菜の日


 ~ 五月三十一日(火) 菜の日 ~

 ※首鼠両端しゅそりょうたん

  心を決めかねているたとえ。




 春も、その最終日ともなると気温は夏のそれと変わらぬものとなり。

 慣れ親しんだ場所とはいえ、狭苦しい生徒指導室に押し込められては息苦しさで参ってしまいそうになる。


 だからと言って、冷房の効いた場所へ逃げだすわけにもいかない。


 俺は、下げた頭を伝う汗が顎先から滴る様をただ見つめながら。

 長い長い沈黙に耐え続けていたのだった。



「あ、あのね? 立哉君」

「はい」

「ぼ、盆と正月が同時に棚から落ちて来た?」

「なんで喜んでるんだよこの状況を」

「め、珍しい状況だって言いたかっただけなんだけど……」


 俺がいて。

 生徒指導室。


 と来れば。


 誰しも想像する絵面えづらは一つだと思うのだが。

 もちろん、その誰しもという中に俺すら含まれるのだが。


 大方の予想に反して。

 頭を下げているのは。


「本来、意思と異なることを記入するものではないと思うのだが」

「いや、そういうとこが先生らしいと思う」

「きょ、協力します……」


 未だ進路が決まらない俺たちが悪いのに。

 頭を下げてくる先生。


 どうやら、五月中に三年生全員分の進路調査書を集めなければいけないらしく。

 俺たちに、暫定でもいいから何かしら書いて提出するよう頼んできたのだった。


「ふざけた進路を書いて提出している者も多く見受けられるからな。何を書いても構わん」

「ふざけて書いてるやついるのかよ、将来のことなのに」

「で、でも……。何でもいいと言われても」

「何でもいいんだから何でもいいんだろ?」

「何でもいいんだから何でもいいと言われても」

「何でも……、ああめんどくせえなあ」


 この、何でもを永遠に積み上げようとしているめんどくさい子さんは。

 舞浜まいはま秋乃あきの


 どこまで耐えきれるか苛め抜いてやろうとも思ったが。

 このまま問答を続けたら『何でも』がゲシュタルト崩壊し始めるからもうやめて。


 建設的な意見を言ってやろう。


「じゃあ……、目に入った品の中で一番どうしようもないものを選べ」

「どうしようもない?」

「机だったら机作り職人。窓だったら窓掃除業」

「じゃあ、先生」

「………………先生は、どうしようもなくない」


 ほんとは爆笑したかったんだが。

 思いの外しょんぼりしちまった先生を見たらとてもじゃないけど笑えない。


 それにしたって。


「先生って。なに教える気?」


 数学か理科か。

 あるいは図画工作?


「えっとね? 野菜嫌いな子供に、野菜のおいしさを教えたい」

「それはなに学?」

「最近のぎょっとするお野菜の金額」

「笑えねえほど共感するぜ」


 食費のやりくりまで任されてる俺としては。

 身につまされる。


 でも、野菜のおいしさを伝えたいって。

 先生じゃなくたって叶えることが出来そうな夢だけど。


「あのね? カレーに入れれば何でも解決、っていうのは間違ってる気がするの」

「そうだな。そもそもカレーなんて炭水化物のとりすぎだ」

「でもね? 嫌いな野菜を食べさせるのも良くないって言われてるでしょ?」

「子供は味覚が鋭敏だから、苦いものを本能的に受け付けないらしいな」


 俺たちの会話を聞いて。

 状況的には、止めるのが当然であろう先生だとは思うんだが。


 秋乃の夢の話しだということをしっかり汲み取って。

 止めるどころか真剣に聞いている。


 理不尽なことばかりする石頭の先生だけど。

 こういうところは凄いなって思う。


 ……だから、秋乃。

 この石頭は、どうしようもない物じゃないからね?


「どうやったら食べてくれると思う?」

「工夫はいくらでもあるだろうけど、無理強いは良くないとは思う。……先生が子供の頃は無理やり食わされてたんだろ?」

「時代が違うから参考にはなるまい。……それより、舞浜は教師に向いていると思うぞ」


 強引に進路の話に持って行った。

 そんな気は、まったくない。

 心からの提案に聞こえた先生の言葉。


 自分がなりたい職業として。

 教師と口にした秋乃が。


 自分の夢を肯定されて。

 勇気を貰って邁進するきっかけ。



 ……に。


 なるはずはない。



「せ、先生ですか? ……それはちょっと」

「貴様がなりたいと言ったのだろうが!」

「ひうっ!? ……い、言いましたっけ?」

「すまん先生。怒る気持ちは分かるが、こいつはこういうやつなんだ」


 一日に、なりたい職業を十や二十は口にする。

 そんな秋乃が、一分前の発言を覚えてるはずもない。


「それにこいつが教師なんて無理だ」

「俺はそうは思わんが」

「授業の内容が異端過ぎて、生徒はみんな置いてけぼりになる」

「そ、そんなこと無い……」

「じゃあ、お前が英語の教師になったとして」

「うん」

「最初の授業のメニューを言ってみろ」

「ほうれん草のバターソテー」


 俺の説明を聞いて。

 肩をすくめる先生だったが。


 こいつは自分の考えが間違っていたと。

 認めたくない一心で。


「ならば保坂が授業を担当すればよかろう」

「無茶苦茶言い始めやがった!」

「貴様は舞浜の保護者なのだろう? ちゃんと責務を果たせ」

「これだから野菜を無理やり食わされてた世代は!」


 頭に来て怒鳴ったけれど。

 でも、今更気付いたことがある。


 こいつがどんな職に就いたとて。


「お前、先輩一同から異端って言われて、味方も無しに仕事できる?」

「むり……」


 そうだよな。

 じゃあしょうがない。


 俺たちは顔を見合わせて。

 同時に一つ頷くと。



 秋乃と同じ

 立哉君と同じ



 そう進路希望書に書いて先生に渡したら。


 それぞれの用紙を顔にべちんと突っ返された。


「何でもいいって言ったくせに!」

「何を書いても構わんって言ったのに……」

「だったら二人とも同じ職業を書け!」


 結局、何でもというわけにはいかなくなったところで。

 二人で頭をひねり始めたんだが。


 秋乃が、はっと。

 何かに気付いて先生に話しかける。


「せ、先生。何でもいい、ですよね?」

「ああ」

「立哉君と同じにすればいいんですよね?」

「そうだ」

「じゃあ……」


 そう言いながら。

 秋乃が書いた職業。


 それは。



 お嫁さん



「うはははははははははははは!!! 俺はなれんだろうが!」


 まったくお前は。

 こんな時に面白いことやり始めるんじゃねえ!


 だったら……。


「こら保坂! ふざけるのも大概にしろ!」

「なんで秋乃は叱られなくて俺だけ叱られるんだ!?」

「当たり前だろう書き直せ!」

「お前みたいのがいるから、いつまで経っても世界に男女平等が広まらないんだ!」

「やかましい!」


 まったく。

 これだから昭和生まれは。


 俺は仕方なく。

 『旦那様』の文字を消して。


 秋乃と同じものを書いて提出した。



 …………おいこら。

 素直に受け取るな異端教師。


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