闘士と火球

 革袋がじゃらりと音を立てる。広間が、しんと静まり返った。

 わたしもぽかんとしてしまった。金貨で二百枚、って、どれだけのお金なんだろう。

 家にいた頃は、ほとんど銅貨しか見てないし使ってない。まとまったツケを払うときも、銀貨じゃなくて山積みの銅貨を使ってた。

 そして、人買いのひとがわたしにつけた値段が、銀貨二十枚。

 銀貨一枚は銅貨十枚、金貨一枚は銀貨百枚だから……ええと、ええと。

 金貨二百枚あったら、わたしが何人買えるんだろう?


「ふむう……それは、その、ですねえ」


 身なりのいいおじさんが、目を輝かせながら一歩前に進み出る。

 女の人も、革袋を両手で抱えながらゆっくりと歩いてくる。

 広間のみんなが、檻の中の人たちまでもがみんな、女の人をじっと見ていた。わたしも、金二百枚の値打を頭の中で一生懸命考えながら、女の人の手の中の袋をじっと見ていた。


(あの袋があったら、わたし、一生――)


 おじさんが、女の人の正面に立った。


「交渉の余地は、なくもな――」


 おじさんが言いかけた時だった。

 突然、鈍い音がした。

 一瞬遅れて、変な声がした。


「ぐ、ごは……!」


 いやにゆっくり、おじさんの身体が、石の床に倒れ込んでいく。

 おじさんの背中が、どう、と音を立てるまでに、ずいぶん時間があった気がする。

 気がつけばわたしの手のひらには、汗がじっとり滲んでいた。


「……! き、貴様……!!」


 兵士さんたちが我に返る。

 兵士さんたちは腰の剣を抜いて、女の人に向けて構えた。


「……ふふ」


 女の人は、なにごともなかったかのように笑っている。

 重そうな音を立てて、袋が地面に下ろされた。はずみで袋の口が開いて、屑鉄の塊が二つ三つ、転がり出てきた。


「き、は……ふ、が」


 顎を押さえながら、おじさんが女の人を指差す。


「狼藉者が……貴様らも捕らえて、奴隷として売り飛ばしてくれる」

「あらあら」


 女の人は目を細めて、とても楽しそうに、笑っている。


「狼藉者はどちらかしらねえ。この東方アナトレー王国では、王の命により人身売買はご法度……王国の法を侵すのは、狼藉と言わないのかしら?」


 言葉と同時に、三人が一斉に外套を脱ぎ捨てた。


「……えっ?」


 わたしは、思わず声を上げてしまった。

 三人の外套の下は、ほとんど裸だった。胸と腰を隠すほんの少しの――けれど綺麗な装飾がついた――金属鎧、そして手先と足先を守る手甲と足甲。そのほかは何も身に着けていない。素肌だ。


(みんな……すっごくきれいな肌だな……)


 思わず、見とれてしまう。

 男の人だと思っていた後ろの一人も、女の人だった。すっごく大きな人だったから男だと思っていたけれど、こうして外套を脱いでみると、褐色のお胸もお尻も大きくてぷるんぷるんで……やっぱりほとんど裸だ。

 三人の女の人を見て、兵士さんたちが叫ぶ。


「き、貴様ら……万象の闘士か!」


 三人の女の人は、いっせいに微笑んだ。

 自信に満ちた、自分たちの勝ちを全然疑ってない――そんな、笑いだった。


(万象の闘士……?)


 噂だけは聞いたことがあった。わたしのいた島から、船で渡れる一番近い陸――「東方アナトレー王国」に、そう呼ばれている人たちがいるって。

 身体に天地万象の力が宿っていて、呪文も魔法陣もなしで魔法が使える。防具らしい防具もなしで怪我一つしない。一人で百人の部隊を壊滅させられる。そんな信じられない話を、港へ来る王国の人たちから聞いたことがある。

 まさか、いま目の前にいるのがその人たちなんだろうか。

 わたしは、魔法なんて見たことない。田舎の村にそんなものあるわけがない。でもそれでも、魔法を使うのにたくさんの準備がいることくらいは知っている。魔法陣を描いて、いろんな秘薬を用意して、難しい呪文を唱えて、ようやく使えるのが魔法だ。……妖精や精霊のたぐいなら準備はいらないのかもしれないけれど、人間が魔法を使うなら、ものすごい手間とお金がかかる。

 だから、みんな「万象の闘士」のことは、話半分に受け取っていたけれど。

 本当の本当に、その人たちは、この世にいたんだろうか。


 目の前の女の人三人に、兵士さんたち四人が剣を向けている。

 三対四。数はほとんど同じだけれど、兵士さんたちは革の鎧で胴から足先まで完全武装。女の人たちはほとんど裸だ。

 だのに兵士さんたちの切っ先は震えて、腰もなんだか引けている。


「ええい! ひるむな!!」


 床に倒れ込んだ身なりのいいおじさんが、顎を押さえながら叫ぶ。


「入口の連中を呼べ! 相手は三人だ、取り囲んで――」

「ああ、あいつらか」


 青い胸当てを着けて、茶色の髪を後ろで一つにまとめた女の人が言った。背はわたしより少し高いくらい、お胸もわたしよりちょっと大きいくらい……けれど大きな茶色の瞳はとってもきらきらしていて、誰をも寄せ付けない強さにあふれている。


「ここに来るまでにいた奴らなら、ちょっと寝ててもらってるぜ。心配すんな、二時間もすれば起きてくる……ま、その前に王国警備隊が迎えに来るとは思うけどなあ」

「貴様……!」


 おじさんは震える手で、小さな鐘を懐から取り出した。髪の毛の薄い頭の上でそれを振ると、びっくりするぐらいの大きな音が広間中に響き渡った。


「おまえら、援軍が来るまで持ちこたえろ。勝てとは言わん、その場を守れ」


 後ずさりするおじさんに、焼き鏝を持っていたお兄さんが肩を貸した。よろけながら、おじさんは立ち上がった。


「生き残ったなら褒美ははずむぞ……そいつらの武具もそのままやろう。剣も鎧も好きに剥いでやれ!」


 兵士さんたちの背が、急にしゃんと伸びる。

 おじさんが、また鐘を鳴らす。頭にがんがん響く音を合図にしたかのように、兵士さんが二人、女の人に打ちかかった。


「うりゃぁあぁ!」

「でやぁあぁ!!」


 狙ったのは、はじめにお話をしていた小柄な女の人だった。今は外套を脱ぎ捨てて、赤い胸当てと股当てだけの姿になっていた。色白の肌の上には、長い黒髪が一筋の乱れもなく、墨の川のように流れている。

 小さなお胸を帯のように飾る赤の鎧には、金色の縁取りや細かな宝石がついている。腰にも金銀の飾りがついていて、この鎧だけで金貨何枚分にもなりそうだ。……だから、先に狙ったのかな。

 迫る剣の切っ先を、女の人は軽く身を捻ってかわした。


「まったく……なっていませんわね」


 よろめいた兵士さんたちに、肘打ちが叩き込まれる。兵士さんたち二人が、あっというまに床に転がった。


「剣を仕事にするなら、剣術の基礎くらいはお勉強した方がよろしいですわよ」


 言いながら、女の人は小さな杖を取り出した。先に大きな赤い宝石がついていて、炎をかたどった金や銀の細かな飾りが絡みついている。……これも、きっとすごくお高いと思う。

 残りの兵士さん二人は動かない。おじさんは焼き鏝のお兄さんの肩を借りて、じりじりと後ずさりしている……逃げたいけど逃げられないんだろうか。


 そんな人たちを、わたしは掌を握りしめながら、けど何をするでもなく、見ていた。

 ただ、見ていた。

 逃げなきゃ、とはすこしだけ思った。でも、どこにと考えると、どこにも逃げ場はなかった。

 あの女の人たちに頼めば、わたしを助けてくれるのかな――そんなことも、ちょっと思った。

 けどもし助けてくれなかったら、おじさんたちが勝ったなら、女の人たちに助けてもらおうとした自分は、きっとひどいことをされる。

 だったら、きっと何もしない方がいい。

 言われたことはしなきゃいけない。けど、言われてないことはしなくていい。しちゃいけない。

 言われてないことをして、ひどいことをされるのはわたしだ。

 だから、何もしない。

 いつものように、何もしない。


 残った兵士さんたちふたりは、じっとその場を動かない。

 その向こうで、おじさんと焼き鏝のお兄さんが、奥の扉へ向けて歩いていく。


「待ちなさい!」


 とっても大きな褐色の女の人が、よく通る声で叫ぶ。でも、おじさんたちは止まらない。

 小柄な女の人が、杖を掲げた。赤い宝石の先に、小さな炎が灯った。


「待たなければ、灰になりますわよ」


 小柄な女の人の、澄みとおった高い声が響く。けれども、おじさんたちは止まらない。

 小柄な女の人が、杖を頭の上に掲げた。炎が大きくなった。


 と、その時だった。

 誰かがいきなり、わたしを背中から突き飛ばした。


「きゃ……!」


 強く押されて、わたしはよろめいた。

 なんとか踏みとどまって、身体を立て直す。

 顔を、上げた。

 目の前に、小柄な女の人がいた。

 火に包まれた杖を、振り下ろすところだった。


「……っ、ああっ…………!!」


 小柄な女の人が、目を見開いた。

 ふくらんだ炎が、わたしに向けて飛んでくる。


 わたしの目の前が、真っ赤に染まった。

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