3-4

〈4〉→〈3〉


 悩みというほどの悩みは、思いつかなかった。

 以前のワタシであれば、まずは優等生としての振るまいで謙遜をみせてから、仕方ないとばかりにこぼしていたであろう不満が、今改めて問われると出なかった。


「だから、ね? 教えてくれませんか? 困ってること何でもいいの。先生はあなたの味方だから」


 『味方』、と頭で反復する。

 味方という表現は、とても便利な言葉だと思う。響きもずるい。大人は寄り添おうとするとき、決まってこういう甘言を口にするのだ。ときおり「そういうマニュアルでもあるのか」と疑ってしまうほど、上手に話すのだ。彼ら彼女らの頭にある辞書は、きっと付箋で一杯なんだろう。

 ワタシは歩きながら、思考を巡らせた。

 数歩うしろをかつかつとついてくる先生は、最近なにかと気に掛けてくれる教員だ。自分のクラスは特段関わりがないけれど、現代文を担当しているんだとか。そのほとんど他人のようであった先生は、どうしてか積極的に話しかけてくる。しつこささえ感じられるくらいに。


「先生はどうしてワタシを気に掛けてくださるんですか?」

「えっ」


 歩きながら、何度目かの質問を繰り返した。

 すでに耳にした答えだろうと、ワタシは時間つぶしのために再度問いかけた。相談ならちゃんと聞きますよ、とでも言いたげな態度から解放されるなら、同じ会話をする方がまだマシに思えたから。


「ま、まえにも言ったでしょう? 毎日遅くまで居残って作業してるって聞いて……心配なんですよ。最近なにかと物騒だし」

「物騒、ですかぁ」


 確かに物騒だ。

 在るべき姿に変えてあげた生徒たちが、ことごとく殺されてしまったのだもの。この学校には、ワタシ以外にも恐ろしい悪魔がいらっしゃる。まあ、あの女たちがいなくなるのならそれはそれで清々しいけれど。


「大丈夫ですよ。ワタシこう見えて優秀ですから。成績も問題ありませんし、居残りしてまで作業しているのも、クラスの皆んなのためなんですから。それに、物騒だなんて言ってますけど、最近なにかありましたっけ?」


 振り向き、笑顔で首を傾げる。

 すると案の定、先生は苦い表情を浮かべた。


「えっと、それ……は、」


 言えるはずもない。生徒が消えていることなど、まだ正式な公表もしていないのだ。教頭先生あたりから口止めでもされているのだろう。

 コレが学校側の判断として正しいのか、そうでないのか。自分にとってはどうでもいいこと。でも、ひとりの生徒だけ消えたのならともかく、立て続けに何人もの失踪が続けば慎重にもなろう。大きな被害は、より大きな混乱を生む。学校が世間から注目を浴びてしまう事態を避けたい気持ちもわかるつもりだ。

 しかしながら、この先生は違う。


「ふ、不審者の目撃情報があるし、被害に遭いかけた生徒もいます。何にせよ、大人が危険と判断したから部活動は禁止になったんですよ。いえ、部活動だけではありません。あなたみたいに部活動よりも他人のことを思いやれる、真面目でちゃんとした生徒だからこそ、心配なんです。わかって」


 みどり先生という人は、よく言えば生徒思い、悪く言えばまだ平和ボケしている教員だった。

 何よりも生徒の安全を考えて行動を起こしている。そこには彼女なりの直感めいたものも働いて、判断を導き出している。逆に大人の視点からみた先生は愚かにも移るだろう。

 学校を運営するにあたり、先生のある種向こう見ずな行動は妨げになる。

 諦めが悪く、筋が通っていて、理想の像にちかい。だからこそ、先生はワタシにとって煩わしかった。


「わかりました」


 笑って振り向く。

 心底心配そうなその仮面に、言ってやる。


「じゃあ、軽くでいいので相談に乗ってもらえますか? 実は悩み……といえなくもない事はあって」

「……!」


 先生の顔に、安堵と小さな喜びの感情が見え隠れする。

 その様が、ワタシには良い人ぶっているようで癪に障る。ワタシの周りには狡猾で薄汚い人ばかり。心を読めない人類は、表層に現れるモノで推し量ろうとする生き物。貼り付けられる仮面には欺瞞が詰まっていて、とても信じられない。いくら人当たりの良い先生だろうと例外ではなかった。

 それに。

 いい加減このしつこさにはウンザリしていたところだ。大人を試すというのもまた一興だし、これであの暴力的な宝石使いに一泡吹かせることができるのなら一石二鳥というもの。

 ワタシは悩める生徒の顔をして、悪魔の牙を覗かせるように微笑んだ。


「ありがとう……! ええと、ちょうどこの教室が空いてるわね。すぐに済ませるから」


 言うが早いか、先生は手近にあった空き教室へとワタシを促す。ワタシは人当たりの良い笑みを保ったまま、後に続く。


 その日。

 人気がなくなった校内の一画から、まばゆい光が漏れ出したのだった。

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