第5章 崩れ去る均衡(9)

9

 聖竜暦1250年1の月7の日――

――元ヒューデラハイド王国王都ヒュドラーダ、メイシュトリンド王国大使館。


 メンデルがミュリーゼと初めて会ってから1週間が経つ。本国からの返事はすでにメンデルの手元に届いていた。

 対応の指示は、

「相手の出方を用心深く注視せよ。基本的には無干渉でよいが、決してメイシュトリンドが裏で支えているというようなあらぬ誤解が出ぬように立ち回ること」

だった。


 なんとも、あいまいな指示であるが、もう一つ補足事項が付け足してあった。


「この指示書の発信と同時に、そちらへフューリアス・ネイ将軍とゲラート・クインスメア執政、リチャード・マグリノフを向かわせる。少女が次訪れた際は、一度会談を持ちたいと持ち掛けておいてくれ」


との、王からの達しだった。


 ところが、彼女はその後いっこうに姿を見せない。

 おそらく今日あたり、本国から執政殿一行が到着するころだ。


 この一週間ほどで、このヒュドラーダや、周辺の町や集落を探索させ、情報収集をしていたのだが、どこもかしこも人民たちはすでに普通の生活に戻りつつある。

 というのも、王城の国庫に貯め込まれていた食料が一応各戸に配給され、しばらくの間は凌げる形となったからのようだ。

 変わったところと言えば、各町に集会所が設けられ、配給の統制がなされているぐらいだ。

 もちろんこれを統制しているのが、彼女、なのだろう。


 ヒュドラーダには当然のごとく他の国家の大使館も存在している。メンデルはミュリーゼと会談を持ったことを、他の国の大使にも伝えてある。これは自国だけが抜け駆けしている、もしくは、共謀していると思われないための予防線だ。

 各国大使が本国に伝えるかどうか、これはその大使の判断にゆだねてある。

 こういう時のために、メンデルはこれまで他国の大使と親密に接し、信頼を積み重ねてきたのだ。


 各国大使の話によれば、どうやらミュリーゼは、メイシュトリンド大使館の後、各国の大使館を順に訪ねて回っているという事だ。昨日時点で、主だった各国大使館にはすべて一度は訪問をしているという事だった。

 中には、そのまま追い返してしまった大使館もあるようだが、おそらく彼女にとっては、話を聞いてもらえるかどうかは大した問題ではないのだろう。


「一度はチャンスをやっただろう?」


というのが正直なところと言えるのではないか。


 追い返してしまった大使が、その判断を本国からどのように評価されるのかはわからないし、心情を察しもするが、メンデル自身は彼女と会談を持ったことに胸をなでおろしているというのが本音のところだ。

 少なくとも、ミュリーゼは本物の「メリドリッヒの神童」だったということだ。本国から執政一行がこちらに向かっているということがその証拠に他ならない。


(ふう、やれやれだ。繋がりパイプを切らずにいてよかったわ――)


 取り敢えずのところ、自身の仕事はしっかりとこなしている。カールス王の信頼を失うようなことはあるまい。ただ、今後のことを考えると少し気が重い。ゲラートがやってきたとしても、いつまでもここにいるわけでないことは明白だ。となると、やはりつなぎ役は私となるだろう――。


(あの切れ味鋭い少女を相手に私がどこまで立ち回れるか――)


 メンデル自身、これまでの経験や実績から自身の能力は相当なものだと自負しているし、控えめに見てもおそらく誰もがそう評価するであろう。しかし彼女は、まさしく「別格」だ。先日初対面の折はなんとか踏みとどまっているが、この先あの少女と互角に渡り合えるとは到底思えない。


(――いや、私はメイシュトリンドの大使なのだ。私は私の役目を全うすることに全力を尽くすとしよう)


 メンデルは執務室の机の上においてある、自身の家族の写真を眺めながら、気を引き締める。

 

(まさか自分の娘より幼い少女を相手にここまで胃が痛くなるとはな。世界にはいろんな人間がいるものだとつくづく思い知らされる――サリーには普通に幸せになってもらいたいものだ)


 そう思いながら写真の中で笑う娘の顔に視線を向けていた。



 数時間後、大使館に執政一行が到着した。

 メンデルは一行を招き入れ、応接室で茶を用意させリラックスしてもらうよう計らった。その後、一息ついたころに、応接室へ向かい、挨拶を交わす。


「執政閣下。遠路はるばるお越しいただき恐縮です。今後の対応など詳しくご指示いただければ幸いです――」

メンデルはまずはゲラートにそう言って一礼する。


「メンデル大使、お久しぶりです。お元気そうで何よりです。此度の騒動で特に御変りはございませんでしたか?」


「はい、われわれや他国の大使館は一切被害を受けておりません。騒動はかなり統制されていたものと思われます」


「“メリドリッヒの神童”ですか――。なかなか大変な天才ぶりとか」


「ええ、見た目に騙されてはなりません。相当な人物であると、私は感じております」

 

 そう言った一連のやり取りをした後、フューリアスとも挨拶を交わし、次いでゲラートが、リチャード・マグリノフをメンデルに紹介する。

「こちらがリチャード・マグリノフ先生です。先生はその少女と面識があるということで今回は同行していただきました――」


「ほう、こちらが、あの“世を導くもの”の二つ名を持つ先生であられますか――。初めまして、メンデル・コリンチャンスと申します」


「コリンチャンス大使。彼女と対峙なされたとか。それは大そうな気苦労でありましたでしょう? 心中お察ししますよ。正真正銘、彼女はおそらく現人族の中で最高の知者と呼べるものです。私と同格かそれ以上ですからな」

リチャードの言い回しは相変わらず自己顕示欲に満ちているように聞こえるが、さすがに数百年を生き抜くエルフからみれば、我々人族はどこまで年をとっても子供のようなものだ。この点だけはくつがえしようのない事実というものだ。

 しかし、メンデルは聞き逃さなかった。そのエルフの知者をして、「私と同格かそれ以上」と言わしめるミュリーゼとはいったいどれほどの天才なのか。


 その者とこの先も対峙しなければならぬとは。

 メンデルはまた、胃のあたりにきりきりという痛みを感じるような気がしてきた。



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