 ぬるりとした生暖かい血の感触が手に伝い落ち、地面に模様を作っていく。


「お、おい!!?このッ」


 事態に気づき、女性は長い髪を振り乱しながら慌てて湊を貫くモノを斬る。


「ゴホ…!」


 ひとつ咳をすると、赤い血と共に生命も溢れ出ていく感覚がする。

 腹のモノは煙となって消えていき、湊が前へ倒れ込みそうになるところを女性が刀を落とし、ぎりぎりで受け止めたおかげで地面に激突する事は免れた。しかし、尚も流れ続ける血のせいで意識が朦朧としはじめる…。


「しっかりしろ!!なにか、なにか巻くものは…!!」


 頭上で震える声が聞こえる。

 突き飛ばした事を謝りたいが、口を開くもヒューッヒューッというか細い音しか出せない。


(腹が、痛い…あつ、い……)


 ぐわんぐわん頭が回り、走馬灯など見えてきやしない。


(あの人…無事かな…?折角助けてもらったのに…結局、死ぬんだ)


 だんだん体の痛みも熱も感じなくなり、今はただ眠かった…。耳も聞こえなくなり、女性が何をしているのかも分からない。


(眠い…。そういえば俺、さっきまで寝てたんだよな……)


 湊は深く考える事が出来なくなり、ゆっくりと瞼を閉じる。


(朝になったらおばさんと……ご、はん…たべて………)


 そこで完全に意識が真っ黒に染まり、湊は二度と目を開ける事はなかった――





 雲が無い綺麗な月夜。


 みな寝静まった町の一角のとある路地…



 今迄普通の日常を送ってきた神野 湊の人生は、そこで幕を閉じたのであった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

囘魂 ハヤマ @hayama0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ