第3話 対人関係について

これほど、悩んだ事は無い・・・・。


と、全人類がただ一人の例外を除いて全員が思ってるのでは無いだろうか?


「人は一人では生きていけない。」


若い頃は、この言葉の意味が全く理解できない人間であった。


しかし、年を取った所為せいか・・。むべなるかな・・と、最近思案する。


社会は当然、人間関係で成立している。


ただ、若い頃はほとんどの人が、自信満々で、自らを尊重したがる。


なので、綺麗事きれいごとにしか聞こえないのだと思う。


これも、時間が経過しなければ分からないのだろう。


もう私は、成長するよりも衰退すいたいすることが、多いと思われる年齢に差し掛かっている。


このくらいの年になると、自分の出来ることと、出来ない事の判別が容易になってくるのだ。


若年の頃の「無限の可能性」という名の「神聖なお題目」は、どこかに立ち消え、その代わりに「有限の安定性」という名の「気楽な自由さ」を手に入れることが出来る。


 その根本理念は「利他りたの精神」であると断言する。


 大歴史作家の司馬遼太郎氏は「神聖であるという事は同時に脅迫でもある。」


という名言を残した。


(彼は太平洋戦争を馬鹿な戦争だと、後年に語っているが「天皇陛下は神である」との神聖なお題目により、危なく命を落としかかったからであろう。)


しかしこれも、芥川賞作家でもあり、都知事でもあった石原慎太郎氏によれば、坂井三郎氏(ゼロ戦のエースパイロットで戦争で片目を失う)は、あの戦争は素晴らしい戦争だった、アジアの地域は独立国家として一人前になった。と、ある場所で真逆の演説をしたという。


 ・・・話題が対人関係から戦争まで、脱線してしまったが要するに、人間関係がこじれると、最悪は殺し合いまで行ってしまうのが、人間という動物なのだ。


 大日本帝国は「利他の精神で西洋列強から植民地を解放した。」


 西洋列強は「利己りこの精神で植民地の資産や資源を搾取した。」


お互いの正義が真っ向からぶつかり合い、結果は周知の事実である。


いかに対人関係が難しいかであろう・・・・。


西洋の古いことわざに、


なんじ、平和を欲すればいくさの準備をせよ」というのが有名だが、恐らく真理は真逆で

「汝、平和を欲すれば戦の準備をするな」だったのだろう・・。


「国家に真の友人は居ない」とマキャベリやド・ゴールが言ったと思うが、最近のネット社会も残念だが、これに似てきている状態なのかもしれない・・・。


とはいえ、私は皆さんがお互い独立独歩するような気高き意志を持ち、なおかつ、ぶつかるならば、切磋琢磨せっさたくまするように高めあえる、社会になることを努力し、願うばかりです。


どうか、対人関係で悩まないで良い人生になるといいですよね。





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