第5章 崩れ去る均衡(10)

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 ヒュドラーダ――。

 シエロがこの都市を訪れるのは2度目になる。

 もとはと言えば自身の故郷である国家ではあるが、シエロはその国家のせいで両親や友、そして住む場所など、すべてを失い、自身の命をも失いかけた身である。いまさら故郷などとは到底思えない。

 そのような身の上のなんの能力もない子供を、父リチャード・クインスメアは引き取り、何の苦労もさせずにここまで育て上げてくれた。その上、正式な跡取りとして養子にまで取り上げてくれた。この後の生涯は父とクインスメア家、そしてメイシュトリンド王国のために尽くすと決意している。


 前回訪れたのは数か月前のことだ。その時はまだ、ここはヒューデラハイド王国王都であった。いまは、何なのだろうか。

 あの時と街の様子に変わった点と言えば、飢えた住民を見かけなくなったという事だろう。


 今回は父一行の護衛という名目でここまで付き従ってきた。父とフューリアス将軍、そしてもう一人エルフの識者は大使館へ入った。シエロの任務は一旦の区切りとなった。

 大使館へ入る前にフューリアス将軍から直々に「暇」を告げられたシエロは、市中の様子の見聞に出ているところである。


 街並みを見て回るうちにシエロはあることに気づく。

 飢えたものを見かけないというのは先ほども言ったが、心なしか、前に訪れた時より町が「明るい」のだ。

 活気があると言ってもよいかもしれないが、それだけではないような気もする。


「なんだかみんな、楽しそうだ――」


 シエロは思わずそう呟いた。



『自ら道を拓くっていうのはこういう事だよ――』


「え――?」

シエロは唐突に返された言葉に思わず振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。冬の陽光に差し照らされ、キラキラとなびく金色の髪がまぶしい。


「君は――たしか……?」

シエロはその少女に見覚えがあった。――そうだ。あの日衛兵から逃げ去って行ったあの女だ。


「また会ったね、シエロ・クインスメア卿――」

少女は静かに言い放つ。


 シエロは反射的に腰の剣に手を掛けそうになるが、ここは踏みとどまる。


「どうして僕の名を?」


「だって、この間自分でそう言ってたじゃないか?」


「あ、あの時――。聞いていたのか?」


「あの時はありがとうね。おかげで助かったよ、いつもより楽に逃げられたからね――」


「しかし、あまりいい方法とは言えないな。僕でなかったら無礼討ちだってあり得るところだよ?」


「ははは、そんな間抜けに見えるかい? それに、君だからとった行動なんだ、そうでなかったら違う方法を取ってたさ」


「つまり、僕は見くびられたってことかな?」


「そういう言い方をするもんじゃない。君の人徳だよ。素直に喜ぶべきことさ」


「そうなのか? ではお礼を言わないと――かな?」


「ははは、やっぱり君、面白いね。今日はこちらがお礼を言ってるんだよ? 君がお礼を言うのは道理に合わないじゃないか」


「――――」

シエロはすこし戸惑った。明らかに手の内で転がされている。


「あー、ついついこういう言い方になってしまう、悪かったね。話題を替えよう。さっきの話さ。みんな楽しそうだろう?」

少女は一瞬困ったような表情を見せたように見えたが、すぐにまた笑顔に戻って聞いてきた。

 

「ああ、みんないい顔をしている。ついこの間大騒動があったとは思えない雰囲気だ」

シエロは正直に答えた。この国に関しては自分は部外者である。個人的意見を述べてもさして何も失ったりするわけでもない。


「これが本来人のあるべき姿なんだよ――」


「本来あるべき姿?」


「ああ、そうさ。ボクはそう思ってるんだ。君とはまたどこかで出会う気がするよ、シエロ・クインスメア卿。その時はまた、君の意見が聞きたいな?」

そう言って少女は踵を返して右手を挙げた。


「おい、君! 人の名を知っておいて、自分の名を名乗らないってのはどうかと思うぞ?」

シエロがその背中に声をかけると、その少女は歩みを止めた。


「聞かないから答えなかっただけさ。聞いてもないのに名乗るのは貴族の作法かもしれないが、あいにくボクはもう貴族じゃないからね」


「なるほど。たしかに、聞かなかったのは僕の方だった。では改めて聞こう、君の名は何て言うんだ?」


「ミュリーゼ――、ミュリーゼ・ハインツフェルト」


「ミュリーゼ・ハインツフェルト――、君が、そうだったのか……」


「ふふふ。ボクに対する見方が変わったかい? そうだとすればボクの見込み違いだったかもしれないね――」


「どうだろうね。ただ……」


「ただ?」


「今、少し、名前を尋ねたことを悔やんでいる僕がいるのは確かだ。君とは、その、また話をしたいと思っていたからね――」


「ふふふ、ありがとうシエロ。ボクもまた君とお話ししたいな――。できればこういう、なんのしがらみもない場所で、ね」

そう言うと今度は立ち止まることはなく去って行った。


 時は冬の晴れた日であった。彼女が去った後に吹いてきた風はまだまだ冷たかったが、熱くなったシエロの胸を冷ますのにはちょうど良い心地よさだった。







第1部 完









*************


 ありがとうございました。


 なんといいますか、何となくキリがよくなっちゃったので、ここで第1幕終幕という運びになっちゃいました。

 

 もちろんのことですが、物語はまだまだ続くと言いたいところですが、現状二つの連載をやっている都合上、どうしても手が回りません。

 書きたいことが多すぎて、あれもあれもとやってしまうのはなかなかに難しいものですね。


 とりあえず一つの形を取って、なにも回収できてはおりませんが、一旦区切らせていただきます。


 「仮初の」と「レジェンドオブシルヴェリア」はどうやら私のライフワークになりそうな気がしてきました。

 おそらく書かれている方であれば何となくこの気持ち察していただけるのかもしれません。

 どちらもおそらく私にとって長い時間をかけて紡ぎ続けるべき作品になるような気がしています。


 ですので、大変申し訳ございません!


 お時間をください!

 そしてもし、お忘れでなければまた、続きを読んでください。


 それではまた、この世界でお会いできますことを楽しみにして、しばしお別れといたします。


 ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました!


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