熱波と群花

 身体が、熱い。

 頭の上から足の先まで、火であぶられてるみたいに熱い。いや、本当に、焼かれてるのかもしれない。

 心臓が、胃袋が、背骨が、火につつまれている。

 息をするたび、身体の中の火が、ゆらめいて燃え上がる。

 熱い。

 苦しい。

 息を吸えば、火がまた燃える。息を吐けば、喉を火が吹き抜けていく。

 助けて。

 息ができない。

 喉も、頭も、胃袋も、全部、焼けていて。

 身じろぎするだけで、火が回る。

 ああ。

 助けて、誰か。


「……だ、…………は!」

「正面から……けて…………まともに――」


 誰かの声がする。

 誰なの。何を言ってるの。

 ねえ、助けて。わたしを助けて。

 叫ぼうとすれば、炎がまた胸の奥からあふれてくる。

 声に、ならない。


「……ピス。……ず……心臓を」

「ああ」


 誰かの掌が、わたしの胸を押さえた。

 右の胸と、左の胸の上に、掌ひとつずつ。


(……あ)


 冷たい。

 掌が、冷たい。

 身体が熱いと、人の手でさえ冷たいと感じてしまうんだろうか。


(きもち……いい)


 ひんやりした掌が、ほんのすこし、熱を持った身体を冷やしてくれる。

 あ……いや、違う。

 掌が触っているところだけ、火が燃えてない。まるでそこだけ、水を撒いたみたいに。


「おい。おまえ」


 誰かの声がする。


「今から、おまえの中に『水の力』を送る。受け止めろ。受け止めて、身体の中に広げるんだ」


 どういうことなの、と思った、次の瞬間。

 胸のあたりに、冷たい何かがぶちまけられた。

 水桶の水を、頭から浴びせられたのかと思った。でもそれは確かに胸の中で弾けたもので、胸と背中を押し破るくらいの勢いで、心臓のあたりを荒れ狂い始めた。

 頭の中は、足の先は、まだ燃えている。胸は洪水だ。

 いったい、いったい、何が起こって――


「落ち着け。深呼吸しろ」


 誰かの声がした。


「深く息を吸って、吐くんだ……息に乗せて、『水の力』を身体に広げるんだ」


 言われるがままに、息を吸う。

 さっきまでと違って、炎は燃え上がらない。代わりに、冷たい何かが波を打った気がした。

 吐く。

 熱気と一緒に、冷たいものが胸から引き出されてきた……気がする。冷たいものが通り抜けた喉奥は、すうっと冷えていく。

 息が、通るようになった。


「少し……呼吸が、落ち着きましたわね」

「いいぞ、その調子だ。手足の先まで、『水の力』を広げるんだ」


 すぅ、はぁ。深く息を吸って吐く。

 空気が出入りするたびに、胸にあふれていた冷たいものが、少しずつ身体に広がっていく気がする。


(これを……手足に届ければいいのかな。でも、どうやって)


 足の先は、掌はまだ、かっかと熱を持っている。胸から冷たい掌が離れて、わたしのお腹を、腰を、撫で回し始めた。

 冷たい手が、気持ちいい。

 肌にまだ残った熱を、吸っていってくれるみたいで。


「よし、胴体からは『火の力』が抜けたようだ。……あとは頭と手足か」


 冷たい掌が、わたしの掌に重ねられた。

 熱い指と、冷たい指が絡む。


「おい、おまえ」


 やさしい声が、耳元で囁く。


「手足に意識を集中するんだ。おまえの胸に、冷たいものが溜まっているだろう? それを、手足に流してやるんだ……少しずつ、少しずつ」

「どうすれば……いいんですか」


 訊き返すと、冷たい掌が、ぎゅっとわたしの手を握ってくれた。


「オレの手に集中しろ。オレの手に、胸の冷たいのが流れてくるのを想像しろ」


 言われた通りに、する。

 胸であふれる冷たいものが、冷たい手に向けて流れていく……ところを、想像する。

 すると本当に、腕を冷たいなにかが通り抜けていった。冷たいものが指の先まで抜けていった後、掌はゆっくりとほどけて離れていった。

 掌が、今度は足の裏に当たる。同じように冷たい流れを想像すると、足の熱気も嘘のように引いていった。




 ◆ ◇ ◆




 目を開けると、わたしを二人の女の人が見下ろしていた。一人は赤い胸当ての、小柄な黒髪の人。もう一人は青い胸当ての、茶色の髪を後ろで一つにまとめた人だ。さっきまでわたしに触っていたのは、青い胸当ての人だったみたいだ。


「申し訳……なかったですわ」


 赤い胸当ての人が、うなだれている。


「気にするな。悪いのは、この娘を盾にした卑怯者どもだ」

「ですが、とっさに炎を止められなかったのはわたくしの咎ですわ」

「えっと……あの」


 わたしは辺りを見回した。

 おじさんや兵士さんはいなくなっていた。檻の中の人たちが、なんだかびっくりしたような目でわたしたちを見ていた。


「なにが……あったんですか」


 わたしの言葉に被るように、兵士さんたちが何人も広間に入ってきた。さっきまでいた革鎧の兵士さんたちとは違って、金属の胸当てや肩当てを着けた、動きが揃った兵士さんたちだった。


「奴隷商人の元締に向けて、炎で足止めを試みたのですが……盾にされたあなたを巻き込んでしまいましたの。本当に申し訳ないことをいたしました」

「ずいぶんと、こいつの『火の力』で苦しめてしまったようだな。申し訳ない」


 女の人二人は、揃って頭を下げた。


「わたし……これから、どうなるんですか」


 わたしが訊ねると同時に、大きな影が二人の後ろから現れた。さっきの、男の人みたいに大きな女の人だった。


「すまない、奴を取り逃がしてしまった。ラピス、ソフィー、そちらはどうだ」

「見ての通りですわよ、ティエラ。この娘、『器』は間違いないようですわ」

「えっと……あの」


 おずおずと訊ねると、女の人三人は揃って笑った。

 大きな女の人が、凛々しい笑顔でわたしに話しかけてくる。


「君の身柄は、これからしばらく東方アナトレー王国の保護下に置かれる。必要な事務手続きは私たちの方で行うから、君は何も心配しなくていい。王都の滞在権はすぐに許可されるだろうから、四月の景色を満喫するといいさ」

「えっと……つまり、どういうことですか」

「我々は君を、客人として歓迎するということだ。……少なくとも今はね」


 大きな女の人は、地面に落ちた外套――さっきの戦いの前に脱いだものだ――を拾い上げて、わたしの肩に掛けてくれた。

 固くて大きな掌が、わたしの背中をぽんぽんと叩いてくれた。

 なんだか、とつぜん、涙が出てきた。

 わたしは泣いた。

 声はあげずに、石の床に膝をついて、ただただ、涙を流した。

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