第4話 『週明けの殺人者』その4


 刀と血痕だけなら極秘処理もあり得たかもしれないが、死人が出たとなると最早不可能だ。

 七日市学園の対応は迅速だった。僕と音無が異変を知らせると、学園長兼オーナーの七尾陽市朗ななおよういちろう先生は暫時、沈思黙考した後、手を打った。体育館から全生徒を退出させ、以後、立入り禁止とした。警察への通報は直接ではなく、知り合いの警部だか警視だかを通して行われたらしい。手回しが奏功してか、警察側は学園や僕ら生徒に配慮し、パトカーではなく、一般車両と区別の付かない普通乗用車で静かにやって来た。

 遺体の搬出が最難関であったが、急病人が出た風を装い、毛布で全身をすっぽりと覆ったまま担架で運ばれていった。こればかりは救急車を要請したが、救急隊員も呼ばれたからには蘇生を試みなければならず、無駄な行為を繰り返し施したことだろう。万丈目先生の死は明白だというのに。

 先生は心臓を一突きにされていた(らしい。遺体を目の当たりにして動転した僕は分からなかったが、参考人聴取の際にそう教えられた)。相当な手練の仕業と見なされたようだ。凶器が竹刀から見つかった刀かどうかは未確定だが、蓋然性は高い。死亡推定時刻は、幅を広めに取ったものとして、同日火曜の午後三時半からの二時間との見解。

 補足的事実として当日、万丈目先生は四限目の授業で二時まで教室にいた。その後は職員室に戻っていない。恐らく、資料室に直行したと想定されている。

「聞いたよ、みつるっち~」

 事件の翌日、学校に着いた途端、背後から首を絞められた。細いが節くれだった指は、一ノ瀬のものだ。本気で絞めてるんじゃないかと疑いたくなるほど、皮膚に食い込む。爪を切ってあるからいいようなものの。

 僕は振り払ってから、ごほごほと咳込んでみせつつ、周囲を窺う。じゃれあっていると第三者に思われては心外だ。幸い、校門近くに人影はまばらで、僕らに注目する者はいない。

「何をする」

「聞いたよ、事件があったって」

 のっけから会話を成立させる気がないな、こいつは。

 いや、それよりも。

「何故知ってるんだ?」

「人の噂も四十九日」

 訳が分からない。たとえ四十九が七十五の間違いだとしても、全く意味が通じないじゃないか。今後のために訂正してやってから、僕は改めて聞いた。

「万丈目先生の事件なら、公表前のはずだぞ。新聞にも載っていなかった」

「ふみふみ。ミーはそんなことまでは知らなかったよ。口が軽いねっ」

 嬉しそうに云うな。見事に引っかけられた僕も僕だが。

「噂になってるんだな。どこまで出回ってる?」

 校舎には向かわず、ひと気のない場所まで引っ張っていき、訊ねた。

「昨日夕方、体育館が封鎖され、救急車が来て誰かが運び出されたとこまでは、この目で目撃したよん。そのあとは、学校から追い出されちゃった。出るとき、氏名のチェックを受けたから、変だにゃと。で、今朝聞いたのは、みつるっちや剣豪が遅くまで学校に留め置かれたといったよーな」

 剣豪って、音無のことか。

「ミーの腕前なら、適切なところにばれないように潜り込み、捜査情報を覗き見ることもできるんだけど、早すぎたのかなあ、詳細はまだデータ化されていなかったみたい」

 警察か新聞社か知らないが、不正アクセスしたのか。一ノ瀬のことだから恐らく、証拠を残しちゃいないだろうけど、多少なりとも危ない橋を渡るのはやめた方が……と常日頃から思う。だが、当人は危ないとは全く考えていまい。

「それで、何があったのさっ?」

「昼前に警察から発表があって、夕刊には載るはずだから、今云わなくても」

「発表より早く知りたいよー」

 好奇心が服を着て歩いている、というやつだ。何故こうも気にするのかを聞いてみた。一ノ瀬はコンピュータと数学が最大の友達で、世俗的な話題には関心がないはずなのに。

「平穏無事な生活を送ろうとする限り、味わえない体験だからさっ」

「体験? ひょっとして、それ、僕のこと云っているのか?」

「もっちろーん、住宅ローン、クライオトローン!」

 人差し指を立てた右手を真っ直ぐ上にやり、飛び跳ねた一ノ瀬。どうでもいいけど、最後の単語は何なんだ。

「なかなかできない体験てあるよね。その一つが、倫理的にセーブを掛けられているやつ。犯罪なんかがそう」

 不正アクセスは犯罪じゃないのか。

「他殺体を目にするっていうのは、これに近いものがあるんじゃないかな。現代日本で他殺体に巡り会える機会は少なく、かといってこれを自らの手で作り出すのには抵抗がある」

 うんうんと独り頷く一ノ瀬。だから、不正アクセスは犯罪じゃないのかと。

「ていう訳で、滅多にできない体験をしたじゅうちんから、お裾分けしてもらおうって思うのは自然な欲求じゃないかな」

「まあ、話せる範囲で話してやってもいいけど。いや、僕はまたてっきり、音無さんに疑いが掛かるのを面白がっているんじゃないかと思った」

「ぶー、面白がるとは極めて不穏当な表現だけれど、彼女に疑い? 興味あるなあ。どういう脈絡でそうなるっす?」

「そりゃあ、音無さんは剣道部所属で第一発見者で、剣の達人だから」

 僕もはっきりと聞いた訳じゃない。だが刑事の話の節々に、音無を疑る空気が織り込まれていると感じた。なお、本来なら僕も疑われてしかるべき状況だが、そうならなかったのは、アリバイがあったのが大きい。

 僕らのクラスの授業は六限目までで、引き続き約十分のホームルームが行われたから、午後三時半から四時四十分までは僕も音無もアリバイがある。ちなみに時間割は、一限目8:30~9:30 二限目9:45~10:45 三限目11:00~12:00 四限目13:00~14:00 五限目14:15~15:15 六限目15:30~16:30だ。

 問題はここから。掃除当番の僕は、五時まで同じ班の面々と一緒、更に五時十五分頃まで、コンピュータ室に一ノ瀬を訪ね、雑談した。

 一方、音無は当番でなく、部活もない日だったため、放課後は単独行動。本人によればホームルーム終了後、学園長室横の展示スペースに行き、刀がまだ戻らないことを確かめて帰途に就いたというが、証人はいない。せめて刀の件で学園長と顔を合わせていればよかったのに。

 学校を四時五十分頃に出て、徒歩で最寄り駅に向かった音無だが、運悪く、ここでも目撃者がいない。捜査は始まったばかりなので、目撃者が今後現れ、彼女のアリバイを証言してくれる期待はあるが。

 駅まであと二十メートルを切った五時五分過ぎ、携帯電話に万丈目先生を名乗る人物から連絡が入り、学校に引き返す。そうして五時二十分頃、僕と音無は通学路で鉢合わせした訳だ。

「おかしいね。心臓を一突きにできたからって剣の達人とは限らないのに。強いてゆーと、医学の知識が必要じゃんぬ」

 説明を聞き終わった一ノ瀬が首を捻った。

「そんな単純な理屈が通るなら、警察って楽だぁ。昨日云ってた辻斬り殺人だって、剣の達人の仕業にしちゃえばいいことになるよ。ぷんぷん」

「辻斬りかぁ。そうそう、肝心なことを忘れてた。部室で見つかった刀と血痕に関してなんだ」

 相手の台詞に触発され、重要な点を思い出した。警察から口止めされたので他言無用、秘密厳守と前置きして説明を始める。

 竹刀の内側に付着した染みは、人血に間違いない上、一種類ではない模様とのことだ。詳しい検査結果はまだだが、恐らくは万丈目先生以外の人間も、あの刀の餌食になったはず。

 そして……辻斬り殺人が起こり始めた時期と、刀の盗まれた時期とが符合する事実。盗難の方が先であったことは云うまでもない。辻斬り殺人被害者の傷口との照合はこれからだが、もしかすると同一犯かもしれない。

「推測が当たってたら、大事件に発展しかねないね」

 声を潜める一ノ瀬は、やはり楽しそうだ。

「繰り返すけど、今のは他言無用だぞ」

「ミーを信じなさい」

 いつも軽い調子の一ノ瀬だが、実は口が堅いことを、僕は知っている。喋るなと頼まれれば、まずは口を割るまい。僕は念押しして安心を得ると、再び事件の話に戻った。

「辻斬りと同一犯としたら、ますます音無さんは犯人であるはずがない。毎週月曜に犯行を起こす暇は、あの人にはない」

「そうだろうねー。朝練が月曜にあるのかな。早くから竹刀を振っているのを、ミーも見掛けたことあるよ。放課後は剣道部の活動に出て、夜は家の門限に間に合うように帰る」

 よく知ってるじゃないか。まさか、学園のサーバーに不正アクセスして得た情報じゃあるまいな。遠回しに訊ねると、一ノ瀬は「推測半分」と答えた。

「音無家って結構名門みたいだしねっ。剣豪と付き合う男の子は大変だよ、きっと。あ、付き合うと云っても、竹刀で突き合うのとは違うからねっ」

「どっちも大変なのは間違いないな」

 僕が感想を述べると、一ノ瀬は腹を抱えて笑った。そんなに面白いことは云ってないぞ。


 確かに噂は流れていた。

 万丈目先生が死んだ、それも殺されたらしいといった程度だが。生徒間に好奇心を纏った動揺が広がっている。勿論、超然としている者も多かったけれども。

 それと音無の姿がなかった。担任教師の話では、昼から来るという。理由は伏せられたが、事件絡みに違いない。

「話を聞かせてもらいたい」

 一時間目と二時間目の合間、一組に僕を訪ねて来たのは十文字龍太郎じゅうもんじりゅうたろう、二年生だった。この人も校内有名人で、聞くところによると、パズルの天才として推薦枠合格を勝ち取ったそうだ。中一からパズルの創作を始め、専門誌に投稿。掲載されること十数度に及ぶに至って、才能を認められ、パズルの単行本を出す。その後、海外のパズル雑誌で年間最優秀賞受賞を機に世界的に知られる一方、数学ワールドゲームスにも参加、日本チームの優勝に大いに貢献するとともに、個人戦でも歴代日本選手最高位となる銀メダルを獲得。プロポーザーだけでなく、ソルバーの才能をも垣間見せた。

「話って……昨日の体育館の、ですか」

 恐らくこれだろう、と当たりをつけて訊ねる僕。とぼけるという選択肢もあったが、先輩相手に気が進まなかったのさ。

 果たして、先輩は気取った笑みを浮かべて頷いた。

「今は時間がない。昼休みに頼めるかな」

「返事の前にお聞きしたいことが、いくつかあるんですが」

「何だろう」

「事件について聞いて、どうしようというんです?」

「解くべき謎がそこに見出せれば、解かねばならない。この僕が」

 パズルの天才は、謎があれば解かずにいられない質らしい。ついでに、探偵願望も持っているのかも。まあ、どんな職業を望もうと人それぞれ、自由だ。憲法も謳っている。

「僕の他にもう一人、現場に居合わせた生徒がいますが、そちらには……」

「剣道部の音無君のことを云っているね? 無論、聞く。今は姿が見えないようだが、問題ない」

「事件の真相を突き止められたら、その後どうするつもりですか」

「解いた時点での最善の選択をする」

 犯人を警察に突き出すとは限らない訳か。僕の関知するところではないが、生徒が犯人というケースもあり得る。適切な判断が求められよう。

「訊ねることはもうありません。説明はしますが、ご期待に添えるか分かりませんよ。大して役立つ話はないと思います」

 警察に口止めされた事項については、云わないでおこうと心に決める。知り合ったばかりの相手に、ぺらぺら話すことじゃない。

「持つ者は己の持つ物の真の意味を知り難い、と云う。君が気にすることではないさ」

 そんな格言、あったっけか? 初めて耳にする。

「どこで話します?」

「また出向くから、教室で待ってくれていればいい。それとも君は学食に行くのかな」

「普段は教室ですが、学食に行った方が、食べながら話せていいかもしれません」

「なるほど。君がかまわないのなら、そうしよう」

 決まった。

 そうして昼休みを迎え、学生食堂に向かおうとすると、一ノ瀬が着いてきた。

「困ったな」

 理由を聞いても軽くあしらわれるだけと思い、構わずにいたが、代わりについ、こぼしてしまった。案の定、彼女は弁当片手に好奇心丸出しで、「何が何が」と返してくる。適当に答えておこう。

「いくら食堂が広いと云っても、弁当持ち込みの生徒が増えたら、さぞかしみんなに迷惑だろうな」

「苦労性だね! 食堂は食事する場所さっ。問題ナッシング、フェンシング!」

 何で僕が苦労性なんだ? 数秒間考え、恐らく心配性の誤りだと見当付けた。

 注意するいとまもなく、食堂に到着。日頃と変わらぬ喧騒があった。

 学園の食堂は広大だ。全校生徒の半数が一度に座れると聞く。席と席、若しくはテーブルとテーブルとの間が広く取ってあって通りやすく、隣のグループの会話が嫌でも耳に届くなんてことはない。さっき僕が一ノ瀬に、いかに適当に答えたか、よく分かる現実がここに。

「ほら。空席が結構ある!」

 勝ち誇って胸を反らせる一ノ瀬。漫画なら、背景に“エッヘン”と大書するところだろう。

 僕は十文字先輩を探した。割と背の高い人だから、いればすぐ見つかるはずだが……どうやらまだらしい。食堂内をぐるっと回っても、結果は同じ。

 しょうがない。二年生は二年生なりに忙しいに違いない。授業が延びたのかも。考えてみれば、僕から先輩の教室に行き、待っていればよかったのだ。

 浅慮を悔やむとともに、十文字先輩が何故こんな簡単なことに気付かなかったのか、疑問に思わないでもない。もしかすると、あの人もパズルの天才というだけで、それ以外は欠点だらけなのかもしれない。

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