第7話 セイレーンガーデン

 約束の十時になる五分前に網野は集合場所であるショッピングセンターの入り口に着いた。


 ここは『セイレーンガーデン』、通称セイレーンと呼ばれるショッピングセンターだ。この地域では最も大きな大型商業施設。ゲームセンターにカフェテリア、ホームセンターに書店と多種多様の店が入っており、学生から家族連れまで幅広い年代が利用している。網野も大学入学の際にこちらへ越してきてから何度もここを訪れていた。


 網野は自動ドアの入り口の脇にある柱に背中を預けながら釣井がやってくるのを待っていた。休日にも関わらず制服を着ている高校生くらいの女子たち。ベビーカーを押す母親と、父親の手を引っ張る男児。ゆっくりと歩いていく老夫婦。数えきれない人たちが網野の横を通り過ぎて施設内へ入っていく。


 時刻が十時二○分を回ったところで、ようやく釣井が網野の前に姿を現した。


 紺色のスキニーパンツに白いシャツ。金色のピアスと指輪が似合っていた。なんだか休日の釣井を見るのは久しぶりだった。


「すみません、遅れちゃいました」

「いいよ、ちょっとくらい」


 釣井は何故か、網野の返答に驚いたような顔を見せる。


「どうしたの」

「模範解答である『俺も今来たところだから』を使わずに、さらっと遅刻した女性を許す高等テクニック。網野先輩、もしかしてデート上級者ですか?」

「別に。時間にルーズなだけだけど」

「あー! ちょっとイケメンだなと思ってショックでした。十点減点です」

「減点方式ならどんどん減っていってしまうから加点方式にしてくれないかな」


 網野の嘆きを無視して釣井は先にセイレーンの中へ入っていく。彼もその背中を追った。


 この入り口はどうやらレストラン街の入り口だったようで、ラーメン屋、定食屋、ファミレスが所狭しと左右に並んでいる。朝ごはんを済ませたばかりといえど、お腹が空くような美味しそうな香りが辺りに漂っていた。


「網野先輩! お昼ご飯はもうちょっと後ですよ!」

「分かってるって」


 いい匂いを堪能していた網野は釣井に手を引かれてレストラン街を抜けた。その先はこの施設の中央部分ある広場で、大きな吹き抜けになっていた。セイレーンはここを中心に東西南北と敷地が広がっているのだ。


 休日ということもあり、広場ではイベントが行われていた。ヒーローショーのようだ。五人組の仮面をつけた人たちが怪人と戦いを繰り広げている。その様子を小さな子供たちが真剣な眼差しで応援していた。さらにそんな子供たちの様子を、親たちはカメラに納めていた。


 網野と釣井はその群衆の脇を通り抜け、二階へと続くエスカレーターへ乗る。


 剣で切り裂く効果音。発砲の効果音。物騒な音が響き渡る。


「網野先輩も昔はああいうヒーローにハマっていたんですか?」


 釣井の問いに網野は首を横に振る。


「たまたまテレビをつけたときに放送されていたら見るくらいかなあ。田舎で暮らしてたってのもあるし、家でテレビっていうよりかは山で友達と遊ぶことの方が多かったから」

「あ、確かに前も言ってましたね。ゲームもせずに山に行くなんてしてた割に運動が苦手っていうのは本当に謎です」

「それは僕にとっても謎」


 エスカレーターを降り、二階に足を踏み入れる。このフロアは服を取り扱う店が多くある場所だ。お高い有名ブランドから庶民に優しいリーズナブルなファッションブランド。そしてセイレーンオリジナルの店などもある。特に開業時にはセイレーンオリジナルの品質の良さが話題になったものだ。


 と、当時の様子を振り返っていると網野はあることに気づく。


「待って、買い物ってまさか服?」

「他に何かありますか? 女性の買い物なんて服かアクセサリーか化粧品ですよ」


 一般的な女性の買い物の内容なんて網野はどうでも良かった。彼にとって問題なのは釣井の服の買い物に付き合うということだった。網野は以前にも一度、彼女の服選びに付き合ったことがある。釣井が二着選んできてどちらが自分に似合うか網野に尋ねてきた。網野はそれぞれの良さを自分なりに言うことはできるが、どちらかを選ぶなんて責任を負えない旨を伝えると彼女はなぜか拗ねた。渋々片方を選ぶと「でもこれは〜」と文句を言うので、もう片方を選ぶと「これはこれで〜」と文句を言って結局どちらも買わなかったのだ。釣井の服選びは面倒くさいという記憶が網野にはしっかりと残っている。


 まさかあの惨劇がまた繰り返されようとしているのだろか。


 網野は釣井という人間に慄いていた。きっと世の中のほとんどの女性が釣井と同じなのだろうが、網野はそのようなことを知らない。彼が知っている釣井以外の女性である母や姉は比較的スパッと決めて買い物をする珍しいタイプなので、網野にとっては釣井が異常に見えるのだ。


「じゃあ、早速行きましょう!」


 網野とは対照的にノリノリな釣井に彼は溜め息を漏らしながらついて行く。


 釣井が最初に向かったのはセイレーンオリジナル。春ものの服はもちろん、来る夏に備えた涼しげな服のコーナーも既に作られていた。


「わ、かわいい! さすがセイレーンオリジナル!」


 夏服コーナーで目を輝かせる釣井。


「そんなにセイレーンのヘビーユーザーだったっけ」

「私セイラーですよ。もうしばらく一緒にいるのに知らなかったんですか?」

「全く」

「わー、先輩ひどい。風花悲しいです」


 一粒も涙が出ていない釣井の嘘泣きはいつものことだ。大学内やMML施設内であれば軽くあしらうところだが、この場所ではそうはいかない。日曜日のショッピングモールだ。周りには多くの客がいる。その場で泣く女性と側に立つ男性という絵はなかなかまずいだろう。彼らはいつもの釣井を知らないのだから。


「泣くなよ。服見に来たんだろ」

「もっと他に慰め方あったでしょ?」


 彼女は顔を隠していた手を離し、嘘泣きもやめる。どうやらツッコミをしたい気持ちの方が勝ってしまたようだ。


「慰め方は確かにたくさんあるよ。ただ、今のは慰めるつもりなんて微塵もなかったから」

「網野先輩ガチで酷い。たまに常軌を逸する残酷さを見せますよね先輩」

「……そんなつもりないんだけどな」


 さすがに二度目の嘘泣きはなく、釣井は服選びを再開する。ドン引きされはしたが、嫌な構図からは逃れられたので網野としては何も問題はなかった。


 彼女は棚に並べられていた服を一着手に取る。ワンピースだった。上半分が白で、裾に近づくに連れて淡い青のグラデーションがかかっていく。普段シャツにパンツという組み合わせが多い釣井に対して、ワンピースというのはイメージと少し違うが、波打ち際を思わせる綺麗なデザインが網野は好みだった。しかし、たった一言「綺麗なワンピースだね」なんて言えば釣井から何が返ってくるかわからない。ここは黙っておくのが得策だろうと網野は考える。


「網野先輩、このワンピースどう思います?」

「え」

「どう思います?」

「え、えーっと海っぽくていいと思う」


 唐突に訊かれたせいで、「綺麗だと思う」よりも安っぽい感想になってしまった。網野は釣井からの反撃を覚悟し、目を瞑る。


「そうですかー」


 と、彼女は一言。その続きはなかった。網野は想像と違うことを不思議に思い、目をゆっくりと開ける。すると釣井はまだワンピースを眺めたままだった。


 もしや今日は喋っても大丈夫なのだろうか。


「気に入ったの?」


 網野は当たり障りのなさそうな質問を選び、投げかけてみる。


「網野先輩、海、好きでしたよね」

「うん、山派か海派か訊かれたら圧倒的に海って答えるくらいには好きだけど」


 質問に質問で返されたが、念の為そこには触れずに彼女の問いに答える。


「ですよね。うーん、気に入ったかもしれないです」


 続けて小さな声で「買おうかな」とも呟く。本当に気に入れば文句なんて言わないということなのか。網野は釣井の買い物事情がますますわからなくなっていた。


 釣井はしばし逡巡している様子だったが、やがて決心をしたようで、


「よし!」


 と、そのワンピースを持って別のコーナーへ移動する。網野も当然それについていく。


 春ものの服やアクセサリーを見ているときは前回と同様に、「これはここがどうだ」「このデザインがどうだ」と絶え間なく口から文句が出ていた。


 結局会計まで釣井の手元に残っていたのは最初に手に取って波打ち際のワンピースだけだった。セイレーンオリジナルのロゴがついた紙袋を持った釣井は上機嫌だったので、本人は満足なのだろう。


 これで服の買い物は終わり。次はどこへ向かうのだろうか、と考えていた網野は間違っていた。釣井はセイレーンオリジナルの隣の店へ入って行ったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る