三章 宝石に迷いはない。

オモイデ

「一緒におでかけしない?」


 似たきっかけが多すぎて、正確な日時は思い出せない。中学一年生――いや、雨風のつよい日だったから、二年の梅雨の時期だろうか。灰色の空模様にあわせ、周囲が憂鬱な空気に包まれていたことは覚えている。

 授業の合間。移動教室のため廊下に出た俺を待っていたのは、うしろで手を組んで待ち伏せする魔法使いだった。授業合間の十分は長いようで短い。だというのにギリギリのタイミングで現れた魔法使いは、有無を言わさず俺の口を塞ぎ、押し込むように教室に踏み入った。そして目ざとく俺の席を発見した彼女は、断りもなしにイスに座るのだった。


「お出かけって、まさかこれからか?」

「そうだけど? いわゆるデートってやつね」


 あたりまえじゃない、といった態度で首を傾げる魔法使い。

 それから、すい、と人差し指を動かした。細く白い軌跡が目を奪ったのも束の間、ひとりでにふたつの出入り口が閉まる。しかもカチリと内側から鍵がかけられて、教室は廊下の喧噪から隔絶。あっという間に閉じ込められて、窓を叩く雨音が存在感を増す。

 彼女が続けて指を跳ね上げさせると、今度は悪天候ゆえに薄暗い教室の前方――教壇の範囲だけ、無機質な色の照明が点いた。電灯のジジジ、という音が聞こえはじめた。

 途端にやってきた非日常。だが俺にとってはもうひとつの現実で、真実でもあった。この頃には、すでに付き合いが順応をもたらすほどまで継続していて、俺は慣れた心持ちで向き合えていた。

 クラスメイトは全員、理科室へ移動していた。まだ移動していないのは俺だけだった。それをいいことに、魔法使いは背中からいつものとんがり帽子を取り出し、いそいそとかぶった。わざわざ取り出すあたり、魔法使いはその姿が気に入っているようだ。


「そうね……カフェなんてどう?」

「また大人なお誘いだね。この雨の日にデートなんて。魔法使いにも恋心があったんだな」

「どうかな? 基本的に魔女はそういうことに無関心だもの、自分でもよくわからないわ。ま、恋心があるかどうかはともかくとして。異性のトモダチと一緒にでかける――これをデートと呼ばず何と呼ぶのよ」


 魔法使いはなぜか嬉しそうだった。

 俺は肩をすくめる。きっと、この天気のせいでいつもの密会ができなかったから、その代わりということなのだろう。

 そこまで考えが至り、この十分間の休憩時間にあったできごとを思い出す。

 委員長に頼まれて、先ほどの授業で集めたノートを担任のところへ持っていった。こうしてひとり遅れているのはそれが理由だった。正直気が進まなかったけれど、頼まれてしまっては断れない。どうして陰の薄い俺なんだ、という不満はあった。でもよくよく考えて、陰が薄くて友人の少ない俺だからこそ、使いっ走りにはちょうど良かったのかもしれない。委員長とはそんなに話したこともないし、雑用を押しつけやすかったと考えれば納得がいく。

 ……今となっては、どうでもいい考察だった。なぜって、委員長の動機はどれもハズレだったから。

 犯人は目の前にいる。


「また魔法をつかったのか、ちんちくりん」

「ちんちくっ!?」


 ため息まじりに揶揄すると、魔法使いはがくっとオーバーなリアクションをする。


「ふ、ふふ、言うじゃない。せっかく抜け出す手助けをしてあげたのに」

「雑用を押しつけられた仕返しだよ。どこが手助けだ。俺は『行く』だなんて一言も口にしてなかったんだぞ」

「えぇー、行かないの? なんでよ。もしかして雨はきらい? なら晴らすこともできるケド」


 雨音がうるさい方を一瞥する。

 灰色一色の空から横殴りの水滴が降り、窓をつたって流れていた。きっと彼女が言うとおり、その気になれば晴れにすることなんて朝飯まえなのだろう。だけど、このときの俺はそうすることに抵抗感を覚えた。自分たちの都合で急に天候を変えるのは、さすがにやり過ぎな気がした。これまで何回も魔法を使わせておきながら。


「雨は好きだよ」


 一言、そう答える。

 すると、魔法使いはきょとんとして、すぐに微笑んだ。


「なら、決定ね」


 魔法使いは立ち上がり、俺のイスをもとに戻す。それから、懐から折りたたんだ紙切れを差し出した。

 受け取って目を落とすと、保健室使用時につかう通知書だった。生徒が体調不良などを理由に保健室で休むとき、保険の先生から担任の先生へ連絡用に渡されるものだ。本来は生徒の手に渡らないもので、生徒名欄と保健の先生のサインまでしっかりと記入されている。古風なやり方が仇となったな、魔女はこういうところから付け入るのだろう。

 用意周到さに乾いた笑いが漏れた。

 魔法使いは悪びれる様子もなく、むしろ誇らしげに胸を張っていた。




 ちょうど雨脚が弱まった――たぶんこれも魔法使いの仕業――隙に、ふたりで駅まえの喫茶店にはいった。いつものごとく、違和感を抱かれない魔法をつかって注文を終える。

 魔女帽子をかぶっているのに、強面な店員は気にも留めず引っ込むものだから、素直に関心した。だけどはっきり口にしてしまうのも恥ずかしくて、なんだか負けた気がして……俺は感想を飲み込む。代わりに、些細な不安を訊いてみた。


「ところで、授業はサボって大丈夫なのか? 俺も、もちろん君も」

「大丈夫じゃない?」


 あっけらかんに返された。

 この魔法使い、たまに心配になる。


「まぁ、保健室で休むくらいの時間を誤魔化せれば十分よ。ちょっと気分転換に紅茶を楽しむだけなんだから」

「君が飲んでるの、ココアだけどな」

「うっさいわね」

「この店のココア、ホットチョコレートみたいで美味しいよね。わかる」

「う、うっさいわね!」


 「おいしいんだからいいじゃない」と口を尖らせて、ふてくされる魔法使い。彼女のそんな反応をみて、くすりと笑ってしまう。

 魔法使いと同じ時間を過ごすようになってから、印象は変わった。最初こそ「ミステリアスでつかみどころがない」という、まさに魔女を相手取るような感覚だったのだけど。いざ接してみると、魔法使いはちょっと変なだけで、いかにも人間らしい性格をしていた。一般人である俺みたいに、群がるのが苦手なところも親近感があった。

 ……陣取った窓際の席は、みえる景色が狭い。

 だけど教室よりも近い窓はとても味わい深い。雨の音がより鮮明に耳にとどく。店内のジャズ音楽も相まって、中学時分の俺には、すこしだけ敷居が高いようにも感じられた。今思い返すと、あのとき自然体でいられたのは、魔法使いがそばにいたからなのだと思う。


「……」

「……」


 会話は少なかった。

 話すことがなかったというよりは、話す必要性がなかった。ただ雨を眺めて、彼女はココアを、俺はオレンジジュースを味わっていた。

 ときおり、雨雲の向こうから雷鳴が轟く。瞬きがみえてから数秒。光と音の速度の差が、この喫茶店までの距離を導く。だけど真剣に計算に興じる気にもならず、俺はただ秒数だけを適当にかぞえていた。

 光って、響いて。また光って、響いて。

 ちいさい窓から見守る俺と魔法使いのほうへ、雷鳴は徐々に近づいているみたいだ。

 互いに無言の時間が流れていた。どちらとも言葉は発さず、気が向いたときだけ飲み物に口をつけて。あぐらをかくみたいに交差する俺の足に対して、魔法使いの組まれた足首がぷらぷら揺れていたのを、気配で察する。

 そうこうするうちに、雷鳴飛び交う雨雲は頭上までやってきたのだろう。光と音の間隔が短くなって、それを皮切りに急激に雨脚が激しくなった。バタバタとアスファルトを打ち付ける打撃音が聞こえてきて、バケツをひっくり返したみたく豪雨に包まれる。

 こんな中を帰ったら、傘も役に立たなそうだ。

 そんなこちらの心境などいざしらず、魔法使いは相変わらずだった。頬杖をついて、気ままな猫みたいに景色を眺めている。黒を薄めたような前髪と隙間から覗く瞳が、夜闇を連想させる。細い指がくせっ毛を弄んでいて、その仕草が不思議と目を引いた。カップから立ち昇る湯気が、得も言われぬ安心感を醸し出す。

 また一際つよい光が轟いても、動じる様子はなかった。こういうときの彼女がどういう心境なのか、俺には測れない。喜怒哀楽といった感情を読み取るのも一苦労で、バカ正直に「今なに考えてる?」などと尋ねれば逆にからかわれると知っている。

 もちろん、俺にとってこの時間は幸福だった。向こうはさておき、少なくとも自分の中には、現実から一歩はずれて過ごす一瞬一瞬を好ましく思うもうひとりがいる。きっとこの感覚は魔薬だ。のめり込めばのめり込むほど、彼女に近づけば近づくほど、いわゆる普通というものに違和感を抱くようになってしまう。それでも離れられないくらい、魔法使いは強引で、それ以上に魅力的なのだ。

 だから俺は今日も、魔法使いの反応を観察しながら話す。


「雷も好きだけど、さすがにやりすぎじゃないか?」


 オレンジジュースの減ったコップをことりと置き、言葉を選んだ。

 彼女は俺を喫茶店に閉じ込めるこの時間が、それほどまでに楽しいのだろうけど。しかし天候を悪化させる魔法使いは、俺の目には悪戯好きで欲張りな魔女にしかみえなかった。


「失礼ね。弄ってないわよ」

「え、じゃあ自然とこっちに来たってこと? それは……ごめん。勘違いした」

「ええ、しないわよ。そんな卑しい魔法の使い方なんて。――ちょっとしか」


 弄ってんじゃねえか。

 窓にあたる音はさらに規模を増す。店内の穏やかな空気とは裏腹に、外は大荒れである。帰りもまた助けてもらわないと、学校に着く頃には肌着までびしょ濡れになるに違いない。「保健室でなにをしたらそうなるんだ」と咎められる場面が目に浮かぶ。

 そんな危惧を一蹴して、魔法使いは言う。


「心配しなくても、私が助けてあげるわよ。あなたが遊べなくなると、私が困るもの」


 俺は魔法使いのオモチャらしい。感謝すべきかわからず、なんだか複雑な感情だ……。


「それよりも。ねえ」


 氷が溶けて薄くなったオレンジジュースを飲んで、俺は視線をあげた。

 魔法使いはいつもみたく帽子の下で笑みを浮かべ、口をひらいた。


「今週の金曜日、空いてる?」


 いつもの調子。いつものお誘い。幾度となく繰り返された、魔法使いからの問いかけだ。どうせ「空いてない」と答えれば「どうして」と返ってきて、ありがちな理由を並べ立てれば「じゃあ私がなんとかしてあげるわ」と強引に付き合わされるに違いない。

 ……そんな目にあっても、魔法使いが楽しめるならそれでいいか、なんて考えてしまう自分は末期かもしれない。

 単純に従うのもなんだか癪で、俺はすこしだけ考える素振りを挟み、ダメもとで抵抗してみた。


「金曜日は授業がある」

「そのあとで」

「放課後は帰って妹の勉強をみる約束をしてる」

「そのあとで」

「親の帰りが遅いんだ。近所のスーパーに買い物」

「そのあとで」

「夕食」

「そのあとで」

「宿題とか風呂とか――」

「そういう野暮ったい用事ぜんぶ済ませたあとで」


 俺は頭をかいて、仕方ないな、と内心でため息をついた。魔法使いがム、と眉根を寄せたのはおそらく気のせいだろう。

 結局、俺はそういう命運なのだ。そう割り切ろう。

 押し切られるカタチで、俺は今日も抵抗を諦める。なんだかんだと付き合ってしまう。


「あー……わかったわかった。ついていけばいいんだろ。君の好きなところへお供しよう」


 そう告げると、魔法使いはパッと顔を明るくして、すぐにコホンと繕った。

 強引な提案をしたのだ、素直に喜べばいいのに、女心はわからない。

 さらに、今度はしおらしい態度でこちらの顔色を窺いはじめるものだから、ますますわからない。女心というより、魔法使いとしての心境の方が複雑怪奇な色をしていた。


「そしたら、さ」


 『――、』


 雨音が、強くなる。


「……んや――ょに――」


 『――、――ぃ』


 雨音に、遮られる。


「……ぁ……、………――」


 『お――ぃ』


 かすれておおわれてぬれて。

 魔法使い顔色が帽子に隠れる。辛うじてみえる口元の動き。反して声は遠ざかっていく。

 気づけば。


『――、――!」


 俺は映像を彼方で眺めるだけの、ひとりぼっちになっていた。



◇◇◇



「お兄ぃっ!!!!」

「うおわっ!?」


 ぼすん、と腹になにかが落ちてきて、俺は跳ね起きた。

 目を白黒させて傍らをみると、いつになく不機嫌な顔をした妹が見下ろしていた。いや、不機嫌な顔なのはいつものことだった。訂正訂正。


「起きろ」


 足が再び俺の腹を直撃した。


「起きてる起きてる。ひどい妹だ……」

「なんか悪い波動を感じたから」


 妹という生物はこわい。じきに動物図鑑にも載ります。そのうち「なんとなく」を理由に殴りかかってきそうで恐怖しかない。妹の言う波動ってなんなんだ。しかも当たってるのが地味にいやだ。


「わたしお風呂あがったから。さっさと入って」


 おどけつつ、間延びした声で返事をした。妹はしごとは終わったと背中で語り、颯爽と去って行く――と、思いきや。


「また、あの人のこと考えてたの?」


 ドアノブに手をかけたまま、妹が振り返る。同情を持ち前の気怠さで隠すみたいな、でも隠しきれていない曖昧な視線が俺をみつめていた。

 心配。滲み出る感情を一言でいえば、それに尽きる。寝落ちした自分は、悪夢にうなされでもしていたのだろうか。逆に幸せそうな顔で涎を垂らしていたのだろうか。どちらにしたって、妹に気を遣わせてしまったのは事実だった。

こんなときにだけ、無責任な兄としての意地が働く。心配させまいと、精一杯表情をつくった。図星を刺されたことを悟られないよう、穏やかに。


「別に。近ごろ休んでる友達のことを考えてただけだよ」

「どうだか」


 効果があったか怪しい。訝しげな視線を受けながら、俺は咳払いで誤魔化してみる。

 他人と積極的な関係づくりはしなかった魔法使いだが、それにも例外はある。例えば俺みたいに集団からあぶれただけの人畜無害な少年だとか、その妹である常に怠そうな少女だとか。あるいはとある教会に務めるシスターだとか。数少ないが、顔見知りはいる。そういう思い出に魔女を飼っている人たちから見れば、俺は現実を受け止めきれない病人みたく見えるのだろう。妹の態度がそれを証明している。

 事あるごとに苦言を呈する妹は、顔色に乗せないだけでそれなりの憂慮を抱いているのだ。きっと家庭のことを一番に想っているのはこいつに違いない。父がいなくなって家族が空中分解してしまいそうになったあの経験は、妹にそれだけのトラウマを植えつけた。つまり、このしつこさと素っ気なさを足して二で割ったような性格は、大切に思うがゆえの裏返しでもある。兄が魔法使いのことを忘れられていないのは、それこそ気がかりに違いない。

 そんな風に思案していると、妹は薄っぺらい紙をひらりと寄越した。それを受け取り、まじまじと見つめる。白い封筒に赤い封蝋の施された、清潔感のある手紙だった。


「ソレ、お兄ぃ宛」


 そう言い残し、妹は今度こそ自室に戻った。パタンと閉まった扉のこちら側、ベッドに腰掛けたまま俺は封筒を裏返してみた。

 今しがた去った妹は俺宛てだと言っていたが、封筒にはどこにも送り主の名が書いていない。ウチの宛先も同様。新品そのまま投函されたのではないかというほど綺麗な状態で、なぜ俺宛てと受け取ったのか不思議だ。

 当然こころあたりなどない。俺みたいなやつにわざわざ手紙を送る人などいないだろうし、百歩譲って見知らぬ誰かだとしてもこんなことはしない。昨今、手紙を選ぶ目的といえば限られているけれど。学校でも愛想のない自分に好意をもつ相手などなおさら希望が薄い。


「……なるほど」


 消去法で、送り主は予想できた。

 こんなことをするやつは限られている。後にも先にも、おそらくひとり。かさりと封をあけた中から出てきたものを見て、やはり予想は的中していた、と呆れてしまう。伊達に過去を引きずってはいない。妹が兄宛てと気づいたのにも納得だ。

 俺は取り出したソレを眺め、それからベッドの脇に目を向けた。転がる宝石の色は褪せることなく、「今までのは全部夢でした」なんてこともなく、そこにあった。

 心なしか、日に日に魔法使いのことを思い出す頻度が増している気がする。それも分かりきった傾向、妹が知れば泣きながら殴るかもしれないものだ。それくらい死者に囚われているのだという自覚はあるが、やはりそこに迷いはない。ただただ、息を呑むような感情と思いを馳せる連続に、認めるしかなかった。

 自分が人知れず抱いている、深く刻まれた感情を。

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