1-3

 放課後はほどなくしてやってきた。

 我らが帰宅部は来るモノ拒まず、去るモノも拒まず。きっとこの学校でも一番にホワイトな部活であろう。良いところを紹介するとなればたくさん挙げられる。バイトに専念できたり、自習に集中できたり、毎日存分に寄り道ができたり。欠点といえば、汗と友情であふれた青春から遠ざかることと、新入生向けの部活動紹介に出させてもらえないことくらいだろうか。

 どこかの誰かは、そんな学生生活もったいない! などと上からモノを言うかもしれない。けれど選択は自由であるべきで、そして帰宅部には帰宅部なりの楽しみ方もあるわけで。


「やっぱ小林とかよくね? スタイル良いし、正直体育の授業とか眼福だぜ」

「いいなぁ授業一緒で。僕なんか三つも離れてるんだもん、拝めないよ体操服のアレは」


 ゲームセンターへの道なり。俺の数歩先を、二人組の男子が歩いていた。帰宅部なのをいいことに、『胸の大きい女子』という男子らしい話題を大っぴらに交わしている。黄助、加藤と呼びあう彼らは、同じ委員会所属で暇そうだからという理由だけで、俺を道草に付き添わせる。同級生と絡むこと自体が苦手なこちらは仲良くなった覚えはないのだけど、特にクラスも同じ加藤はこうして連れ回すのだ。団結力なんて露ほどもないというのに、「同じ帰宅部のよしみで」と宣って。

 ――あの日々の代わりにもならない。

 気持ち数歩だけ離れて、俺はついていく。わざと歩調を遅くして、どうしてこんなことに耐えているのだろうかと不思議に思う。木陰と過ごす時間とは大違いで、呼吸から繕うのは骨が折れる。


「ほんっと、お前はメガネが好きだよなぁ」

「わかんないかなぁ! メガネの良さが! 特に国語の授業は最高……!」


 それなりにモテる加藤に、ひょろりとした黄助は熱弁する。


「あのレンズ越しに向けられる瞳、チョークを握る細い指、鈴の音みたいな声と、ハイヒールの音……! 理想の女性ッ!」

「どこが良いのかわかんね。みどり先生なんて怖いだけだけどなあオレ」

「知的っていうかさあ、おしとやかっていうかさあ。あの微笑みを向けられたら骨抜きっていうかさあ」


 うっとりする黄助に加藤が気持ち悪がる。話題を恋愛方面にシフトしたらしい両者の会話を耳にして、俺は内心苦笑していた。もし仮に心からの友人であったなら、肩を叩いて諭すこともできただろう。現実はそう綺麗なことばかりではないのだ、と。


「その点ッ、テメぇは羨ましいぞぉ!」


 矛先が背後の自分に向けられ、ため息が漏れた。

 黄助はどうやら、頻繁に呼び出されている俺をうらやましがっているようだった。


「そう良いもんじゃない。成績が悪いから呼び出されてるんだけだ。肩身が狭くて見惚れる暇もないぞ」

「くぅ……! それでも是非是非、赤点とって呼び出されたい!」


 別に彼がそうしたいなら止めはしない。ただ、その選択の末に得られる辛い現実に打ちひしがれるだけなのだから。

 みどり先生は男子からの人気が高い。木陰は「香水を付けている」と言っていたし、男子は無意識に仮初めのフェロモンに誘われているのだろうか? それとも、俺や加藤だけが万年花粉症なんだろうか?

 ……どちらでもいいか。

 一方で、みどり先生は一部の女子からすこぶる評判が悪いと聞く。なかには親を武器にして嫌がらせしている生徒もいるらしく、ドロドロした人間関係が山のように積み上がっていそうだ。ボーイフレンドを奪われた生徒はひとりやふたりどころではないだろう。

 そんな先生のいる準備室に通ってみて知ったことといえば、意外とズボラで、硬い性格で、授業中にかけているメガネを普段は放っている……そんな、大衆に与えるイメージを覆す有様だ。黄助のように幻想を抱くのは勝手だけど、実際一般人なんてそんなもの。

 であればこそ、こうして些細なウソで夢を見させてやるのもいいのではないかと、そんな無責任なことを考えていた。


「その辺の女子にしときなって。みどり先生、結構性格わるいらしいぜ」

「まえも言ってたけどさぁ、その……加藤のマル秘情報? みたいなやつ、ソースは?」

「彼女」

「どの彼女なんだよ」


 指で数えて、加藤が三を示す。

 それなりにモテるどころの話ではなかった。こいつは三人も彼女をつくって関係を持っているようだった。そんな女子間の情報にも精通している加藤のアドバイスにしかし、黄助は動じない。


「僕は信じないからっ! あの授業中のデキる感じそのままを!」


 同感ではある。

 人伝の情報の信憑性の薄さを、俺は感じていた。きっと加藤が女子から得た情報には印象を悪くするものが多く、逆に男子の噂においては美化されるだろう。

 狭間に立ってしまった先生の苦悩する姿が思い起こされる。


「そういえば、お前は彼女とか作んないの?」


 加藤が振り向いてこちらをみつめる。

 黄助も興味を抱いたように俺に目をむける。


「――、」


 息が止まって、再び再開した。

 一瞬の戸惑いと衝撃を堪えて、俺は平静に努めた。よぎった影をカラスの羽だと言い聞かせ、悟られないように喉を震わせる。


「興味ない」


 ふーん、とつまらなそうな声をあげる加藤。そうなんだ、で終わらせる黄助。

 またひとつ、距離を生み出してしまった気がする。いや、間違いなく俺は浮いた返答をしてしまったのだろう。

 だがそれでいい。それでこの奇妙で微妙な関係性から解放されるなら、それはそれで願ったり叶ったりだ。多少委員会が気まずくなるくらいなら、喜んで。穏やかで自由な放課後のためならば、俺は友人関係を捨てられる。


 図らずも行き着けになってしまったゲームセンターへ到着し、加藤と黄助は奥のレースゲームへと向かった。店内の騒々しさに包まれた途端に、彼らの顔は軽くなる。

 そこは、学生に許された娯楽だ。

 例えば大人が、仕事の合間にたばこをふかすように。例えば業務終わりに酒に溺れるように。学生は音の洪水に塗れることで疲れを吹き飛ばす。深く煌びやかな森の奥へ嬉々として向かう背中を眺め、俺は踵を返した。

 数あるマシンの間を縫い、彼らと正反対の方向へと歩く。

 ……じつのところ、なぜ俺が付き合わされているのかわからない。こうして別行動をしても彼らは何食わぬ顔で今を楽しむ。

 連れてきておいて、自分は邪魔になっている気がしないでもない。

 ならひとりで楽しもうではないか。そう開き直れたらどれほどよかったか。不器用な人間は空気に酔ってしまいそうで楽しめない。昔は素直に楽しめていたのに、今は『楽しみ方』という感覚がねじれてしまっていた。我ながら滑稽なことだ。憐れで救いようがない。


「はは、たのしーなー……」


 少数派な俺は、クレーンゲームの中で横たわるぬいぐるみやフィギュアの箱、菓子の山を流し目にみていく。百歩譲って良いところといえば、独り言を口にしてもさして目立たないところだろうか。

 手頃なクレーンゲームで百円を消費する。当然のようにフックが重さに耐えきれず、出費が無駄になる。何も考えずもう一枚を投入しかけて、俺は思いとどまった。「次でとれそう」と思わせるのがゲームセンターの稼ぎ方。百円を賭けるには細い勝ち筋、探せばもっと確実で有益な使い方があるはずだ。

 それに。やっぱり、ひとりだと楽しめそうにない。さして興味もないモノをとっても共感してくれる相手はいないし、得られる感動は薄味に違いなかった。

 そっと、クレーンゲームから離れる。店内の隅っこに向かい、自動販売機を眺める。求めていたモノがないことを確認し肩を落とす。これだけ楽しむための機械で溢れているのに、手持ち無沙汰になってしまったヤツがここにいた。

 今日はもうなにも収穫はなさそうだし、いっそのことさきに帰ってしまおうか。

 なんて考えながら、携帯でSNSをひらく。

 都会ほど大きくもない『鐘ノ宮市』を検索にかけ、最新のつぶやきから今朝までをさかのぼっていった。連なるは日々への鬱憤やどうでもいい日常の一片で、あとは怪しいビジネスセールスだったり胡散臭い情報だけ。目に留まる何かはなく、すぐに閉じて脱力する。

 本当に、本当に……俺は、どうしてここにいるのだろうか。


「っ、」


 そう考えていたところ、とくんと何かが震えた気がした。

 自動販売機よこのベンチ、遠ざかる騒音。右手が自然とポケットに向かい、冷たい宝石に指先が触れる。

 室内でも宝石は綺麗だった。

 滑る肌触りはビー玉より劣るが、不思議と高級感がある。手のひらに冷たく心地いい温度が伝い、グレーの日々に波紋をもたらしてくれそうな予感があった。こうして眺めているだけでも、騒々しい現実から連れ出してくれる。きっと数十分でも何時間でもぼんやりしていられるくらいに。無論、それは人の手に余るモノ。使い方を誤ればタダでは済まない、危険な輝きだ。俺はそれを身を以て知っていた。

 意識を強引に逸らす風に、手のひらを握り込んだ。そしてそのままポケットに突っ込むと、うっかり落としてしまわないよう、宝石を押さえ込みながら歩き出す。


 ……調べたいことがある。


 もはやあのふたりとの友情などどうでもいい。

 俺は自動ドアを抜けて、風に当たりながら周囲を見渡した。

 夕暮れの色がみえ始める街路を、同じ高校の制服やスーツ姿の大人たちが行き交う。明日への憂鬱に押しつぶされそうになっている人がいれば、おしゃべりで現実を誤魔化す人もいた。

 そんな空き空きの人混みに逆らうように、俺は道を行く。

 さきほど渡った交差点を左折すると、寄り道する店が少ない通りに出る。比較的通行人が減ると同時に、歩道も狭くなった。こちらへ来なくなって随分と久しいけれど、ことのほか強情な記憶はあの場所を覚えていた。斜め上へ視線を固定し、足先は街の外側へ向かう。

 たしかこっちのはず、と胸の内側で唱えて数分。俺は記憶とマップ検索を頼りに、質素な看板をみつけた。

 そこは、俗に質屋と呼ばれる店だった。

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