銀貨二十枚分、愛してください。~奴隷少女の剣風録~

五色ひいらぎ

一章 泥と炎から救い出されて

奴隷と金貨

「やさしいご主人様に、買われるんだぞぉ?」


 鞭を持った小太りのおじさんは、そう言って笑った。

 別の誰かの手が、わたしの口から布を引きずり出した。やっと鼻のほかで息ができるようになって、思わず、げほげほと咳き込んでしまった。


(あ……声、出しちゃった)


 思わず、背中がこわばる。

 けど拳も平手も飛んでこない。かわりに、げらげら笑う声がいくつも重なって聞こえた。


「もう、好きなだけ喋ってかまわねえよ。ま、泣こうが叫ぼうが、おまえらを『助けに』来る奴なんざ誰もいねえけどな」


 叩かれなくてもいいらしい。

 ほっ、と溜息が出た。身体から力が抜けた。少しだけ、涙がにじんだ。

 周りを少しだけ見回してみた。……あんまりきょろきょろしてるとまた殴られそうだから、ほんのちょっとだけ。

 石造りの大きな建物の中だった。薄暗い広間が一方だけ大きく開いていて、そこに荷車が何台も停まっていた。

 荷台から次々と、手枷と口封じをされた人たちが降ろされてくる。ほんの小さな子供もいるけれど、ほとんどはわたしと同じくらい――大人になったばかりの、十五、六歳くらいの人たちだ。みんなわたしと同じ、麻の粗末な服を着せられて、ぐったりと頭を垂れていた。鞭を持った何人ものおじさんたちが、口封じを解きながら、みんなを建物の奥の方へと追い立てていた。


「てめえ、何ぼさっとしてやがる」


 どん、と背中を突かれた。思わず、よろめいてしまう。

 倒れそうになった身体を、別の手が掴んで支えてくれた。


「おいやめとけ。転ばして顔に傷でもついちまったら、値が下がるだろうがぁ」


 支えてくれたのは、さっきの小太りのおじさんだった。お礼を言おうと頭を上げると、脂ぎった鼻の頭がてらてら光っていた。


「おめぇもきびきび動きな。グズはろくなご主人様に買われねぇぞぉ」


 肩を軽く押された。

 手枷をつけられた手を、別のおじさんに強く引っ張られる。

 時々押されてよろめきながら、わたしは奥へ延びる暗い通路の方へ歩いていった。




 ◆ ◇ ◆




 通路の奥から、いくつも悲鳴が聞こえてきた。開きっぱなしの鉄の扉に近づくと、肉が焼けるいやな臭いが、かすかな風に乗って流れてきた。

 扉を抜けると、ランプで照らされた広間に出た。天井が低い石造りの部屋に、いくつもの檻が並んでいて、中には手枷をされた何人もの人が、うつろな目で座っていた。部屋の右と左には人の列ができていて、右には男の人だけが、左には女の人だけが並んでいた。


「行け」


 革鎧の兵士さんに小突かれて、わたしは左側の列に並ばされた。その間にも、悲鳴と肉の焼ける臭いはずっとしていた。

 わたしの前に並んでいたのは、長い金髪の子だった。細い髪の毛がやわらかく波を打っていて、粗い麻の服の上で、ランプの光にきらきら光っていた。綺麗だな、と思った。


「これはまた、ずいぶんな別嬪さんだ」


 上等そうな綿の服を着たおじさんが、言った。おじさんはじろじろと前の子の顔を見て、いやらしく笑った。

 そして突然、前の子の服を肩からずり下ろした。

 前の子が、ひっ、と、小さく叫ぶのが聞こえた。

 裸になった胸を、おじさんが、横の兵士さんが、じろじろと見る。前の子の肩が、がたがたと震えはじめた。


「みない……で……」


 かぼそい声を、聞いている人は誰もいない。


「最高級品だな。娼館の連中がどれだけ出してくるか見ものだぞ」


 おじさんの横には、焼き鏝を何本も小さな炉に入れているお兄さんがいた。おじさんは、お兄さんに向かって片手を上げた。

 お兄さんが、つまらなそうに小さく頷く。

 同時に、兵士さんが前の子の手を引いた。胸をむき出しにしたまま、前の子は檻に向けて引きずられていく。

 ちらりと、前の子の顔が見えた、青い目で、鼻も高くて、本当に綺麗な横顔だった。けど目尻とほっぺたは、涙でぐしょぐしょに濡れていた。


「次」


 声がして、わたしは前に引きずり出された。身なりのいいおじさんが、わたしの顔をじろじろと見た。

 ねっとりした目で、舐め回すみたいに見られて……背筋が、ぞわぞわする。

 やめて、と声を出そうとして、やめた。言ったって、やめてくれるわけない。また叩かれるか、もっとひどいことをされるだけ。


「さっきのよりは落ちるが、顔は悪くない」


 悪くない、と言われて、なんだかちょっと、力が抜ける。

 けど、次の瞬間。

 おじさんは、わたしの麻のぼろ服を、肩からずり下ろした。


「…………あ」


 それしか、声が出なかった。

 わたしの腰から上が、むき出しになる。一目見て、身なりのいいおじさんは顔をしかめた。


「傷モノか」


 汚いものを見る目で、吐き捨てる。

 そうだよね。

 わたしの肩から脇腹には、小さい頃のケガの痕がある。引きつれて紫になってる、こんな大きな傷があったら……傷モノだよね、うん、わかってる。ごめんね、こんな醜い身体で。


「これでは値が付かんな……娼館に安く卸すか、最初から下働き用で捌くか。どっちにしろ等級は」


 おじさんが、何か指で形を作った。お兄さんが、つまらなそうに焼き鏝を一本手に取った。

 兵士さんに、腕を押さえつけられた。

 左の肩に、焼き鏝が、押し付けられた。


「や! あ……いゃ……」


 思わず出てしまった声を、必死で押し殺す。

 熱い。

 痛い。

 肉の焼ける嫌な臭いが、立ち上ってくる。

 身をよじろうとしても、押さえつけられて動けない。熱いものが、さらに強く押し付けられる。


(やだ。助けて……誰か――)


 心の中だけで、叫ぶ。

 わかってる。

 こんなこと思ったって、無駄だってこと。

 わたしを助けてくれる人なんて、この世に誰もいないってこと。

 ようやく、熱いものが離れてくれた。それでも肩はずきずきと熱をもって、どうしようもないくらい、痛かった。

 ぽろぽろ涙が落ちてくる。兵士さんが、わたしの右腕を掴んだ。けれど、どうしてか足に力が入らなくて、わたしはその場にうずくまってしまった。

 痛いよ。

 苦しいよ。

 悲しいよ。

 寂しいよ。


 誰かの足が、わたしを蹴る。


「早くこの不良品を、向こうへ連れていってこい」


 誰かの手が、わたしを引っ張って立たせようとする。


(……ねえ、誰か。誰か)


 いるわけのない誰かに向かって、心の中だけで呼びかける。

 誰か、わたしにやさしくして。

 叩かないで。

 枷をしないで。

 口封じもしないで。

 ひどいことを言わないで。

 焼き印を押したりしないで。

 ただ、そっとしておいてくれるだけでいい。

 だから、誰か、誰か――


 そう、わたしが思ったときだった。


「あなたがた、ちょっとよろしいかしら」


 どこからか、女の人の声がした。


「何者だ」


 男の人の――たぶん兵士さんの声が、広間に響き渡った。


「あら、その態度はないじゃありませんか。私は取引に参りましたのに」

「いずこのお嬢様かは存じませんが、ここは市場ではございませんよ」


 身なりのいいおじさんが、どこか嫌味を含ませた口調で返事をする。


「買い付けをご希望なら、国境を越えて市場までお越しくださいませ。売り出しは三日後です、今はまだ目録も用意できておりませんゆえ――」


 くすくすと、女の人が笑う声がした。


「ここの奴隷、全部私が買い取ります。と言ったら?」

「……な」


 びっくりして、わたしは顔を上げた。

 空きっぱなしの鉄扉の前に、三人の人が立っている。二人は女の人、一人はとても大柄な男の人だ。みんな上等そうなフード付きの外套を着込んでいて、喋っている小柄な女の人だけが顔を出している。長い黒髪が、ランプの灯りにつやつや光っていてとっても綺麗だ。あとの二人はフードを目深にかぶっていて、どんな人なのかわからない。


「お言葉ですがお嬢様。わたくしどもは既に、あちこちの取引先と納品の契約を交わしております。市場に出すのはごく一部。売約済のものまで見ず知らずの方に流すわけには――」

「金二百枚出す、と言ったら?」


 女の人は、懐から大きな革袋を取り出した。中に手を入れて、無造作に中のものをひとつ取り出す。十字の星形を二つ重ねた紋章が刻まれた、きらきら金色に光るコインが、親指と人差し指でつままれていた。


「正真正銘の西方デュシス金貨二百枚。耳を揃えて今すぐ出せますわよ」


 おじさんが、息を呑むのが聞こえた。

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