第3話 『週明けの殺人者』その3

 見とれている場合じゃない。何故、校内にこんな物騒な物が。しかも人目から隠す風に。

 とりあえず元に戻す。

 それからの選択肢はいくつかあった。

 知らんぷりを決め込む。剣道部の誰かに聞く。学園側に届ける。一足跳びに警察に通報する――警察?

 何故僕は警察への通報まで、選択肢に入れたんだ。警察の出動を要するほどの重大な犯罪か?

 ……そうか。気付いた。直感を理性があとから追い掛け、意識する。

 確かめるべく、僕は跪き、竹刀をもう一度、慎重に開いた。今度注目するのは、中にある刃物ではなく、竹刀の内側。

 あった。

 血痕。恐らく血痕と思われる黒ずんだ染みが、認視できるだけで三つ、小豆大ほどのサイズではあるが、そこに存在していた。

 出血する状況はいくつか考えられるので、この刃物自体が血痕の源であるとは、決め付けられない。だが、隠してあったという事実が、最悪のケースを想起させるではないか。

 まずいよな、触りまくって指紋をべたべた付けてしまった。布か何かで拭えば僕の指紋だけでなく、他の痕跡も一切合切消えよう。学園なり警察なりに正直に云って、僕の指紋は無関係だと証を立てるのが真っ当な道だが。

 しかし、この刃物が万が一、音無の物だったら――そんな想像が頭をよぎった矢先、廊下に足音が響き、瞬く間にドアの前に人の気配が。迂闊にも開け放したままだから、誰なのかはすぐに分かった。音無亜有香だった。

「何をしてる?」

 やたらと刺々しい第一声。

 僕は立ち上がろうとした。が、音無はいつの間に用意したのか、右手に持った竹刀を、すいと前に滑らす風に突き出した。さっき会ったときは持っていなかったのだから、廊下のロッカーから取り出したのだろうけど、全く気付かなかった。

 先端が僕の顎先数センチで停まる。動いたら、間違いなく吹っ飛ばされる。

「悪いことはしていない」

 立つのはあきらめ、跪いた姿勢のまま、両手を挙げて無抵抗を示す。竹刀の中の刀を見つけた事実を云っていいのか否か、判断がつかない。

「答になっていない。何をしていたのかと聞いている。忘れ物ではないようだけれども、さっきのは嘘か」

 簡単には疑惑を解いてくれないようだ。

「一ノ瀬の伝言を音無さんに知らせるの、忘れていたんだ。できれば校舎で話したかったから、ここまで来たんだよ。そうしたらドアが開いてて、誰もいないのに不用心だなと思い、中に入ったら……そこの竹刀に蹴躓いちゃってね」

 目で、床に転がる竹刀を示す。音無は一瞥すると、「よし」と云った。彼女の手にした竹刀が引かれる。立っていいとの合図なのは分かるが、まだ狙いを僕に定めているだけに、躊躇してしまう。

「立っていい。悪かった」

 言葉にしてもらって、ようやく腰を上げることができた。僕は「勝手に入った自分も悪い」云々と謝ろうとしたが、それよりも早く彼女が口を開いた。

「だが、伝言は後回しだ。急を要する事態で……刀を見なかったか?」

「か?」

 刀?と鸚鵡返しし掛けて、口ごもる。血痕の件を抜きにしても、校内に刃物を持ち込むという行為の割に、あまりに開けっ広げではないか。今し方見つけたばかりですと答えていいものやら。

「ど、どうして、刀なんか?」

「父が寄贈した物で、大中小三本の組になっている。学園長室の隣に飾ってあったのを知らないか? こう、ガラスケースに入ってだな」

 身振り手振りで示そうとする彼女に対し、僕は首を横に振った。学園長室自体なら見たことあるが、隣は、はて、どんなスペースだったろう?

「まあ知らなくてもいい。その内の一本がひと月前に盗まれた」

「それも初耳だなぁ」

「盗難を知らないのは当たり前だ。不祥事に違いない故、校外はおろか、校内向けにも伏せてある。展示スペースに今あるのは模造刀だ。この学園は名前があるだけに、なおのこと隠したがる体質のようだ」

 嫌悪する口ぶりの音無。そんな秘密を僕なんかが知っていいのかしらん。

「調査は秘密裏に行われていた。芳しい成果は上がっていなかったが、先の下校中、私の携帯電話に連絡が入った。刀が見つかったから、剣道部部室に来られないかと」

 この話を聞いて、一遍に疑問と興味が湧いた。

「その電話、誰から?」

万丈目まんじょうめ顧問……と名乗っていたが、声が急いていた上に、電波もよくなかったため、判然としない。今では怪しむ気持ちが強い。本当に刀が見つかったのなら、わざわざ部室になぞ置くまい。職員室かどこかで厳重に保管するはず。電話が非通知であった点も腑に落ちない」

 だからこそ音無はまず竹刀を構え、ここに踏み込んだ訳か。刀を持っているかもしれない怪人物を相手に、一人で乗り込むとは勇ましい。

「百田君はこの件に無関係なのか」

「天地神明に誓って無関係。盗難の話自体、初耳」

 答えてから、音無の疑念の矛先をかわそうと、別の方向に話を持って行く。

「さっき、君のあとを追っていて、途中で見失っちゃったよ。一体どこへ?」

「資料室だ。鍵の所在を確かめておきたかった。電話が偽りだとすれば、鍵はそこにあるはずだから」

 聡明かつ慎重な振る舞いに感心する。だが、一つ疑問点が。

「鍵は普段、職員室に保管してあるんじゃあ?」

「通常は職員室にある。他の部については知らぬが、剣道部は顧問が保管されている。万丈目先生は本館二階の資料室におられるのが常」

「それで二階に」

 僕は万丈目先生の小柄な体躯を思い浮かべながら、頷いた。理科分野の生物地学担当だから、ここで云う資料室とは当然、その手の資料室だろう。

 しかし体育館の二階には、理科に限らず、資料室なんてないはず。どうやら音無は本館の二階に行ったのに、僕は他の女生徒を追い掛けていたらしい。心密かに思いを寄せる相手の後ろ姿を見間違えるとは情けない。

「だが、鍵は手に入らなかった。先生の姿が見えなかったから」

 音無は室内に鋭い視線を走らせた。

「百田君、鍵を持ってるんじゃないのか?」

「いや、だからドアは最初から開いてて……鍵の行方は知らない」

「ふん」

 疑惑が沸き返ったかのような音無の瞳。日常にあっても真剣勝負に挑んでいるかのごとき、気迫漲るいつもの目に、鋭利な刃物のそれに似た光が加わる。僕はせめて気圧されないよう、音無を見据え返した。

「電話が切れてから時間を空けるのはよくないと考え、部室に駆け付けたら、百田君、君がいた」

 僕を竹刀の柄で差し示す音無。品定めする目つきだったのが、ふっと緩んだ。

「もし仮に君が電話を掛けてきた相手なら、そのあと私に声を掛けるのは大胆すぎる振る舞い。多分、君は無関係なのだろう」

「信じてもらえて嬉しいよ。そのついでに云うけれど」

 なるべくさりげない口調で、刀が竹刀の中にあると伝えた。

 音無はほんの一瞬、目を見開いたが、あとは極めて冷静だった。素早くしゃがむと竹刀を取り、慣れた手つきで解体する。

「剥き出しの刀だよ。気を付けた方が」

「承知している」

 うるさいとばかり、ぴしゃりとはねつけられた。見れば、彼女は竹刀の隙間から刀の向きを確認した上で作業に取り掛かったらしい。やがて刀が出て来たが、動じる気配は微塵もなく、その柄を握りしめた。

「確かに、盗まれた物に違いない」

 顔の高さに刀を持って行き、片目を瞑って見据える。表情に若干の翳りが浮かんだ。

「僅かだが刃こぼれしている。輝きも鈍い」

「あ、そういえば、竹刀の内側に染みが」

 僕の言葉に、音無の表情が今度はきつく、険しくなったようだ。一ノ瀬に腹を立てたときと違って真剣味に溢れる分、今の方がより一層凛々しく映る。

「血の痕、か」

 染みを見るや否や、呟いた。それから今度は竹刀を注視する。

「部の物ではない。他の部員が、昨日から今日にかけて新たに竹刀を持って来たとしたら、断言できないが……。恐らく、よそから持ち込まれた物」

「つまり……中に刀を隠して、ここまで運んだのかな」

 意見を述べる僕に、不思議がる目を向けてきた音無。思わず、「何?」と聞き返す。

「いや、ただ感心した。筋道が通っている」

 そんな大層な推理だろうか。音無には、刀をこの部屋に持ち込んだ方法なんて、頭になかったのかもしれない。

「刀が無事戻るなら穏便に済ませようと考えていたが、血痕があるとなれば、話は別。しかも、鍵を如何にして開けたのか不明と来ては、なおのこと」

「先生にうまいこと云って、借りたんじゃないかな」

「とすれば、部員が犯人となってしまう。万丈目先生は剣道部部員にのみ鍵をお貸しになる。例外は一切なしだ」

 仲間を疑う発想は皆無なのだろう、音無は断固たる口調で云った。同時に、僕への非難も込めてあったような。

「と、とにかくさ、万丈目先生に会わないと。先生に会えば、誰が鍵を借りていったのか、分かるじゃないか」

「云われるまでもなく、そうするつもりだが……」

 声を途切れさせた音無。矢のような視線が僕の右頬をかすめ、奥にあるロッカーを射る。

「奇妙だ」

「え、何が?」

「――百田君。ロッカーを触らなかったか?」

「とんでもない。部屋には入ったが、ロッカーまで勝手に開けるような真似はしてないよ」

 まだ疑われているのかと、慌てて弁明に努める。だが、音無の意図はそんなところになかった。

「一番左のロッカーに入れてあった物が、他のロッカーの上や、部屋の隅に置いてある」

 と云われても、部外者には理解できない。整理整頓されていないのが奇妙だという意味?

「今朝方、虫の知らせを感じたが、これのことだったか……とても嫌な感覚」

 音無は口中が乾いたのか、唾を飲み込む仕種を見せた。勿論、女の子だから喉仏が動くなどという顕著な変化はない。

「百田君。頼みがある。済まないのだが、そのロッカーを開けてほしい」

「は?」

「腕力ならまだしも攻撃力なら、私の方が確実に上だろう。万が一、そのロッカーに何者かが隠れていた場合、私が素早く対応せねばならない」

「そ、そりゃ、結構だけど」

 声に出してしまっては、ロッカー内に怪人物が潜んでいたとしても、そいつは怖気を振るうに違いない。若しくは対策を立てる。たとえば、扉を開けようとした僕の腕を掴まえ、人質に取るとか。

「恐がらなくていい。誰かが潜んでいるなぞ、まずはない。ただ、ロッカーの中が空っぽか、別の物が押し込まれているかは分からない」

 音無の気迫に押され、素直に従う。向かって最も左のロッカーに近寄ると、まだ恐る恐る手を伸ばす。振り返り、音無が刀をロッカーから遠ざけ、竹刀を構えたのを見届けた。勇気を得て、最後の数センチを詰める。扉に触れるや、一気に開けた。

「――」

 その瞬間、扉にしがみつく格好になった僕に、ロッカー内部は全く見えなかった。見えるのは、目をいっぱいに見開いた音無。滅多にそんな表情をしないだけに、彼女が何をロッカーに見たのか、気になる。そして好奇心以上に恐ろしさが湧いた。

「百田君。腹を据えることだ。私達は最悪の面倒事に巻き込まれた」

 音無が懸命に冷静さを保とうとしているのが、その掠れ気味の声で分かった。

「みっともない悲鳴を上げたくないのなら、見ない方がよかろう。ロッカーには、万丈目先生の遺体がある」

 い・た・い? 何ですか、それは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る