第7話 幕間 天使と悪魔の異世界問答

 ――悪魔や天使から見て、世界とは職場である。


 そして神とは上司であり、それに縛られるのを良しとするかしないかによって、呼び名が変わるだけ。

 仕事は断らないが好きなようにやりたいのが悪魔で、

 仕事を断るなど考えもせず、神の御心に従うのが天使だ。

 ちなみに精霊は……よくわからない。あれはそもそも仕事しているかも怪しい。


 ……と、少なくとも、『彼女ら』はそう思っている。

 神なんだから悪魔に言うことを聞かせるのが実は造作もないかもしれないが、悪魔的にはそういうのを考えない。

 神なのだから本当は天使を作る意味すらなかったのかもしれないが、天使としてはそう言うことを考えたりはしない。

 今回の仕事は彼らをこの世界に連れてくることだった。だからそうした。

 あとは彼らが死んだら報告するだけ、それが彼らの仕事の、はずだった。


「……」


 横転した『バス』と呼ばれる巨大な乗り物を見ながら、悪魔は二人から少し離れた木陰に腰掛けていた。

 別に目を離してもいいのだが、なぜかその気は起きなかった。


「悪魔。質問します。何をしているのですか?」


 そこへ声。声のしたほうを向くまでもなく、天使だった。

 どうやら受肉を解いたらしく、霞のように透けて見える彼女は見覚えのある姿だ。

 長い金髪に白いワンピースに白い肌、そして、背中からは天使の羽、蔦を編んだ靴。

 人間の少女に似ていて、しかしその大きな瞳は蒼くほのかに明るくて、網膜が幾何学模様を描く人外。

 瞬き一つせず自分を見つめるその姿を見て、相変わらず人に似せる気がないな、と悪魔は思った。


「……せっかくだし、異世界人を見ておこうかと」

「不可解です。そのような行為を、思考を読み取れる悪魔が行う理由を……撤回します。推測及び、理解しました」

「情報が複雑すぎまして」

「予測との合致を確認しました」


 悪魔や天使にとって、人間の心、思考を読むことは造作もない。

 しかし、思考を読めたところで、言語を理解できたところで、その意味を理解するには至らない。

 例えば今『レンズがあれば火を起こせたかもしれないが、シガーライターや100円ライターがあれば尚いい』

 と人間が考えているとして、悪魔からすればレンズはともかくとしても、シガーライターと100円ライターの意味が分からない。


 さらに脳を読んで、シガーライターや100円ライターに関する情報まで読めば問題ないが、そこまでするとお互いに脳への負荷が大きすぎる。

 だからこそ『彼』のチートは読めなかったし、そもそもあの時は言語を正しく理解・発音するためにリソースを裂いていた。

 なんでさっきもっとしっかり彼を読んでおかなかったのか、と後悔しなくもないが、なぜかそこまで悔しくはない。


「確認します。貴女の感情を言語化した場合、『難儀』と認識しました」

「難儀……ですかねえ」


 思い通りにいかないこと。それに対して憤り・不満を覚えること。

 確かに、この状況はそういうことなのだろう。

 そして問題は、これからどうなるかだ。


「そして、今後の動向を確認します」


 などと思っていたら、意外なことに天使が話を進めてきた。


「え?」

「私は、契約し、受肉した悪魔が今後どうするか、興味があります。ゆえに、確認します」

「興味?」

「『予想外である』というニュアンスを確認しました。今後の動向と合わせて、説明を求めます」

「いや、天使が興味を抱くってのが珍しいと思っただけですよ。今後の動向は……あの人間たち次第でしょ」

「回答を確認しました」


 そもそもなんで聞くんですかね、と悪魔は思ったが、面倒なので尋ねるのをやめた。


「逆に、お前はどうするんです?」

「私の役割は、契約した彼女の観測及び補助です。よって、それを継続します」

「おや意外ですね、お前を排除します、って言われるくらいの覚悟はしてましたが」


 天使と悪魔は不倶戴天、というわけではないにしろ、決して仲のいい存在でもない。

 しかし天使は無表情に、ふるふると首を横に振った。


「その意見は否定します。その行為に意味はなく、また、貴女の抵抗を想定した場合、私達の力は拮抗しています」


 白い白磁のような肌。

 両手の人差し指を合わせて、天使が言う。


「意味がない?」

「世界の不具合は、最終的に『神』によって正しく調整されます。よって、私達の行為に意味はありません」


 くっつけていた指先ををぱっと話して、言葉を続けた。


「……まあそれはそうですけども。神様、寝てますよ?」

「それは私の説明における理屈を否定しません。神の起床後、同様の理屈は通用します。つまり現在も、私たちの行為に意味はありません」


 別に自分達から動かなくとも、最悪神様が何とかする。

 なんせ全知全能、今回の『暇つぶし』をプロデュースした神様に、自分たちがすることなど何もない。

 まして、頼まれてもないのに悪魔と戦うなんて、天使からしても意味がないのだ。


「意味がない……そうなんですよねー」


 死にそうだった異世界の人間を二人連れてきて、説明を済ませて、それでおしまい。

 あとは成り行きに任せればいいはずなのに、なぜか悪魔は人間二人から目が離せない。


「質問します。不安、ですか?」

「不安……? いえ、何も不安なんて……」

「であるならば、あの人間を手伝うことを推奨します」

「……え?」

「繰り返します。手伝うことを推奨しました」

「えっじゃあ……私も干渉してもいいってこと、です?」

「……含意を確認できませんでした。受肉および契約までした悪魔が、干渉を否定する理由の説明を求めます」


 その言葉に、きょとん、とした顔でたっぷり五秒、悪魔が動きを止めた。


「……意外でしたね。もう少し天使って堅苦しいかと」

「堅苦しい、という言葉の意味を理解できません。そして誤解を確認しました。私は、悪魔であるあなたを止めません」

「本当ですか? まさか天使に悪魔がそそのかされるとはね」

 笑いつつも、内心では天使を疑う悪魔。

「懐疑を確認しました。説明します」

「何をです?」


「人間並びに悪魔の行為に、私は何の感情および感想も抱きません。よって、変化でさえあれば、私はそれを是とします」


 そのセリフで、

「くす。なるほどね、わかりましたよ」

 悪魔もまた、理解した。

「?」

「ふふっ……いえ、貴方も『退屈』してるんだなって」

「……え? 確認します。私が……退屈?」

「ええ」

「私が……退屈……?」


 きっとその顔にもっと表情があれば、天使もきょとんとしていたことだろう。

 けれどそれを誰かに見せることもなく、天使はそこで煙のように姿を消した。


「恥ずかしがりやさんですねえー。まあどうせすぐ会えるでしょうけど」


 そして悪魔もその場を離れようとして、


「……ん?」


 ぴくぴく、と耳が動く。


「これは……あ、そうだ! いい事思いつきました!」


 心底楽しそうに、そう言った。

 この時悪魔が思いついた『いい事』は、まだ神すらも知らない。

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