写真の日
~ 六月一日(水) 写真の日 ~
※
昔のことを思い出そうとした時、
薄らぼんやりはっきりしない様子。
提出期限なる縛り付けが無くなると。
途端に気を抜く悪い癖。
人間というものは。
とかく楽な方へ転がりやすくできているものである。
「立哉君。仕事の資料持って来たんだけど……」
「勘弁してくれ! 何日か休もう。さすがに連日考えすぎて、なんだか分からなくなってきた」
「そうは言っても、頑張らないと……。あたしだって、どんなにつらい日でも十個は決めてるよ?」
「一個に決めるのが目的なんだよ! お前もちょっと頭を休ませろ!」
言われてみればと手を叩く。
最近、おバカさんに磨きがかかってきたこいつは。
そんな秋乃を見つめながら。
珍しいヤツがキッチンから声をかけて来た。
「秋乃ちゃん、仕事決まらないのかしら?」
「は、はい……」
「仕事したくないならお嫁さんでもいいのよ? その代わり、得意の研究でもなんでもいいからちゃんとお金は稼ぐこと」
「お、お嫁さん……」
俺には企業戦士を育てる鬼教官として当たるくせに。
秋乃には甘いこいつは。
珍しく平日に帰ってきて。
しかも料理なんか作りだした……。
「ママ! ほんじゃ凜々花も遊んだくれてていいの!?」
「お金を稼げればね?」
「…………S&P500とか?」
「あんたの知識の偏りヤバくない?」
「こら凜々花。キッチンでお袋にまとわりつくな、危ないから」
株で遊んで暮らすとか。
それこそ猛勉強して、その上で強運が無ければ無理だろうに。
呆れた凜々花にため息をついていると。
秋乃が、惚けた顔して訊ねて来た。
「あたし、進路希望書にも書いたけど……」
「ん? お嫁さんのことか?」
「何学部に進めばいいの?」
「最近の結婚率の低さはそれが原因だったのか」
どうにも最近。
世間知らずという言葉で片付けてはいけないように感じ始めて来たんだが。
携帯で検索しながらお茶をすするこいつに自覚があるやらないのやら。
ただただ、心配だとしか言えません。
「……小学校さえ出てれば、受験資格があるって」
「信じるなどんなサイト見てるんだよ」
「中卒なら筆記試験免除」
「ある意味面接で合否が決まるとか。上手いとは思うけど」
俺は、秋乃から携帯を取り上げて。
投稿型の質問サイトで見かける面白質問と珍解答のページを閉じていたんだが。
「そうね。普通ならその後に役員面接もあるけど、秋乃ちゃんなら既に免除よ」
お袋が、下ごしらえを終えた鍋を持って。
キッチンから現れながらとんでもないことを言い始める。
「や、やった……」
「こら待て役員。大人のそういう無神経な言動がどれだけ少年少女を傷つけると思ってるんだ?」
「あんたは進路決まってるのよね?」
「……コンロもって来る」
これが大人のやり方か。
議論のすり替えで勝ちを拾うとか、卑怯にもほどがある。
俺は心のノートを二冊開いて、今日のことをそれぞれに書き込みながら二階へ上がる。
一冊は、将来役立つ大人の交渉テクニック集で。
もう一冊は、倍返しするための恨みノート。
「ボンベの替えも持って……、と」
いつも持ち歩くカセットコンロと共に。
リビングへ降りると。
お袋はキッチンに戻らず。
ダイニングでなにやら秋乃と顔を寄せている。
息子のプレゼンか。
嫁の心構えでも吹聴しているのか。
なにをしてるのかは分からんが。
俺は、そいつと結婚する気はねえぞ?
……じじいみたいな発想かもしれんが。
あまりにも家柄が違い過ぎる。
こいつは、きっと相応しい旦那を。
親父さんに紹介されるに決まってるからな。
「なんの密談してるんだよ」
コンロをテーブルに置いて。
カセットの残量を確認しながら、二人の手元をみてみれば。
そこには、平成の遺物。
フォトアルバムが置かれていたのだった。
今時、電子化しないとか。
珍しいこと極まりないが。
デジタルについては俺より詳しい親父が。
わざわざ紙焼きしている品だ。
「ほら秋乃ちゃん。これ、面影あるでしょ?」
「ちっこい立哉君……。凄い生意気そう……」
「その頃の凜々花がこれ」
「…………びっくりするほど今と変わらない」
「でしょ?」
ええい、恥ずかしいからやめんか。
大人のそういう無神経な言動がどれだけ少年少女を傷つけると以下同文。
俺は、元々入っていたやたら軽いカセットを抜いて。
新しいボンベの封を切りながら考える。
その写真、見おぼえないな。
最近見なくなったから忘れてるだけなのかもしれんけど。
「背景さ、東京じゃねえよな。どこ」
「ここ」
「へえ」
興味もない、適当な質問だったから。
すぐには気づかず、そんな返事をしたんだが。
……おかしくねえか?
「いやちょっと待て。ここってどういうことだよ」
「ここの写真よ。あんたが九才の時の」
そう言いながら。
お袋が指差す一枚。
その隅っこには。
見覚えのあるのぼりが立っている。
「…………これ、ワンコ・バーガーじゃないか」
「だから言ってるでしょうに」
アルバムをひったくって。
改めて確認してみたが。
ワンコ・バーガーの向かいは雑木林になっていて。
そして、俺が立ってるこの場所は。
「……ショッピングセンターんとこ?」
「そうなるわね。こう見ると広い敷地よね」
いや、広さが問題じゃなくて。
ただの空き地って事が問題なんだが。
八年前は。
こんな閑散としてたのかよ。
「なあ、お袋。こんな何にもないところにどうして来たんだよ」
「ショッピングセンター計画の下見よ」
「そうじゃなくて。どうしてこんな何にもないとこに越してきたんだ?」
当然の疑問だ。
だって、親父は仕事してるわけじゃねえし。
なにもこんな不便な所に越して来なくても。
そんな質問に。
お袋は、眉根を寄せながら口を開く。
「……ちょっと、なに言ってるのよあんた」
「ん?」
「あんたがここがいいって言ったんじゃない」
お袋の表情は。
真剣そのもの。
でも、俺はそんなこと……。
「言ってねえよ。引っ越し決めた二年前の話とはいえ、さすがにそんな大ごと口にしてたら覚えてる」
「二年前じゃないわよ」
「ん?」
「この写真撮った時」
「だとしたら一晩寝たら忘れるわ!」
なにそれ。
子供が口にした『ここに住みたい』。
そんなたわごと鵜呑みにしたの?
「お袋が一緒に遊んでくれたとか、そんな理由で言ったに決まってんだろ!」
「ううん? ここの名産品が気に入ったって」
「名産品ってなんだよ」
「さあ? なんか面白い話で大笑いした記憶はあるけど忘れちゃった」
「忘れちゃったって」
「それから六年後か。引っ越しの話を上司にしたらね? 数年使ったけど必要無くなる家があるから、ここを使っていいって」
なんたること。
まさかそんな理由だったとは。
「でも、ひょっとして秋乃ちゃんに会ったからここがいいって言ったんじゃない?」
「秋乃が越してきたのは五年前だ!」
会ってるわけねえだろ。
まったく、大人のそういう無神経な言動が以下同文。
でも、そういや春姫ちゃんの療養のためと言っても。
ここを選んだ理由って何だったんだろう。
「舞浜家がここに決めた理由ってのもあるのか?」
「そ、それが……。あたしが、ここがいいって言ったらしくて……」
「あらやだ運命みたいじゃない!」
こら、はしゃぐな踊るな。
大人のそういう以下同文。
「なんでお前の意見で決まったんだよ! そもそもお前は親父さんと東京に残る予定だったんだろ!?」
「そ、それが……」
「なんだよ」
「め、名産品が気に入って、ここに住むって言ったらしいの……」
「再放送!?」
そんなバカな話ある?
あと、お袋はどこからそのクラッカー出したんだよ、パンッじゃねえよ。
大人の以下同文だ!
「なに! 名産品、何!」
「ここのメロン、美味しかったから……」
「夕張に行け!」
「カップに入ったアイスだったんだけど……」
「工場に住め!」
なんだか、意味もなく叫びっぱなしになったけど。
とにもかくにも、そんな偶然がご近所さんって状況を生んだのか。
俺は複雑な思いを胸に抱きながら。
ボンベをセットして、レバーを引いたんだが。
べきん!
余計なことを考えていたせいで。
切り口をちゃんと確認しなかったから。
レバーを折ってしまったのだった。
「…………まあ、大人への予行演習って事で」
「大人って、やっぱ無神経」
こんな食い方。
確かに大人しかしないけどさ。
だからって、まさかキッチンで。
立ったまま鍋をつつかんでもよかろうに。
「お、大人ってすごいね、立哉君」
「以下同文」
俺は、お袋の発想にムッとしながら。
この地においては名産品でもなんでもない、うまい野菜を頬張るのだった。
……それにしても。
俺が口にした名産品って。
何のことだったんだろうな。
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