女子将棋の日


 ~ 五月三十日(月) 女子将棋の日 ~

 ※余韻嫋嫋よいんじょうじょう

  音が鳴りやんでもなお残る響き




「カッコいい! もう、この仕事に大決定!」


 一ヶ月も付き合わされたんだ。


 クラスの全員は。

 オチまでの道路標識が全て頭の中に描かれている。


 でも。


「和服で将棋! 女性棋士って、凛々しくて素敵!」


 これもまた一ヶ月。

 ずっと続いてきたというのに。


 男子高校生と言う生き物は。

 キーワードをインプットすると制服姿を想像する。


 きっとそうなるように。

 生まれる前から本能に刻み込まれているのだろうな。


 艶やかな赤い着物に白黄色の菊の柄。

 帯は白地に金銀の刺繍がされた華やかさ。


 そんな和服の背にかかる飴色の長髪の持ち主は。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 ではなく。


「だれが女性棋士になるって?」

「立哉君が!」


「「「「おええええええええええええ!!!」」」」


 ……例え今後何十回と。

 同じことを繰り返したとしても。


 こいつらは微塵も変わらぬリアクションを取る。


 だってそれは。

 男子高校生に生まれた者の本能なのだから。


「男子全員その場で空気椅子」


 そんなだみ声が聞こえてくるということは。

 無論現在、授業の真っただ中。


 そもそも騒いでいたのはこいつなのに。

 なぜみんなが被害を被らねばならんのか。


 だが机に掴まって必死に耐える男子全員の恨みのこもった視線は。


 秋乃ではなく俺に向く。


「なんでじゃい」

「あ、でも……。立哉君だけじゃなくて、あたしもなってみたいかも……」


 おっと、これは予想外。

 いつもと違って、彼らにはご褒美が配布されることになった模様。


 脳内に浮かんだ艶やかな姿と。

 恨みとを足して2で割って。


 彼らがとった行動は。


 デレっとした顔を秋乃に向けて。

 そのあと俺に渋い顔を向けるというメトロノーム。


「器用だな」

「……男子全員、よそ見も禁止だ。今後何か音を立てたやつには廊下へ出ていってもらうからな」


 先生の一言により。

 ようやく気分の悪い針の筵から解放された俺だったが。


 今度は、鞄から折り畳み式の将棋盤を取り出した秋乃を静かに止めねばならないという過酷なミッションが待っていたのだった。


「こら、すぐしまえ」

「でも……。早いにこしたことは無いと思うから……」

「はさみ将棋しかできんくせに」

「ま、周り将棋も、山崩しも覚えた……」

「背が高いどんぐり三つ並べられても」

「じゃあ、まずは四天王で最弱の立哉君に山崩しで勝ってからにすればいい?」

「だれが最弱だ」


 みょうちくりんな売り言葉に。

 ついムッとしてしまった俺の返事。


 これを受領と受け取ったのか。

 秋乃は、コマの入ったケースを将棋盤に叩きつける。


 ばがじゃん!


 どんな比喩でも適わない。

 唯一無二の、山崩しの開始音。

 

 さすがに一瞬。

 先生が咎めようとしたんだが。


「こら! 全員静かにしろ!」


 クラス中から笑いが起きたせいで。

 矛先を全方位に向けてしまった。


「勘弁してください。君ひとりのせいで国民すべてが迷惑しています」

「だって先生、音を出さないようにって言ったから……」

「お前のせいで笑い声がそこいらから雨漏りしてんだよ」

「じゃあ、先攻どうぞ」


 ああもう、相手にしなきゃ納まらなそうだな。

 仕方が無いからとっとと終わらせてくれよう。


 俺は、明らかに他の駒に触れていない金将を指で滑らせて。

 盤上から落としてみせた。


「ほら取れた」

「今、最後に音が鳴った……」

「盤上からコマを落とす時だけは音を出していいんだよ」

「ずるい……」

「ずるくない。ほら、お前の番」

「よ、よし……」


 秋乃が教わったとすれば。

 凜々花か親父の二択なわけで。


 ならば、保坂家ルールで覚えたという事だ。


 保坂家のルールでは。

 一つの駒を取ったら手番のプレイヤーが交代する。


 そうしないと。

 凜々花が泣きだすからな。


「ほれ。早くしろ」

「待って……。今、計算するから……」

「計算?」


 いぶかしむ俺の目の前で。

 秋乃は定規と分度器。

 果てはノギスまで取り出して。


 そして英語のノートに、見たこともない記号を使った数式を書きなぐり。

 一ページ分もの途中式を経て、今ようやく顔をあげた。


「か、完璧……!」


 そして、満を持して伸ばした人差し指が。

 飛車の角にかかるなり。


 かしゃ


「ぷっ……!」

「くくくっ……!」

「そ、想像通り……」

「こ、これは拷問っ……!」


 お客様方の片足を。

 廊下に突っ込むお約束。


「お前、才能ないから。もう諦めてくれないか?」

「まって……。さっきより計算に時間かけてもいい?」

「かけたところで」

「さ、さっきは磁場を計算に入れてなかったから……」

「入れたところで」


 言うが早いか、秋乃はさらに複雑になった計算式を見開きいっぱいに展開して。

 走らせるペンの音だけで、クラスの連中の肩を揺らすと。


「で、できた……!」

「できたところで」

「今度こそ完璧」

「はあ」

「ここに、この角度から…………、へくちっ!」


 がしゃ


「ぷぷぷっ!」

「ぶはっ!」

「絶対笑うわそんなもん……!」

「だ、誰か助けて……!」


 押し殺しているせいで、ほんとに苦しそう。

 みんなが一斉に顔を伏せて背中を揺らしているんだが。


 さすがにこれは怒られて当然。

 俺は、戦力外通告のつもりで秋乃の肩をポンと叩いた。


「おい保坂。立っとれ」

「まずお前がクビだ、このノーコンピッチャー」


 言葉は大切にって。

 この間、学んだっけ。


 俺が零してしまった水は、どうやら先生の頭にかかってしまったらしい。

 穏やかに話し合えば済みそうだったのに、もうその矛先が揺らぐことは無さそうだ。


 納得はいかないが、仕方ない。

 俺は言われるがままに席を立とうとしたんだが。


「だが、これ以上騒がしくしたら即アウトだ」

「アウトってなんだ?」

「音を立てずに立って音を立てずに歩いて音を立てずに廊下に出ろ」

「摩擦係数って言葉知ってるか? 無茶言うな」

「もしもできなければ……」

「できなければ?」

「即、コマを盤上から落とす」


 そう言いながら、窓を指さしてるけど。

 二階と言っても、ただじゃ済まんぞ?


 下手すりゃ教育委員会の登場だ。


「足の骨が折れる音と悲鳴が校内中に響き渡ると思うが、お前はそれでも構わねえのか?」

「構わん。そういうルールだからな」

「どこの世界に体罰を許すルールがあるってんだ!」

「さっき、貴様が言っていたろう」


 なんのことだ。

 もちろん記憶にないから押し黙っていた俺に。


 先生は、ニヤリと笑ってこう言った。


「盤上からコマを落とす時だけは音を出していいのだろう?」

「うはははははははははははは!!!」


 ……恐らく入学して以来初めて。


 俺は。

 先生に爆笑させられた。



 そして、たいそう悔しがった秋乃に。

 日がな一日笑わされ続けることになったのだ。


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