ラブレターの日


 ~ 五月二十三日(月) ラブレターの日 ~

 ※貴耳賤目きじせんもく

  うわさを信じて、目に見えて

  いるものを信じないこと。



 昔。

 一度だけ書いたことがある。



 嫌われて、友達もいなかった小学校高学年の頃。

 今となっては何に困っていたのかすっかり忘れたけれど。

 俺を助けてくれたのは、クラスの女の子だった。


 ……きっとマンガやアニメで覚えた知識。


 ありがとうの気持ちと。

 大好きですという言葉をしたためて。


 ピンクの封筒で包んだラブレター。


 それがクラスの一人に見つかって。

 その場で、これを見ろよと大騒ぎ。


 宛先に書かれた自分の名前。

 その子がどれだけ優しい気持ちを持っていようとも。


 彼女には、絶対嫌だと否定する以外に。

 明日からの学園生活を守る術などありはしなかった。




 だから。



「絶対にダメ!」



 俺は、目の前で必死に叫ぶ一人の女性の姿を見て。

 こらえきれずに流した涙を必死に拭って誤魔化すのだった。




 ――高校二年生と三年生の違い。

 そこに確実で明白なものがあるとすれば。


「未だに間違うとか」

「ご、ごめん……、ね?」


 どうしてこんなことになるのやら。

 去年まで自分が使っていた下駄箱から。

 男子の靴が出てきて小さな悲鳴を上げるこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 テスト期間というものは。

 下校の時刻が重なって。


 混み合うのが正しい姿の。

 昇降口。


 でも、俺たちは明日のテスト勉強を校内で行っていたから。


 ちょうど恥ずかしい思いをしながら逃げ出した瞬間にすれ違った男子二人組以外に人影はなく。


 誰にも失態を気づかれることは無かった。


 俺は、一つお隣りの列に入って。

 息をひそめる秋乃の姿を見て笑うのをこらえていたのだが。


 耳に入った二人の会話に。

 下駄箱を開けようとしていた手をぴたりと止めることになった。


「お前、それラブレター!?」

「んなわけあるかよ。サトシかタケルのイタズラに決まってる」

「確かにあの二人ならやりそうだけど……、その割にはニヤニヤしてるじゃねえか」

「してねえって。こんな手に引っかかるかってんだ」

「え? いいのか!?」

「いいんだよ。そもそも今はゲーム一筋だし。女とか面倒だろうが」


 そんな会話の後。

 下駄箱の上に、かさりと聞こえた悲しい音。


 こいつ、読みもしないで置いて行ってしまったようだ。



 でも悪友の犯行と断定するには。

 いささか早かったかもしれないぜ。


 だって。


 テストが終わって。

 こんな時刻まで。


 一体どんな思いでそこに立っていたんだろう。


 遠く校庭の隅。

 木の裏にこっそり隠れて。


 こちらの様子をうかがっているのは、どう見ても女子だから。



 ……秋乃は。

 俺よりも、誰かのSOSに気付くのが断然早い。


 でも、悲しいことに。

 上手い対処を思い付くのが下手だ。


 だからいつもの右側から。

 ぎゅっと腕を掴まれる。


 気持ちは痛いほど伝わって来るけど。

 俺は、秋乃の顔をみる事も、その想いに応えることもできずに。


 ただ、距離があるせいで。

 想い人がどんな行動をとったのか分かるはずもなく。


 落ち着きなく、校門から立ち去る男子の背中を目で追う女子のことを見ていることしかできなかった。



 時間にして。

 ほんの一分ほどのことだったと思う。


 でも、俺には数時間にわたるドラマを一本見ていたかのように感じられた。


 そして、秋乃が呟く言葉に。


「ど、どうしよう、手紙……」


 次の一分で。

 数時間にも及ぶドラマの台本を。

 何本も頭の中で書くことになったんだが。


 結局。


 どのシナリオも。

 ハッピーエンドで締めくくることはできなかったのだった。


 ……俺たちは。

 関係者じゃない。


 もしも俺たちが動いて。

 彼らの人生を悲しい物に変えてしまったとしたら。


 どう責任を取ればいいというのか。



 見なかったことにして帰ろう。



 秋乃が一番納得しないであろう言葉を口にしよう。


 そう思った俺を。

 一陣の風が止める。


 下駄箱の向こう側から。

 明らかに、手紙が落ちた音が聞こえた直後に。


「お? あれラブレターじゃねえの?」

「中見ようぜ!」


 そんな声が。

 廊下の方から聞こえて来た。



 俺は考えた。

 考えてから行動しようとした。


 だが、上手くイタズラ心を消し去る言葉を思い付くよりも前に。



「絶対にダメ!」



 秋乃が飛び出して。

 下駄箱の裏側へ走り。


 後を追った俺が見た時には。


 ラブレターの上に覆いかぶさって。

 丸めた体全部で守っていたのだった。


「うわびっくりした!」

「あ、あんたのだったのか?」

「あ、あたしのじゃない……」

「え?」

「か、書いた人の気持ちになってほしい……」



 秋乃の言葉は。

 ごく当たり前のもの。


 でも、二人の胸に。

 きっと深く突き刺さったのだろう。


 彼らは、悪かったと。

 止めてくれてありがとうと、秋乃に頭を下げ。


 そそくさと帰って行ったのだった。



 俺は、秋乃の頭に手を置いて。

 頷き一つで心から褒めてやった後。


 さて。


 盛大にため息をつかせてもらおうか。


「……関係者になっちまったな」

「ど、どうしよう、手紙……」


 秋乃は、泣きそうな顔をしながら立ち上がって。


 スノコに落ちた手紙を見つめる。


 これを元の位置に戻したところで、また落ちるし。

 だからと言って、このままにしていたら誰かに見られるか捨てられるかするに決まってる。


 しかも、また風が吹いて。

 どこかへ飛んでいきそうになったから。


 慌てて俺が拾い上げた丁度その時。



「てめえ、待て! 俺の手紙どうする気だ!」



 耳に飛び込んで来た大声に、慌てて顔をあげると。


 息を切らせて走って来たのは、どうやらさっきの二年生。


「返せ!」


 そして乱暴に俺の手から手紙をぶんどると。

 荒げた息のまま、再び校門へと走って行ってしまった。



 ……なんと失礼な。


 そんな気持ちが湧く源泉は。

 きっと右の腕にあるんだろう。


 秋乃が、強く強く握ってくれたから。


「よ……。よかったね……」


 俺は、こんなにも。

 清々しい気持ちで、彼らの幸せを祈ることが出来たのだった。



「……ラブレターか。なんか、いいな」

「そう?」

「そりゃそうだろ。今、こんな気持ちでいますって。そんなことが書かれたもの貰ったらドキドキするだろうよ」

「ドキドキするの?」

「いや分かれよ。お前は書いたこととか貰った事とか無いんかい」

「貰ったことは無いけど……」


 え?

 そんなとこで返事止めたりしたら。


 書いたことについては肯定なの?


 秋乃が、今の気持ちを綴った手紙を書いたお相手。

 小学校の頃か、中学生の時か。


 イケメンなのか面白いやつなのか優しい男子か。


 俺は、顔も知らない相手に嫉妬しながら。

 下駄箱を開くと。


「い、今……。そんな気持ちでいます……」


 そこには。



 豚肉500

 ニンジン2本

 ジャガイモ3個

 玉ねぎ3個

 トマト1個

 カレールー8皿分



「うはははははははははははは!!! なぜトメイトう!」

「ドキドキする?」

「ぐつぐつするわ!」


 しょうがないから。

 せめて愛情たっぷり込めて。


 今夜はカレーを舞浜家におすそ分けだ。




 しかし。

 この間も考えたけど。


 このまま社会に出たとて。

 秋乃は、戦う相手にすら塩を送り続けることだろう。


 そんなことで仕事になるのだろうか。

 あるいは。


 誰かを幸せにすることでお金を貰える職業というものが。

 この世に存在するのだろうか。



「……そっか。指針が一つできたのかもしれない」



 俺は、未ださまよう霧の中。

 一つの光明を見出した気がしたのだった。



「でしょ? トマト」

「それは入れません」

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