第5話 死について

 「いかにして生きるとは、いかにして死ぬことであり、いかにして死ぬということはいかにして生きるという事である」


 この言葉は、作家の北方謙三氏かその、師匠恪の大藪春彦氏が言ったものっだったろうか。


 ・・・ハッキリ言ってこのセリフは極めてカッコいい。


が・・・私を含め多くの人間はこのように生きて死ぬのは、所詮、理想であり、現実では無いのではないだろうか?


 普通、現実に生きている人間はもっと、ほどほどであり。中途半端で割り切れないものである。


 かくいう、私もそうであった。かつていろいろなものに、挑戦し自分なりには必死にやってみたが、謙遜では無く何をやっても中途半端であった。



 しかし、こんな私にも当然「死」は、やってくる。


それは「明日」か「半世紀後」かは当然、自分でも分からない。


 かつて山本周五郎氏は「死ほど荘厳なものはない」と作中で語ったが、どうも私の死はそんな立派なものではないらしいというのは想像つく。


 私は小さい頃から病弱であった。


「無病息災」という言葉に対して「一病息災」という言葉がある。


前者は良く聞くのでは無いだろうか?


 後者の意味は「一つくらい病気を持ってたほうが、かえって体をいたわる心が出来て健康である」という逆説的な、奇妙な、しかし冷静に考えると、当たり前な意味の四字熟語である。


 さあ、これもどちらが真理か?






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