第4話 お金について

「金は天下の回りもの」などと言ったのは誰であろうか。


まったくもって無責任な言葉である。


私の所にはまったく回ってこないじゃないか!!・・・すいません、冗談です。


仕切り直し、お金は何かという定義ていぎづけで私の人生で一番しっくりきた表現は


「物質もしくは物体が移動する権利を得れるもの」


これは何の本を読んでいた時に出てきた言葉であったろうか。これである。


まさに、これが本質そのものであろう。


・・・とはいえ、逆いうとそれだけである。


物質もしくは物体以外はその支配を受けないのである。


人生や世の中の素晴らしさは、感動や感銘かんめいを受けて心が躍動する時、物質界よりも精神界の方が遥かに比重が大きいと思われる。(ここが私が勝手に芸術・表現を最も高く評価してる美点びてんである)


確かに、お金を沢山持っていると出来ることは沢山有るだろう。


しかし、古代中国の崇高なる精神文化を継承した(石平せきへい氏によれば隋唐ずいとう以降の本流はむしろ中国大陸よりも日本らしい)日本には、「武士は食わねど高楊枝たかようじ」という気風が生まれた。


また戦争の話に脱線してしまうが、(ロシア・ウクライナ戦争により軍事の意識がいやがうえにも高まっているので、どうかご容赦ようしゃを)太平洋戦争(大東亜だいとうあ戦争)時に残置諜者ざんちちょうじゃとしてフィリピンに30年近く潜伏せんぷくしていた小野田おのだ寛郎ひろお少尉は、田中角栄総理から、頂戴した数百万円(当時の金額なので今だと、数千万円かもしれない)見舞金(?)を受け取ったが、そのすべてを靖国神社に、寄付をした。


当時、死にに行く戦友との合言葉は「靖国で会おう」である。


戦後、GHQによる、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムにより、各界から、公職追放。ジャパン・アズ・ナンバーワンやエコノミックアニマルといった皮肉、西洋人から「日本人は働き過ぎだ」…ほっとけボケ!


お前ら侵略しまくり、搾取しまくるから、アジアはせ細り、戦争では金が無く勝てず、負ければ賠償金を払う、すべて西洋人の有利なルールで、大航海時代以後数百年間苦しんだのだ。(脱線しすぎるのでこの辺で筆を慎みます。)


小野田氏のような日本人が戦前は居たことを私たちは忘れてはならないのであろう。


日本人は、いや大日本帝国国民は孔子の「身を捨てて仁をなす」を全うしたまでです。


中島敦氏が「不可解な愚かさ」と語り司馬遼太郎氏が「この大陸の精神史における別趣べっしゅの塩分」と表現した、利己では無く利他の精神文化は、受け継いでいくべき宝物とすべきでしょう。


・・・でも、お金は欲しいですね。(笑)








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