3-2

「で? そのとっておきの情報はどこにあるんです?」


 ふくれっ面で、みどり先生は言った。

 俺が何も言わず微笑むと、ただでさえ落ち込んでいる機嫌がさらに落ち込む。苛立たしげな目を俺と――後方で目を輝かせる情報屋に配る。

 いつものごとく、他の教員は準備室にいなかった。校内の見回りに出払っているのか、それともただ単に、書類の山相手にパソコンを叩く先生を気遣ってのことなのか。真相はわからない。孤独に仕事をこなしている先生はジャージ姿で、俺は内心で「好都合だ」とほくそ笑む。

 放課後だから。今日から部活動は禁止だから。今は他に誰もいないから。そんな理由からか、予想通り普段とは異なる容姿でネタは働いていたのだった。

 みどり先生はいつもどおり、未だに残っている俺たちのことを咎めもせず、とっておきのネタ認定されたことに憤りを見せた。


「私のことですか!」

「はい」

「はーーー言ってくれますねこの不真面目くんは! 見てわからないですか、私忙しいんですよ!」

「だから、俺にも一応名前が」

「白紙で出すあなたに呼び名などなくて結構です!」


 何度かなぞった会話だった。どこか当たり散らすようでもあった。けれどちゃんと聞く姿勢になるあたり、この先生は憎めない。咎めて「帰れ」と一蹴することは容易でも、そうしないのは彼女の優しさゆえ。俺の中だけの話ではあるけれど、これこそが他の先生と一線を画すところでもあった。

 振り返ると、情報屋が笑いを堪えていた。

 「どうした?」と問うまでもなく、みどり先生の真実の衝撃に耐えているのがわかる。

 とっておきのネタ。普段は清楚でしっかりしていて、まるで理想を冠する佇まい。スラリとした足で廊下を歩けば、控えめな香水の香りを振り撒く。幾多の男子を虜にし、逆に数多の女子に嫌われる。まさに美人教師の体現。その裏の姿がこれだ。


「ははははははははははは! こりゃ、またとんでもない爆弾を隠し持ってたなアンタ!」

「誰が爆弾ですって!?」

「般若みたいになってますよ、みどりセンセ」

「あなたはいつもみたいにオブラートに包みなさい! 私もレディーなんですけど!? なんで肝心なときだけストレートなの! 遠回しにサクッと刺すあなたはどこへ行ったの! 今のはグサリよ!」

「いやはや、準備室の守護者は恐れ多い」


 そう言って、俺はくっくっと笑う連れに振り返った。情報屋は表情で、「合格点だ」と語っている。名塚かおりの詳細な情報をもらう対価としては十分らしい。ひとまずは良しとしよう。

 情報屋は生徒の恋愛相談を受け持っている。対するこの教員はというと、人知れず女子たちに悩みのタネを植え付けてしまう罪な女性だ。間接的とはいえ、情報屋にとってみどり先生の存在は大きかったに違いない。相談にくる女子のどれだけが「みどり先生が」と口にしただろうか。もしかしたら「あの女の秘密を教えて」なんて縋った生徒もいるかもしれない。男子は少しでも近づきたいがために。女子は少しでも遠ざけるために。

 この学校に蔓延している裏のドロドロとした恋愛事情を、情報屋はだれよりも鮮烈に味わっている。

 ……それだけに、


「先生これなんスか?」

「ちょっとあなた! それ私のお夜食なんだから触れないで! 大人の権限を行使してもいいんですよ!」

「お、結構でかい箱だな。重みもある」

「ちょっ、あーーーーーーーっ」

「これは……カップラーメン、とスルメ? え、学校にスルメ? あっははははははははははははは!」

「なんなのこの子……」


 助けを求めるように、先生が俺を見た。連れてきた張本人ゆえに、すこし助けてやりたいけれど。それで情報屋の機嫌が左右してはたまらないので、俺はそっと視線を背けた。


「あっははは、ははは……ははっ……なぁ先生。オレ、あなたのこと好きです」

「だからなんなのこの子」

「ご安心ください、今先生の自宅を探っている女子生徒は六人居ますが、オレなら彼女たちからあなたを守れるっ」

「サラッと何こわいこと言ってるんですか!? 六人!? 私の自宅!?」


 彼氏、あるいは片想いの相手の心。大切なものを奪われた人の恨みは深い。

 ……とまぁ、名塚かおりの情報云々よりも。今はただ、二人をみているのが楽しかったりする。


「と、とにかく! あなたたち忘れてないでしょうね? 今日から部活動禁止ってこと」


 指摘され、俺と情報屋は顔を見合わせた。こっちが肩をすくめると、代わりに彼の方が詭弁をこぼした。


「オレたちは部活動入ってないぜ」

「そっちの不真面目クンはともかく、あなたは入っているでしょう?」


 顎で指されながら、俺は小さく頷いた。それはそうだ。情報屋は軽音部を我が物顔で使用していた。

 しかし、彼は別の言葉で言い直すのみで、大人の注意をものともしない。ジャージ姿とはいえ、一応教員である。そんな彼女に躊躇しない姿は、どうしてか大物に思えてしまう。……売れないミュージシャンだけど。


「あいにく軽音部は人数足りないからな。まだ同好会だぜ」


 すこし意外で、今度は俺が口を開く番だった。


「そうだったの?」

「ああそうだ。メンバー絶賛募集中だぜ、ヴォーカルどうだ? ミルクを出すウェイターでもいい」

「バンドにウェイターとはまた個性的だ。売れるんじゃないか? 俺はヤダけど」


 俺と情報屋がシンクロして振り返る。


「「先生どうですか?」」

「なんで私に振るんですかっ!」


 美人で有名なみどり先生がジャージ姿でヴォーカル。中々流行りそうだ。肩からギターを提げれば申し分ない。復讐とばかりに先生の自宅を探しているという女生徒も、見方を改めると考えれば一石二鳥である。


「冗談はさておき! 話を戻しますよ。部活動に入ってなかろうと、まだ部として認められてなかろうと同じです。わかりませんか? 放課後の部が禁止になった意図を、あなたたちなら悟れるでしょうに」

「……」


 三人だけの準備室。所狭しと置かれた紙の匂いが漂う、真面目な空気になる。ふむ、と退散を考え始めた連れ。

 それをみて、先生はあからさまなため息ひとつ。声音に真剣な色をまぜ、宥めるように説得を試みた。わざわざ椅子をくるりと情報屋の方へ向けて。


「お願いしますよ。私はあなたに危ない目に遭って欲しくありません」


 その一言に、俺は目を細めた。


「――ああ、やっぱり好きだ、先生」

「は?」


 先生はぽかんと呆けた。


「は、話聞いてました? はやく帰ってくださいと……」

「普段はお高くとまっているが、裏ではズボラでらしくない。反面、内面はやはり生徒思いで教師のかがみ。良い。すごく良い。二重のギャップがたまらない」

「……」


 先生の手がわなわなと震えた。声も従って沸々と感情を混ぜて、俺は衝撃に備えた。


「私はこれから生徒の相談も聞かなきゃならないんですっ。それまでに少しでも報告書も書かなきゃいけない――」

「残業なら手伝ってやってもいいぜ!」


 情報屋は恐れ知らずだった。

 


「帰りなさぁぁぁあああああいっ!!!!」




 場所は戻って、再びの軽音部室。

 荷物をとりに戻らなければ、と退散してきたが、情報屋は性懲りも無く放課後を謳歌するつもりのようだ。どかりとさっきのイスに腰を下ろして、情報屋は言う。


「最高だったな……どうして今まで黙ってたんだよ、あんな面白いもの」

「俺と君は初対面みたいなものだろう。まして、人の秘密をおいそれと漏らす趣味もない」

「ま、それはそうか。秘密を抱え込んで生きてるようなアンタのことだ。他人の秘密にも寛容なんだろうさ。そういう秘密の情報を集めるオレとは正反対かもな」


 また牛乳を取り出し注ぐ情報屋。「オマエも飲むか?」と仕草で問われて、首を横に振る。

 彼は一杯をごくごくと飲み干すと、カツンと紙コップを置いた。そして、仕事人の顔になる。


「で、名塚かおりの件だったな」

「そうだ」


 一転、話題がこちらの求めるものになったのを見計らい、ようやく俺も腰を下ろす。情報屋と向き合って、気が引き締まった。これで障害はなくなった。先生の裏の顔という対価を支払った今、彼から情報をいただくことに問題はない。

 それを証明するように、情報屋はほくそ笑んだ。


「さぁて、なにがお望みだ? アンタは名塚かおりの何を知りたい?」


 きっと。このやりとりの一字一句が彼の『情報屋』としての質をあげるのだろう。言葉を交わせば交わすほど、俺の情報が彼というシステムに登録されていくに違いない。恋愛に関わることではなく、純粋に行動パターンを知りたがっている――そういう細かいところまでも。

 だが、構わない。

 やがてすべてが終わったとき、きっと俺はここに踏み入ることはなく、その情報は意味を持たなくなるのだから。

 俺は数秒を要した思考を中断し、ゆっくりと目蓋を上げた。


「ああ、まずは……」



◇◇◇



「おかえり」


 帰宅した俺を出迎えたのは、ラフな格好をした妹だった。

 リビングは暗く、キッチンのみ白い照明が点いている。すでにシャワーを浴びた後のようで、牛乳パックとコップを手に持っていた。


「売れないミュージシャンのつもり?」

「は?」


 冷たい視線が突き刺さった。自分でもおかしなことを口走ってしまったと反省して、「なんでもない」と首を振る。

 疲れているのだろうか。


「母さんは?」


 代わりに問うと、ん、と顎で背後を示された。

 振り向くと、薄暗いリビングのソファから、母のものと思われる腕が伸びていた。その手には宅配ピザのチラシ。機を見計らったように、間延びした声がかけられた。


「あんた何がいーい?」


 俺は妹の方を見た。何かあったのか、と。

 妹は肩をすくめた。疲れてるだけでしょ、と。


「俺はなんでもいいよ。好きに選んで。受け取りは俺がするから」

「お、助かるぅ」


 妹に小突かれて、なんだよ、という目を向けた。牛乳を飲み干して、妹はちょっとだけ嬉しそうにしていた。

 気遣っただけだというのに、そんなに嬉しいものなのだろうか。いや……ちがう。ただ俺が、離れていただけなのかもしれない。妹はこんな些細なやりとりだけでも、昔の家族に戻ったみたいに感じていた。

 何も言わず、心なしかいつもより軽い足取りで二階へ戻っていく妹。その背中に、心の中で謝罪した。

 俺はもう少しだけ、足掻いてみたい。


 あとを追うように自室へ戻る。

 カバンを置き、上着もハンガーにかけて。もう少しでやってくるであろうピザの宅配に備え、部屋着になるのは後回しだ。俺は殺風景な部屋でごそごそと一日の重みを軽くする。

 ふと、ポケットにコツンとあたるものがあって、取り出してみた。

 ……宝石の色は、褪せるところを知らない。

 汚れもなく、傷もない。あの早朝に転がって出たときから、透明さも淡い色合いもなにひとつ変わっていない。この結晶の中には、停止した時間が閉じ込められているのではないかというほどに。

 椅子に腰掛けて、照明に透かす。顔に水色の光が当たった。

 この宝石を使用すれば、何か見た目に変化が生じるのだろうか。だとしても、そんな興味だけで使うのは避けたいところだ。それ以前に、俺はこの宝石がどんな代物で、何をもたらすのかはっきりわかっていない。漠然とした憶測はあるけれど、宝石内部に刻まれた『1』という数字が、やけっぱちの使用を躊躇わせる。


「難儀な数字だよ」


 ひとりきりの自室で、つぶやく。


「使い所は間違えられない。成功も失敗も、どんな結果だろうと一回きりとは」


 ぎゅ、と宝石を握りしめる。冷たさに体温が加わって、息を詰まらせるような重さを意識する。

 取り戻す。

 何を?

 誰を?

 どうして?

 野暮な自問自答だ。こんなもの、今まで何度も繰り返してきたじゃないか。答えはとっくに出ている。いつまでも囚われたもままでいるなと、他人は笑うだろう。態度に出されなくても幻聴が聴こえるくらいには、自覚も持ち合わせている。

 情報屋に問われた「誰のために」というフレーズが、耳奥から離れなかった。

 正直に答えるのなら。回答は、自分のためとも、魔法使いのためとも言える。誰にでも告げられる内容じゃない。俺と彼女のふたりしか知らない三年間の記憶は、おいそれと語る気にはならなかった。

 それだけに、思い出は鮮明な鮮やかさを誇っている。衝動、欲求、野心――なんとでも表現すればいい。ひとつだけ言えることは、胸を支配するすべての感情は、あの 日々に通ずるということだ。

 木陰も情報屋も、みどり先生も。もしくは妹だって、失望させてしまうかもしれない。この価値観を人道的でない、と揶揄するに違いない。

 でも、迷いはない。


 俺は、伸ばされた手を振り払うことだけはしたくないんだ。

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