ゴルフ場記念日


 ~ 五月二十四日(火) ゴルフ場記念日 ~

 ※家給人足かきゅうじんそく

  生活するに不足なく、満ち足りている事。




 兵は拙速を聞くも。

 未だ巧久しきをざるなり。


 もちろんそれは分かっている。

 だが、悪手と知っていながらも。


 ここはじっくり考えさせてほしい。


「いてっ!」

「ファー」


 お隣から、精巧に作られた材質不明の1/144スケールゴルフボールを指ではじいて飛ばしては。


「いてっ!」

「ファー」

「当たった後じゃ遅いのですけどさっきから」

「ぶつけてごめんなさいって意味だと思ってたけど、違うんだ……」

「ファーの一言で済むかそんなもん」


 どこを狙っているのか知らんが。

 毎度ファーファー言いながら。


 俺の右頬に、ゴルフボールをぺちぺちと当てている運動音痴は。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 ……いや?


 まさか本件に関しては。

 その才能をいかんなく発揮して。


 百発百中の精度で。

 赤く腫れ始めたフェアフェイへ乗せ続けている。


 なんてことはあるまいな?



 ――テスト期間恒例。

 居残り勉強。


 長年の苦労が実を結んだのか。

 テスト一週間前に入ってから、秋乃は俺の手を煩わせることなく。

 一人で勝手に勉強してくれていた。


 だが。


 さすがに試験二日目ともなると。


「とうとう集中力が切れたのね」

「あきたー」


 かつての勉強嫌いが鎌首をもたげ。

 代りに自分の首は机の上に落下させて。


 だらしのない姿勢のまま。

 おはじきゴルフを始めたのだった。



 そんな秋乃のことを。

 昨日は改めて大好きになって。


 そして、日をまたいだ今日。

 俺は改めて。


 嫌いになっ……、いてえなこの野郎。


「こら。いい加減ボールをぺんぺんぶつけてくんぱくっ!? ごくん!?」

「ファー」

「ぺへっ!? ぺっ! ぺっ!」

「か、体には害がないから大丈夫」

「ほんとか!?」

「……体には」

「不穏なんだよ! じゃあ何に害があるの!?」


 俺はこいつのことが好きなのか。

 それとも嫌いなのか。


 だんだんわからなくなってきている。


 日によっては誰にも渡したくないほど好きで。

 日によってはとことんバカ野郎で。


 でも、秋乃は俺の彼女じゃないけど。

 俺は秋乃の彼氏だし。


 いいところを見て褒めてやろう。

 そう自分に言い聞かせて留飲を下げる。


 ゴルフボールと共に。


「……まあ、今回は頑張ってるからな。一緒に休憩してやろう」

「ほんと? じゃあ、ゴルフする?」

「それはやらない」

「しゅん」

「まあまあ。勉強頑張りながら、俺の進路心配してくれてるし。感謝してます」

「えへへ……」

「でも、自分の進路の心配もしてくれよ?」


 秋乃はいつでも。

 俺の心配をしてくれる。


 でも、自分のことを捨て置いて。

 やっているフシがある。


 そう考えた俺は。

 ふと、こんな事に気が付いた。


 自分のことをすべてこなして。

 余力で相手を思いやることができる。


 そんな大人じゃないと。

 恋人なんか作っちゃいけないんじゃないか?


 一人前には程遠い。

 そんな俺たちの恋愛は、所詮ごっこ遊びに過ぎなくて。


 本当の恋愛は。

 大人同士じゃないとできないのではなかr


「いてっ」

「ファー」


 そんなことを無意識に知っているから。

 こうして子供じみたことをする秋乃を見て。


 その都度、恋愛感情が下がっているという可能性に気付いた俺だった。


「そんな子供みてえなことやってばっかで。何になりたいかちゃんと決めろよ?」

「いま決まった……」


 もう何度も経験してきたから容易にわかる。


 この思い付き。

 三十分後に聞いてみると、そんなこと言った覚えがないという常温で気化する物質だ。


 さて、今度は。

 何を思いついたのやら。


 秋乃は返事の代わりに。

 ゴルフボールを指ではじく。


 するとその指から。

 ゴルフボールは天井近くまで打ちあがったんだが。


 その軌道。

 このままだと俺の机に落下するだろう。


 そう思った瞬間。


「旗外して! 旗!」


 何のことかわからないが。

 切羽詰まった秋乃の様子に圧倒されて。


 教科書やノートを慌ててどけると。

 机の表面に貼られたシールに。

 くっきり書かれた黄色い旗の絵。


「これ?」


 聞いてはみたものの。

 返事を待っている暇はない。


 俺は慌ててシールを剥ぎ取ったんだが。


 そこに現れたものを見て思わず叫び声をあげた。


「穴開けやがった!」


 そんな声が鳴りやまぬ間に。


 打ち上げたボールは見事にカップへ落下して、軽やかな音をカコンと奏でる。


 だが。


 ボールはカップの底でバウンドして。

 円筒の縁を舐めつつ予想だにしない方向へ飛び出した。


「ぱくっ!? ごくん!?」

「ファー」

「ぺへっ!? ぺっ! ぺっ!」

「か、体には害がないから……」

「さっき聞いたわ!」

「技にも……」

「じゃあ余ってんのは心ですよね!? 心に害があるって、なにで出来てるんだよ!?」


 事実、すっかり心はささくれ立って。

 声を荒げることになってはいるけどさ。


 誰が上手いこと言えっつった。


「大丈夫。心の傷は必ず治るから」

「やかましいわ。それよりお前、なりたい職業ってまさか」

「あたし、ゴルファーになりたいなって」


 さんざんOBばかりを連発してたくせに。

 最後は、あわやホールインワンというミラクル発動。


 そのきらりと輝く部分だけでも。

 褒めてやるべきかどうか。


「まあ、すぐ他のこと言い出すんだろうけど……」

「これは本気。だって楽しい」

「そうか? どの辺が楽しい?」

「指ではじいて飛ばすところ」

「うはははははははははははは!!!」


 そのためには。

 ゴルフという競技自体のルールを改正しないといけない。


 お前はそんな大物に。

 これからなろうというのか。



 馬鹿げていると。

 誰もが口をそろえて言うであろう。


 だが、親たるもの。

 子供の夢を摘み取るような真似をしてはいけない。


 だから俺は。


 秋乃から遊び道具を全部取り上げて。

 教科書を顔に押し付けた。


「ほら! 遊んでねえで、今は勉強しろ!」



 だって俺は。

 お前の親じゃねえからな。

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