第5章 崩れ去る均衡(7)

7

 聖竜暦1249年12の月31の日――

――元ヒューデラハイド王国王都ヒュドラーダ、メイシュトリンド王国大使館。


 メイシュトリンド王国ヒューデラハイド大使のメンデル・コリンチャンスはこの一週間の間、王都内の情勢を逐一本国へ報告していた。

 また、各国の大使との情報交換も密に行い、できる限り現状の情報を集めようと必死であった。

 しかしながら、いっこうにこの度の騒動の首魁と思われるものの正体は不明のままであった。この一週間の間、王都の民衆たちは王城に備蓄されていた食糧を互いに分け合い、飢えをしのぎつつ、春に向けての準備にいそしんでいた。無政府状態となっているにもかかわらず、民衆は日々の生活に徐々に落ち着きを取り戻している。

 しかも、各国の大使館にも食糧の蓄えはあることを知りながらも、これを襲うことはなかった。

 騒動が起きた数日の間はさすがにいつ襲われるかと生きた心地がしなかったメンデルだったが、どうやら彼ら民衆たちは完全にその行動はとらないと規律されているように感じられた。

 やはり、なにものかが裏で統制していることは間違いないものと思われる。ただの民衆蜂起であればもっと混乱し、大使館や、商館など物資があると思われる場所はことごとく狙われるはずだからだ。


 そんなことを考えている時だった。

 不意に応接室のドアがノックされた。メンデルは、即座に返事を返す。

「はいれ」


 扉を開いて大使館員が入ってくると、面会を求めているものがあると告げた。

 大使へ面会など、基本的には事前通知アポイントメントがないとあり得ないことである。

 はて、自分が失念していたかと一瞬我を疑ったが、大使館員の次の言葉に予想以上に驚かされることになる。


――今回のクーデターの首魁と名乗るものが面会を申し入れてまいりました。


 そのものはいま、大使館の玄関前に待たせてあるというのだ。

 メンデルは一瞬ためらったが、いずれにせよ会ってみないことには真偽のほどはわからない。

 一瞬の逡巡ののち、静かに返答する。


「わかった、とおせ。それと衛兵を3名ほど集めてくれ」


 何が起きるかまったく予想ができない以上、最悪を想定するのは当然の準備だ。その点はゲラート様よりうるさく言い含められている。


 程なくして、大使館員がそのものを連れて応接室へやってきた。そこでメンデルはさらに驚愕することになる。


「やぁ、大使さん。ボクが今回の騒動の首謀者だよ。とはいっても、ほかの国には危害を加えるつもりなんてないんだ。ボクたちはただ、聖竜の晩餐や、国民のことなど顧みない王様なんかの言いなりになることを拒否したいだけなんだよ。メイシュトリンドの王様は人格者だと聞いている、そっとしておいてくれないかなと言いたいんだけど、伝えてくれないかなぁ」


 目の前にいるのは小柄な女の子だ。

 年のころは15か16か。まだ子供と言って差し支えないぐらいだ。


 言葉遣いや、応対する仕草などはまさしく子供であるのだが、不思議な落ち着きとあふれ出す自信が感じられる。

 

(やはり、こいつがその首謀者なのか――)

メンデルはまだ信じられないでいる、当然だ。


「お嬢さん、君が今回の首謀者だと証明することはできるのかい?」

メンデルは、注意深く言葉を選ぶよりも直線的に質問する方を選んだ。


「だよねぇ。こんな子供が、ましてや女があんなに大それたことができるわけないって、大人たちはみんなそう思うよね。わかるよ? でもね、人は見かけによらないもんなんだ――。ボク自身ほかの子供となんか違うなぁと思っていたんだよね。でもね、ボクはボクなんだ。やるべきことがはっきりして、道が見えたら、その通りに一つ一つやり遂げただけなんだよ。結果はこうなった、思っていた通り、みんながおもっていることはおなじだったのさ――」

そう言って女の子はソファの上で前後に体を揺すっている。


 見る限りまさしく子供そのものだが、現状においては、この国で今起きていることを把握するのにこの少女をおいてほかに手がかりはない。

 メンデルは、暫し考え込んだが、

「わかった――。本国に君のことを伝えるとしよう。それで、これから君は、いや君たちなのか――、この国をどうしようと考えているんだ?」

そう少女に返した。


「ありがとう大使さん。ボクの名前は、ミュリーゼ・ハインツフェルトだよ。今後ともよろしくお見知りおきを。それから、今後のことだけど、それはまた後日詳しくお話ししたいな。ちょ~っと込み入った話になりそうだからね――」

少女はそういうと、ソファから立ち上がって、

「ああ、一つお願いがあるんだけど、いいかな?」

背を向けながらそう言った。


「なんだね? 聞いてから答えるしかないのだが?」

メンデルは少女の表情が見えないことに少し警戒して返す。


「うん、そうだよね。またここに来てもいいかなってことなんだけど――、そんなに構えないでよ? ただの子供だよ?」

ミュリーゼは少しほくそ笑みながらそう言った。


「いいだろう。いつでも来てくれて構わない。少し待たせることはあるかもしれないが、それでもいいかね?」

メンデルはこの繋がりパイプを切るわけにはいかないと考えた。


「オッケー。当然だね。それで構わないよ、ありがとう大使さん――」


「メンデル・コリンチャンスだ、よろしくハインツフェルト卿――」


「ふふ。ではコリンチャンス大使、また数日後にお邪魔するよ――」

そう言って少女は背を向けたまま、右手を挙げて扉から出て行った。



 何だというのだ? 彼女はいったい何者なのだ、ハインツフェルトと言ったな――、ハインツフェルト――。


 ――ハインツフェルト、そうか! 南の海に面する地域にその昔、メリドリッヒ王国という小国があったが、そこの貴族家にハインツフェルトという家名があったはずだ。その所縁ゆかりのものなのか? これについてはすぐに調べる必要があるな――。

 メンデルはこれから少し忙しくなるぞと気を引き締めていた。

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