Episode 4 Series of Dreams ―― 夢また夢、夢……

Ep.4 HARUNA 1

「うーむ。なんというか……まさに、現代の女の子の日常だなぁ」

 あたしの記憶をたどりながら、ローレンスが疲れたようにため息をついた。


『記憶の宮殿』みたいなちゃんと整理された記憶を持たないあたしは、まったく行き当たりばったりに移動をくり返すしかない。

 しかも、すぐに思いつくのはやっぱり最近の出来事だから、たどり着けたのはせいぜい数年前の段階までだ。ローレンスにあきれた顔をされるのも当然だった。


 周囲には、今ではもう懐かしい感じさえする深川の地元の中学の風景が広がっている。昼休みで、仲のいいグループとワイワイおしゃべりしている最中に、あたしは一人抜け出してトイレに向かっているところだ。


「ああ。どうせあたしは、くだらないことにうつつを抜かす能天気なギャルの典型だよ」

 あたしはふてくされて言う。

 あたしだって、こうやってあらためて自分の生活を見せられると、恥ずかしくてたまらなくなる。友だちとの話題といえば韓流ドラマやアイドルのことばかりだし、一人のときはアニメとかレンタルビデオにハマっている。


 とくにこの頃なら、本当の母親がだれなのかを知りたいと漠然と思いはじめてはいたけど、走るのがほかの子よりちょっと得意だってこと以外、これといって才能も特徴もない平凡な女子中学生だったのだ。

「姫とあんたの娘なんだから、もっとパッと人目を引くような美形に生まれてたってよかったはずだろ。だったら子役のスターとかアイドルにだってなれたかもしんないのに……」


 さすがにローレンスは個室の中まではついて来なかった。

 だから、ドア越しに話しているわけだが、ローレンスは、ほかの子があられもない格好で制服のスカートを直しているところや、鏡にむかって一心に前髪をとかしているのをニヤニヤしながら眺めているにちがいない。

 これが現実だったら大騒ぎになるシチュエーションだし、周りを無視した会話は異様きわまりないけど、こういうことにもだんだん慣れてきた。


「そんなことを考えてるのか。私にはきみは十分可愛いし、魅力的な娘に見えるがね」

「自分の娘が救いようのないブスに見えたらサイアクじゃないか」


 まあ、こんな好き勝手なことが言えるのも、本当の父親と母親が判明したからだし、てっきり死んだと思っていた父親が、こうして曲がりなりにも会話をかわせる相手として存在してくれていたからだ。

 それはわかっているけど、だからといってなかなか素直に嬉しさを表せるものじゃない。あたしだって、十分フクザツな年頃の少女なんだ。


 中学生のあたしは、しつけに厳しいおふくろの影響もあって、ちゃんと服装を整えてからトイレのドアを引き開けた。

 すると、また場面が変わった。

 ドアのむこうは、エルザタワーにいた頃のママと水谷パパのリビングだった。


 あたしが入っていくと、いきなりクラッカーがたて続けに炸裂した。

「ハルナちゃん、誕生日おめでとう!」

 驚くあたしを取り囲んで、いくつもの声がいっせいに上がった。


 なんとそこには、クルセイダーズのメンバーばかりかキャティや広岡兄弟たちまでそろっていて、テーブルにはごちそうがズラリと並んでいる。

 これはたしか、小学生になったばかりの頃の誕生パーティのシーンだ。


 たちまち若松父さんに抱き上げられたと思うと、あたしは三バカにラグビーボールみたいに次々と受け渡されていって、ローテーブルに置かれているケーキの前に座らされる。

 すると『ハッピーバースディ』の大合唱が始まり、ロウソクを吹き消したとたん、前よりいちだんと盛大な「おめでとう!」の声に包まれた。


「おまえほどたくさんの愛情に包まれた子はいないな。母親と父親が三組もいて、空手部のメンバーたちにもこんなに可愛がられている……」

 どんな喧騒の中でも、ローレンスの声だけははっきりと聞こえる。

 たしかにそのとおりだ。ちっちゃなあたしも、得意そうにグルリとみんなを見回し、感謝の印に一人ひとりペコペコ頭を下げていく。


 伊勢だけは悪党を追っかけるのに忙しいらしくて欠席していたが、ふだんムッツリしているオヤジもパパとウィスキーのグラスをかかげて楽しそうにしている。

 これは、湘南の海岸で撮ったあの写真の、まさに二〇年後の彼らの祝祭でもあるかのようだった。


 すると、みんなからちょっと離れてピアノのイスにかけた姫の清楚な姿が眼に入った。

(お母さん……)

 ローレンスは壁際を移動していって、寄り添うようにその横に立った。

 教師と生徒として出会った二人だったはずだけど、今こうやって並んだツーショットはちょうどつり合いのとれたお似合いのカップルだ。


 ローレンスは長身を折り、姫の額にそっと口づけた。

 もちろん、これはあたしの記憶だから、姫の表情にはなんの変化も起こらないし、ローレンスの手にも姫の髪の手触りは伝わっていないだろう。

 どちらも幻だと思うと悲しいが、それをこんなにありありと目撃できるなんて奇跡以外の何物でもない。


 あたしとママが口の周りを生クリームだらけにして競争するようにバースディケーキをパクついていると、横にローレンスがやって来てささやいた。

「お母さんと再会させてくれてお礼を言うよ」

「あたしのほうこそ。こんな楽しいパーティがあったなんて、すっかり忘れていたよ。それに、姫とあなたの並んだ姿も見られた」

「だけど、そろそろ行く時間だ。きみが目指してきたのはここじゃない」

 そのとおりだ。

 あたしは後ろ髪を引かれる思いでその場を離れた。


 探しにいくという連想からだろう。あたしは深夜の住宅街を歩いていた。

 聖エルザの裏手にある小路。ローレンスの隠れ家を再訪しようとして、一人でエルザタワーをこっそり抜け出してきた場面だ。


「思いつくままにきみの記憶をあちこちたどって来たけど、さっきのパーティでようやく七歳の誕生日だ。もっとずっと幼い記憶にアクセスするためには、何かもっと決定的な手がかりが必要なようだ」

 腕組みして歩きながら、ローレンスが難しそうな声で言う。


「きっと、ママたちに取り囲まれて幸せすぎたんだと思う。あたしが不満や不足を感じたりしないように、いつも安全で安心できる状態に置いてくれた。だから逆に、聖エルザの構内の記憶はもちろん、母さんのアパートとか、おふくろの実家での思い出なんかも、みんなごちゃごちゃになってどれもボンヤリとしか憶えてないんだよ」


 あたしは、毎日三人に代わりばんこに背負われて、それぞれの家に連れ帰られていた。満員電車とかタクシーとか、おふくろのチャリで風を切って走ったこともあったはずだ。

 でも、印象が分散してしまって、なかなか具体的な形に像を結ばない。


「場面でなくても、好きだった食べ物とか、よく遊んだオモチャとか、今も持っている思い出の品なんかはどうだ? そういうものがきっかけになるかもしれない」

「そういえば、電話が好きだったよ。母さんたちはしょっちゅう連絡を取り合ってた。眼の前にいなくても、いつでも声が聞けたからね。あとは……そうか、あの絵だ!」


 あたしの足がちょうど止まった。

 隠れ家につづくエレベーターのある低層マンションの前。半地下の駐車場にローレンスの黄色いルノーを見つけたのだ。


〝発見した〟っていうことの連想からだろう。たちまち場面が深川のおふくろの実家に飛び、あたしとローレンスは店先に出現した。


『ああ、それか。オヤジが亡くなったすぐ後くらいだったかな……』

 おふくろオトシマエが、店の壁に貼られたあたしの絵のことを説明していた。

 最初に悪夢のことを相談しに来たときのシーンだ。あたしは、母さんがしつらえてくれたっていう試食コーナーのイスに座って聞いている。


 あのときはなんとなく構図を眺めたくらいだったけど、こんなに鮮明に記憶していたのかと驚くほどクッキリと絵柄が浮かび上がってくる。

 そしてなんと、まるで小学生の頃に作ったパラパラマンガみたいに、クレヨンで描いた人物たちがムクムクと動きだした。

 まさに「それが正解だ!」と宣言されたかのように、へたくそな絵だったばあちゃんとじいちゃんが、たちまち本物の人間に変わっていく。


 すると、いつのまにか、あたしは一心にその様子を絵に描いている子どもになっていた。厨房の入口の床板の上にスケッチブックを広げ、クレヨンを両方の手に握って懐かしい二人の姿を見上げている。


「やったぞ、ハルナ! きみはあの頃にもどれた。これはまちがいなく突破口になる――」

 いつも冷静な表情をくずさないローレンスが、小さなあたしの背中をポンポンたたいて興奮した口調で声を上げた――

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