3-5

 週末を挟み、休み明けから名塚かおりへの接近は始まった。

 その日はなんてことない、ただ憂鬱な月曜日であった。気がかりはホームルームで副担任の先生が来たことくらいで、あとは平凡でありきたりな幕開けだった。

 だからこそ、俺は油断していたのかもしれない。水面化で動いている事態に、想像を働かせることができなかった。


 名塚かおり。

 成績はそれほど優等生でもないらしい。日頃の行いは規則正しい反面、昼は購買で済ませることがほとんどだという。臆測ではあるが、彼女は正義を体現するよりも、思考が正義に染まっているのだ。イジメなんて行為を目にした日には、率先して前に出るに違いない。名塚かおりについて説明する情報屋に苦い顔をさせるのだ。見た目で決めつけてはならないのだと、前もった情報が伝えていた。


「あい、三二○円ね」


 スティックメロンパンと焼きそばパンを手に持って、俺は人混みから抜け出した。生徒昇降口に隣接するホールでは、昼になると四角いトレーが並ぶ。叔母さんの手によって数種類の惣菜パンが生徒の手に渡り、その数だけ金銭のやりとりが生じる。

田舎の高校といえば。こんなものである。購買といえど、規模は些細なもの。それでも生徒の懐事情には優しいため、客足は絶えない。

 俺はそっと離れると、ホールの昇降口側……人気の少ない方へ避け、壁に背をつけた。そしてそこそこ並ぶ列を眺める。

 件の少女が現れるのを、さも「友達と待ち合わせしてる」という風な顔で待つ。

 そんな俺のとなりで、サングラスをかけた変人が喋った。


「まだ彼女はいないみたいだねぇ」

「おい。なんでついてきたんだ」

「面白そうだから」

「馬鹿なのか」

「ひとりだと寂しいだろうなーって思ってきてやったのに、それはあんまりじゃないかい? ミカミ少年」


 くい、とサングラスを掛け直す情報屋。周りの生徒は興味がないのか、それともただ単に近寄りたくないのか、見向きもしない。なるほど確かに、情報屋は売れないミュージシャンの素質を発揮していた。


「来たらしまってくれよ」

「合点」


 なんだそのキャラは。ブレブレじゃないか。いやもう諦めてるけど。

 俺はため息を吐き、改めて視線を横流しに眺めた。人の通りは徐々に減ってきていた。俺たちが遅れてやってきたことも関係するだろうけど、長々と待つ生徒たちは友人と談笑し合い、スマホで時間を潰していたりとさまざまで、列は続いている。

 その中に、彼女はいない。

 そのまま十分ほどが経過したころ、徐ろにサングラスを外した情報屋は、ひとつの懸念を代弁した。


「今日はこないかもな。もしくは、すでに教室で得物にかぶりついてんじゃねぇか?」

「……情報屋が聞いて呆れる」

「ばっかお前、オレぁ情報屋であって預言者じゃねぇんだぞ? 百発百中だったら、今頃オレは億万長者だろうが」


 そうだね、と軽く流し、ふぅと息を吐く。そして歩き出した。足音は当然のように背後をついてくる。


「いいのか?」

「こないんだろ。ならここにいる意味もない」


 生徒玄関を横切って、どこで昼を過ごそうかと思案しながら。俺はふと省みた。

 ……滑り出しがうまくいかないことだってある。それは承知の上だった。傍らに魔法使いがいたあの頃とは何もかもが違う。

 昔、どこかで読んだ何かの本に、こんな問いがあった。

 守る者と取り戻そうとする者、どちらが強いだろうか? と。

 その本の中に記された答えを、今となっては思い出せない。答えらしい答えが出てきたのかすら不明。

 でもセリフだけは記憶の隅っこにこびりついていて、事あるごとに自分を当てはめて考えてしまう。

 今の俺は、きっと後者だ。

 取り戻そうと足掻くもの。個人的な見解を述べさせてもらえば……きっとソイツは、弱い。かつての俺がどれだけ満ち足りていて、強かったか。すべて手遅れな今更になって、自覚が首を締め上げる。

 何が言いたいのかというと、上手くいかなくて当然ということだった。

 きっと――魔法使いは幸運の象徴だった。

 あらゆる幸運をたぐり寄せる、強欲で綺麗な魔女だった。それを失った俺がこんなスタートを切るのは当然な気さえしてくる。

 陰気に落ち込みながら。とりあえず飲み物を、と渡り廊下に踏み出した。

 そのときだった。


「──、」


 ぞくりと、背筋に冷たい何かが走った。

 初めてではないこの感覚。だが以前のソレよりずっと大きい。

 カラダを強ばらせて、思わず足をとめてしまう。風通りがよく、普段は気持ちよささえ感じられたのに。今は真逆の、粘つく空気に感じられた。


「? どうした? 行かねぇの?」


 脳天気な声が左耳から右耳に流れていく。

 購買はあらかた売れきって、片付けに入っている頃合いだ。渡り廊下を歩く人影はなく、俺と情報屋のふたりだけ。さして変でもない。

 だというのに、鋭く警戒してしまうもうひとりの自分は、それすらも「怖い」と感じてしまっていた。たまたまを、偶然で済ませていいのかと疑ってしまう。それほどまでに過剰な反応。


「おい、大丈夫かアンタ。顔色わるくなってんぞ」


 肩を掴んで、少し乱暴に揺らす情報屋。そいつの顔も声も、満足に処理してくれない頭だったが――懐の宝石が、引っ張るみたいに背中を押した。


「お、おい!」

「……」


 言葉もなく、俺は歩き出した。

 早歩きで、ヅカヅカと。鏡をみなくとも、自分が怖い顔をしているのがわかった。


「どこ行くんだよ!」


 張り上げた情報屋の声に、俺は被せるように振り返る。


「静かに」

「っ、?」


 おどけた様子を見せて、情報屋は静かになった。

 俺が踵を返すと、何も言わずついてくる。


 宝石が脈打っていた。

 熱い。

 冷たい。

 温度については判別がつかない。震えているだけなのか、俺の手に力が入ってしまっているだけなのか。どちらにせよ、宝石は感じ取っている。

 行け、と導いている。

 誘われるままに向かったのは、先日も訪れたプール横の用具庫だった。辺りに人影はなく、倉庫の扉のまえに立つと、俺は躊躇せずに開けた。


「……なにも居ねえじゃん」


 相変わらず埃っぽい。砂と入り混じった匂いがする。前に来たときにはなかった菓子パンの袋が、無造作に捨てられている。

 間違いない。ここにいた。


「次だ」


 俺は用具庫をあとにした。貴重な昼休みに、俺は神経を鋭くして歩いた。砂利の上も容赦なく上履きで踏み締めた。

 ゴミステーションまできた。用具庫から南へ進み、校舎の角を曲がったところだ。清掃の時間には、学校中のゴミ袋がここへ集められる。今は誰もいない。


「次」


 また巡る。そこまで遠くはないと直感が告げている。宝石の震えと緊張感だけを頼りに、だけど確実に、俺はポイントを潰していった。

 そして、四箇所目。


「……、───、─」


 校舎の構造上、逆L字になっている隙間。茂みを乗り越えて、植木が密集する影から、話し声が漏れていた。

 見つけた。


「この声……」


 情報屋は気づいたようだ。名塚かおりが購買に現れなかった理由が、今なら理解できる。

 そっと、俺と情報屋は物陰から様子を伺った。幸い、ここは身を隠すには十分だ。気づかれる心配もなく、俺は二人――いや、一人との会話を目撃した。


「あなたはいい人ですよ。あなたの授業、好きでしたからね」


 俺は目を凝らして、そして見開いた。

 名塚かおりが対峙しているのは――巨大なだった。

 青と黒、白の斑点が散りばめられた、人間の身長をゆうに超えるであろうアゲハ蝶が、尻餅をつくような大勢でそこにいた。あまりに現実的でない光景に息が詰まり、懐かしくも苦々しい感覚に陥る。

 その蝶に向かって、険しい表情で話す女生徒。冷たい眼差しと声音に込められているのは、落胆と、敵意。


「ですが、あたしは正義を執行しなければならない。例え尊敬すべきみどり先生でも、容赦はできません」


 身体を硬直させる。息が止まる。

 今、なんと言ったのだろうか。

 耳を疑っても、刻まれた記憶が間違いではないことを伝えてくる。確かにいま――、


「……ッ」

「(待てっ!)」


 飛び出そうとする情報屋の口を咄嗟に押さえつけて、俺は囁いた。


「(落ち着け! 行くな情報屋!)」


 感情に突き動かされ、今にも暴れ出しそうな瞳が、俺に訴えた。どうして止める、と。

 状況など微塵も理解できていないだろうに、彼は先生の助けに入ろうとしていた。蝶の姿になっていようと関係ない。彼のなかにある優先順位がそうさせている。

 だが、俺は奥歯を噛み締めて首を振った。


「まぁ、不幸中の幸いというところですかね。よかったじゃないですか、先生。蝶ですよ、蝶」

「……、……?」


 蝶――みどり先生が、ずりずりと後ずさる。人間だったころの面影すらない足が、折れ曲がっていた。よく見ると羽根も破けていて、飛べそうにない痛々しい状態だ。幼い頃に神社の地面でみかけたような、ぼろぼろの蝶を思い起こさせる有り様だった。

 名塚の足が、追い詰めるように踏み出す。


「あの女に変えられた他の生徒は、どいつも醜かった。それとデカかった。心は傷んだけど、自分の役目は正義の体現者として対処すること。だから、消しました」

「っ!」


 先生は弾かれたように飛びついた。名塚よりもよっぽど背が高いはずなのに、今はとても小さくみえる。チカラ関係が丸わかりだった。

 狩るものと、狩られるもの。目先には一目瞭然な関係が成り立っている。

 ……やはり直感に間違いはなかった、ということなのだろう。


「あははっ、まるで心配する親みたいな顔しますね。すごい、化け物になったのにそんな表情できるんだ」


 関心しながら、名塚は足で突き飛ばした。羽根の生えた身体は想像以上に軽く飛ばされて、木の幹に背中をぶつかる。

 腕の中で暴れる情報屋を押さえつけて、俺は目を細めた。

 わかっている。わかっているんだ。お前の言いたいことは。

 助けないのか、助けさせろ、そう言いたいんだろう。

 だが、今飛び出せばきっと消されるのは俺たちの方だ。もはや名塚が宝石を持っていることは明白だ。そして宝石があるのなら迂闊に動いてはならない。どういった代物なのか定かではないが、コレにはそれだけの影響力がある。現実なんて簡単に捻じ曲げて、より残酷な魔法を溢れさせるかもしれないのだ。

 だって、人を虫に変える魔法は、すでに使われているのだから。彼女の言葉ですべて理解した。

 なら俺が宝石を使えばいいではないか。

 心のどこかに、そう諭すもうひとりの俺がいた。ひどく生意気で向こう見ずなやつだった。馬鹿な物言いでからかいながら話していた先生を、あの生徒思いなだけの憐れなみどり先生をここで見捨てるくらいなら。ここで魔法を使ってしまえと。

 ぎり、と奥歯が鳴る。

 どうする? どうしたらいい? たった一瞬の自問自答が、答えを導き出した。


「……っ。」


 出しかけた宝石を、ポケットの奥にもどす。

 罪であると自覚しながら、俺は踏みとどまることを選んだ。あまりに大きすぎる代償だ。夢を諦めることと、命を諦めること。天秤にかけてどちらに傾くのか。

 そう時間はかからなかった。

 情報屋を抑える腕に、チカラをこめる。覚悟をきめて、瞬きを忘れた。どこかでもう一人の自分が肩をつかんだ。

 観察しろ。目を離すな。すでに道は定められた、過ちを過ちにするな。貫くのであれば、必ず俺は成し遂げてみせる。


 だから。見極めろ――。


 ここまで来て、待って、探してきたんだ。やっと見つけた一筋の光なんだ、この宝石は。らしい手段も見つけてもいないのに、断念するというのはあまりにも虚しい。非道に徹してでも為さなければならないことが、往々にしてやってくる。今日この瞬間こそ、決意に身を投げるときなのだろう。

 俺はこれまで何度も後悔してきた。あの日々を続けさせるために、もっと何かできたのではないか? 自分がなにかを起こせば、結末は変わっていたんじゃないか? すこし異なる道を歩んでいれば、今も魔女は生き存えることができていたんじゃないか?

 脳内に駆け巡る感情が訴える。間違えるなと指をさす。煩い自分にフタをして、俺はじっと前方に視線を固定した。

 今度こそ、水の泡にはしたくない。

 諦めるようでは夢のまた夢。俺は自身が黒い憎悪に焼かれても、目的のために意志を曲げてはならない。

 たとえ、当の本人に嫌われるとしても……!


「じゃあね。先生」


 掲げた手には、宝石が握られていた。ソレを目にした途端に、背筋にぞくりとした悪寒が走る。

 俺の持つ宝石よりひとまわり大きく、角ばったところが大きい歪な形をしていた。日陰でも輝いてみえるソレは現実にあってはならない代物だと、直感で理解する。俺の懐で共鳴するものと同様、魔法の込められた奇跡の呪いと相違ない。

 口が乾く。

 反射的に踏み出そうとする自身の足をすんでのところで押しとどめながら、高鳴る心音の波を耐え凌ぐ。


 罪だ。

 俺は罪を犯す。

 夢のために。願望のために。自分のために。

 痛む心だって一瞬だ。人の心はつよいのだから。


 そう言い聞かせて、見殺しにする俺の耳に、容赦のない声が届いた。


「恨むなら、あの女を恨んでね」


 震える宝石。

 漏れ出る光。淡く幻想的な色は、名塚の手のひらを包み込んで白く発光させた。

 怯えるように足を引き摺る先生。だけど背中の幹に阻まれて逃れる隙はない。

 ゆっくりと迫る名塚。

 目を離せない俺と情報屋。

 現実からはじき出された先、当然の出来事をたやすく塗り替える一瞬を、俺たちは見た。


『――! ッ、……ギ、ッ、ぁ』


 直視してしまった。

 名塚の腕が掴んだ、蝶の顔から。焼け焦げて脆く砕けていくその様を。

 掠れたバイオリンみたいに歪んだ断末魔がノイズのごとくかき消されて、同時に鉄板で焼いたような音と鼻を突く匂いが襲う。ひどく人間味のある、けれど人間の発したものとは思えない悲鳴。蝶はびくびくと四肢が暴れるも、すぐに動かなくなって、あとは作業のようにあっさりとした工程が死の余韻を残す。余すことなく、蝶はボロボロと輪郭を失い、蝶の羽根もろとも崩れ去っていく。その過程は、手順を無視した火葬に似ていた。

 今の今まで生きていたのだと説明されても納得できない。彼女はもう死んだのだと説明されたって理解できるはずがない。何もかも受け入れられないまま、みどり先生は命を散らした。

 最後には。

 細い触覚だけが残り、地面に落ちた。拍子に黒い砂が弾け飛ぶように散らばって、俺と情報屋は言葉を失ったまま放心していた。




「どうして止めたッ!!」


 ガンっ、という衝撃に見舞われた。俺は俯いて、ただ情報屋の正当な怒りを受け止めていた。

 気づかれないように離脱、できるだけ離れたところまできた俺たちは、三階西階段の踊り場にいた。

 三階の西側には調理室と音楽室しかない。用事がなければ、生徒もほとんど寄り付かない場所だった。それをいいことに、情報屋が声を張り上げる。


「みどり先生がッ! 救えたかもしれねぇだろうが!!」

「……は、はは。情報屋の告白、けっこう本気だったんだな。ちょっと見直しヴッ」


 胸元を掴まれる。

 会って間もないが、情報屋が本気で怒っていることだけは伝わる。ここまで直接的に感情をぶつけられるのは初めてかもしれない。強がりで笑ってみるものだなと、俺は不謹慎なことを思った。


「訊きてぇことは山ほどある。なんであの場所がわかったのか、なんで先生があんな姿だったのか、名塚かおりが使っていたアレはなんなのか、テメェらはなにを隠しているのか、まだまだ数えきれねぇほどある。けどな」


 だが、耐えられないのだろう。そんな大事なことよりも、優先しなければ気が済まないのだろう。


「どうして助けなかったのか、それが一番気に入らないんだよッ!!」


 ぶん、と投げられて、俺はつんのめる。キュ、と上履きのゴムを鳴らして、体制を整えた。

 こんなときだというのに、俺は未だに笑みを浮かべていた。

 その強がりがさらに神経を逆撫でするのか、情報屋は怒り心頭だった。

 ああくそ、まだ昼も食べてないのに。やはり単独で終わらせるべきだった。部外者の情報屋は突き放して、すべて俺だけで完結すべきだった。もう後悔しても遅いが。

 ……なら、せめてもの詫びだ。

 俺は少しだけ肺に息を取り込んで、吐いた。淀んだ空気を、己の後悔とともに声に乗せた。

 普段はほとんど口にしない感情が、言葉になった。


「わかるよ」

「あぁ!? 何が――」

「大切な相手が、なす術なく消える虚しさ」

「……は、」


 情報屋の動きが止まる。荒げた息遣いだけが届いた。

 俺は構わず続ける。


「まえに、訊いただろ。『だれのためにオレを尋ねたのか』って」

「……」

「なら、あのときの返答の意味も理解しろ。俺が先生を見捨てた理由に納得はできないだろうけど、ちゃんと関係してるんだ」


 情報屋は黙り込んで、悔しげに拳を震わせていた。

 殴れば気分は晴れる? いいや、そんなことはない。さらに大きな虚しさとやるせ無さが去来してくるだけだ。それを悟れない情報屋ではない。


「情報屋。君はこっちの世界を知らなすぎる」


 綺麗で残酷。表裏一体のこちら側は、たしかに魔法使いが評したように「それほど綺麗じゃない」ものだった。魔法は何かを与えてくれる限りではないのだ。

 彼はまだ、それを知らない。怒りに震えるのは分かるけど、他人――こと俺に対してすべてを理解することはできない。彼は、俺の中における魔法使いの重要さなど露ほども知らないのだから。

 もちろん、先生と魔法使いを天秤にかけた結果など、言わずもがな。


「くそが、くそがくそがくそがっ! なんなんだよ……」


 ダン、と壁を叩きつけて、情報屋はすぐに脱力した。頭を抱えた。失恋とも違う、深い絶望に打ちひしがれているようだった。

 人気のない階段は、喪失に心を痛める俺たちを責め立てるように、沈黙を深めさせた。つい先日くだらないやりとりをしたみどり先生は、もう取り戻せない。名塚の持つ宝石の恐ろしさを目の当たりにして、自分は顔には出さないものの、内心では戦慄していた。今もなお、鼓動が騒がしかった。


 化け物――人を消す魔法。

 この小さな宝石に込められた可能性は、触れてはならないと思わせるほどの呪いだ。少なくとも、彼女の持っている宝石はそういう類。使い手によっては杖代わりにも銃代わりにもなろう。

 しかしその在り方は、俺の知っている『魔法』とはほど遠い。

 かつて魔法使いが使っていたものとまるで別物。感動はなく、得るものもなく、ただ不要と断じて切り捨てるだけ。であるのなら、それは何ら凶器と変わらない。魔法らしい神秘性もない上に、ただ相手を文字通り消すための道具だ。魔法と呼ぶのもおこがましい使い方だ。

 ……魔法使いの言葉は、やはり正しかった。

 彼女が自身の命をもって証明した、魔法の恐ろしさ。避けられない死という寿命。魔法に身を費やした末路とその絶望を、俺は忘れない。あの日突きつけられた、綺麗なだけではない醜さが、今はまざまざと感じられる。

 灰色の曇り空が、どうしようもない喪失感を突きつけている。どんよりとした空気は、先生が死んだ一日を負の色に染め上げる。


 午後の授業はとても空虚で、説明のひとつも頭には入ってこなかった。

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