Ep.3 CAMERA EYE 3

 カメラの視点が、向かい合った女性のほうに切り替わる。


 きれいにブラシをかけた長い髪の少女は、薄いピンク色のネグリジェの前で組んだ指を落ち着かない様子で無意識に動かしている。


 少女の動揺に気づいていないのか、スーツの女性はわずかに愉快そうな声でつづける。

「ミステリー小説なんかだったら、探偵が最後に追及する相手はだいたい犯人よね。それまでに集めた証言や証拠を並べ立てていって、最後にもったいぶった口調で『……すると、あなた以外の人には犯行は困難なんですよ』とか言うの」

「そ、そうですね……」


「あら、ゴメンなさい。あなたが犯人だなんて、ぜんぜん思ってないわよ。その正反対」

「エ?」

「厨房で調理している間、あなたはわたしのすぐ横にいたわよね。あなたがエプロンをはずしたとき、ちょうどタイマーをセットしたからよく憶えているの。三分きっかり。あなたが外からもどってきた直後に鳴ったのよ」


「というと……」

「篠塚さんは、わたしが呼集をかける直前に暑くて顔を洗ったんだそうよ。そのとき使ったタオルをイスの背にかけて乾かしといたんですって。あの子の部屋は四階よ。盗んできたそのタオルに三階の給湯室で氷をくるみ、さらに二階の荻井さんの部屋まで行ってあのトリックを仕掛ける……。どう考えたって、三分ですべてをすますのは無理よ。あなたが席を離れたのはそれ一回きり。だから、あなたが犯人じゃないってことだけは確信があったの」

 少女がホッとして肩の力を抜いたのが手に取るようにわかる。


「だから、ほかのみんなの話を聞いたうえで、つじつまの合わないところだとか細かい点とかをあなたに補足確認するつもりだったの。それで最後になったってわけ」

「そうだったんですか――」


 そのとき、少女が身体を横に傾け、首を伸ばして女性の背後をのぞき込むようにする。

「ハルナちゃん、起きちゃったみたいですよ」

 女性がふり返ると、女の子が目を開いたところだった。ダッコしてほしいというようにカメラに手を伸ばしてくる。


「ごめんね、ハルナ。母さんはお姉さんともうすこしお話があるの。……そうだ、しばらくこれで遊んでて」

 女性は胸のポケットからケータイを取り出し、子どもの手に握らせる。女の子はうれしそうに二つ折りのケータイを開いて耳に当てる。


「だいじょうぶなんですか?」

 当時のケータイは、通話のほかにメールや写真撮影くらいしか機能のない、いわゆる〝ガラケー〟である。重さや大きさは、二歳児でも十分あつかえるものだ。

「ええ。この子は聞き分けがいいから、むやみにいじり回したりしないわ。本人はぜんぜんしゃべらないくせに、なぜか電話器が大好きでね。どこにも通じてないのにウンウンうなずいたりして、ケータイさえあずけておけば、ニコニコ笑って楽しそうにしててくれるの」


 二人の会話はその後もしばらくつづき、結局犯人を特定するだけの根拠を見つけられずに終わる。

 どのイタズラでもやれた者が複数おり、その一方すべてが可能だった者は一人もいない。これではとても絞り込みようがない、というのが結論だった。


「わたしができるのは、まあ、これが限界でしょう。ケータイの充電コードがなくなった森さんとドライヤーを壊された黒江さんは、とりあえずほかの人から借りられるようにしたし、わたしも、代わりの舎監は頼まずに、お盆休みの残りはここにいることにするわ。それでみんなが少しでも安心できるならうれしいけど」

 女性が言いながら手帳を閉じると、カメラの視点が上昇する。話を終えてイスから立ち上がったのだ。


「私にも最上級生としての責任がありますから、そうしていただけるとありがたいです」

 フォーカスする女生徒の眼に、安堵というよりは、謎めいた、むしろ勝ち誇るような光がチラリとともる。


 と、そのとき――

 カシャッと小さな音がしたと思うと、薄暗い部屋が一瞬の閃光に包まれる。


 その光源を求めて、女性がとっさにふり返る。

 その眼に映ったのは、腹ばいになった子どもが、自分のいるベッドの下を逆さにのぞき込んでいる奇妙な姿だ。

 ケータイがかざすようにその手にしっかり握られている。なぜかカメラのフラッシュをたいたにちがいない。


 さらに驚くべきことが起こる。

 いきなりベッドの下から何者かの手がニュッと伸び、ケータイをつかんだのだ。

 それを奪われまいと握りしめた子どもが、軽々と床に引きずり落とされる。


「あっ」

 女性は、あわてて子どものほうへ手を差しのべようとする。

 すると、背後から驚くほど強い力で身体が引きもどされる。両腕をガキッとはがい締めにされたのだ。


 その相手は、女性が居残った寮生の中でもっとも心を許し、ほんの数秒前までなごやかに会話をかわしていた大人しい女生徒であるはずだ。なのに、女子高生としては大柄なほうとはいえ、とても細身の少女とは思えない力でギリギリと締め上げてくる。


 だが、意外な展開に当惑しながらも、女性のほうも簡単にはあきらめない。脚をせいいっぱい伸ばし、靴の底でベッドの下からのぞく腕を思いきり踏みつける。

「ぎゃっ」

 くぐもった悲鳴が聞こえ、ケータイが手から離れる。


 子どもはケータイを取りもどし、大事そうに胸の前に抱えて立ち上がる。

「逃げるのよ、ハルナ!」

 女性の眼をまっすぐ見つめてうなずくと、女の子は一目散にドアに突進する。


 と――

 それと同時に、クルクルと機敏に身体を回転させながら、ベッドの下からフワフワした奇妙な衣装をまとった人影が出現する。


 子どもは、ケータイを持っているためにドアノブをうまく回せないでいる。

「行かせてたまるか……」

 人影はムックリと起き上がり、不気味な低い声でつぶやきながら女の子に迫る。


 カメラの視線の女性は、強い力で押さえつけられていることを逆に利用して身体を思いきり持ち上げ、大きくひねりを加えて人影の側頭部をしたたかに蹴りつける。

 人影は、思わぬ攻撃に大きく体勢を崩してよろめく。

 そのすきに、子どもはドアの隙間をすり抜けてしまい、ガシャンとドアが閉じる。


「チッ。よくも邪魔だてしたな」

 人影がふり返り、女性をにらみつけるように正対してくる。


 その顔はなんと、耳まで裂けた口に牙をむき出し、額にツノを生やしたおぞましいハンニャの面相だった――

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