大切なものが何か、わかった時にまだその大切なものがそのままあってくれる幸せ。幸せってきっと、それに尽きる。

第21話 俺の家族

 雨音あまねが風呂に入ると、れんが妙なことをはじめるようになった。


「マオ、ちょっとそこに座って」

 俺は蓮の正面に敷かれた座布団の上に置かれた。蓮が自分の座布団に正座し、俺に向かい合う。

「ええと……何て言ったらいいかな、あの……改めて、何というか、いや違うな、うーん」

 何だよ、はっきりしないな。

 俺はすぐに飽きて手を体の下にしまい、落ち着いた。


「あ、ちょっとマオ、もう少ししゃんとしてよ」

 蓮が俺を起こそうとする。うるさいな、話が決まってからにしろよ。俺は蓮の手をぺしっとたたいた。蓮は諦めて目を閉じる俺にぶつぶつ語りかける。

「ええと、なかなか切り出せないままにここまできたけど、この前の旅行で改めて思って、だから……ん?何か違うかな」

 おい、変に張り切るのはやめてくれよ。また雨になったら明日外で遊べなくなるよ。

 屋根のあるカーポートのおかげで、雨でもちょっとだけ外に出られるようになった。雨音は雨の日はそこで本を読むのが楽しいようだ。

 俺もそれもいいんだけど、やっぱりもっと広くていろいろなものがいっぱいある、畑で遊びたいよ。

「もっとシンプルに?いや、うーん」


 蓮が首を捻るうち、シャワーの音が止まった。連はあわてて座布団の位置を直し、俺を座布団から放り出した。

 何だよ、せっかくいい形だったのに!

「あらマオ、また遊んでもらってるの、いいわね」

 微笑む雨音に、俺が遊んであげてるんだよ、と蓮の手に噛みつきながら、俺は思った。


「マオ、ちょっとそこに座ってて」

 蓮はまだやっている。もうやだよ。何だよ毎日。

「やっぱり俺の生き甲斐は……いや、俺のことは関係ないか。生きる糧?うーん、ごはんは俺が作ってるしな。毎日笑って生きていけたらいいけど、そうじゃない時もあるだろうし」

 訳のわからない哲学でも始めたのだろうか。俺は大きなあくびをした。


 蓮はまたひとしきりぶつぶつやって、何か書き始めた。あまりに進展がないため、メモにとることにしたらしい。

「ごはんはバツ、と。あとは何だろう、お墓?いや、宗教はちゃんと確認してから」

 俺もういなくていいんじゃないかな。俺は座布団から降り、家の中を巡回することにした。

 台所の辺りに来た時、シャワーの音が止まった。じき雨音が風呂から上がってくるだろう。

「あれ?あれ、マオ?」

 間の抜けた蓮の声が聞こえた。


「マオ、ちょっとそこに座って。しゃんと!」

 蓮は香箱を組んで座ろうとした俺を無理に起こした。

 もーう、だから何だよ毎日毎日!

 なぁーお!

「ごめんごめん、でも相手がいないと感じが出ないから、お願いマオ様!」

 頭を下げられ、俺は仕方なく両手を揃えて座布団に腰を下ろした。


 蓮は引き出しから紙と青い小箱を取り出して、やけに緊張した顔で俺を見た。

 な、何だよ。何が起こるんだ。

「ええと……ああ、やっぱり見ながらの方がいいかな」

 まだぐずぐずしはじめた。緊張して損した。俺が改めて香箱を組もうとすると、蓮はまた俺を引っ張り起こした。

もう、やるなら早くしろよ。


 蓮は紙を広げた。

「ええと、たまご百円、お一人様1パック限り。……何だ、裏か」

 気付けよ、と俺は思ったが黙っていた。わざととしか思えない。わざとならツッコんだら負けだ。

「あー……一日千秋って何だ。秋じゃないのに。出だし、これ?いや、ないな……」

 紙を近付けたり遠ざけたりして、蓮が言う。ないも何も、お前が書いたものだろ、多分。


 ふぁー。

 もう飽きたよ。あくびばっかりでるよ。

「出だし、もっと自然にならないかなあ。こう、うまい流れにつながるような何か、うーん」

 蓮は小箱を開け、中の小さなものをつまんで、首をかしげた。

「サビっていうか、ここはもうこれでいいと思うんだけどなあ。これは気持ちです、まずは一緒に」

 蓮が紙を見ながらつまんだものを俺に差し出す。何かサビだよ、ふわぁーあ。


「蓮、石けんがなくなっちゃって」

「どわあ!」

 風呂に入ったと思った雨音が現れた。

 蓮が大袈裟な悲鳴をあげ、手から何かが飛び、蓮の声に驚いた俺はあくびを途中にも出来ず、しかし顔は驚くという変な状態になってしまい、筋肉がちょっとおかしくなって、何かが俺の方に飛んできたのはわかったけれど、何がどこに飛んだのかも把握できないまま、ようやくあくびが終わり、


「ああああ!」

 また蓮がすごい声をあげるから俺はまたびっくりした。

「マオ、口開けて、口!」

 蓮が俺の口を無理矢理開けさせる。何だよ、やめろ!

 おぁーあ!

「ないぃぃ!」


「蓮、買い置きの石けんあったかしら」

 蓮の悲鳴に慣れている雨音が普通に尋ねる。

「蓮、石けん」

「あ、あの、洗面所の上の戸棚、俺、マオが」

 蓮が俺をぶら下げてくるくる回っている。俺も目が回る。しゃっくりが出はじめた。

「あら、猫もしゃっくりするのね」

「雨音さん、俺、ちょっと、マオが、病院行ってきます!」

 蓮は俺を準備もしていないお出かけバッグに突っ込み、車に飛び込んだ。


 夜道を飛ばし、蓮は途中で気付いて電話をかけた。

「あ、夜分遅く大変すみません、渋澤と申しますが、うちのマオがあの、変なものを飲み込んでしまって、ええ、すみません、どうかよろしくお願いします」

 俺、何か飲み込んだのか?さっき体がちょっと変だったなら気付かなかったが、蓮がそんなにあわてるのなら体によくないものなのだろうか。 


 どうしよう。雨音を残して死にたくない。まだ猫で可愛がられていたい。

 怖くなってきた。俺はお出かけバッグの中で縮こまった。しゃっくりはいつのまにか止まっていた。

「マオ、元気ないな、やっぱり……どうしよう」

 夜道を差し引いてもすごい速さで、蓮は佐々木動物病院に着いた。


「こんな時間に来てくれるなんて、嬉しいですねえ」

 嬉しくもなさそうな薄笑いで、佐々木先生が俺を見る。この人はいつも白衣なのか。

「ああ、これは自宅用ですよ」

 佐々木先生が答えて俺は驚いた。俺の言葉がわかるのだろうか。

「先生、あの、さっき、マオが指輪を飲んじゃって」

「指輪?」

 俺は台の上で佐々木先生に撫で回された。何、俺、指輪飲んだの?指輪って、何の指輪?蓮、お前そんなのしてたっけ。


 俺の口を開けてライトで確認しながら佐々木先生が言う。

「喉にはつかえていませんねえ。このまま待てば、自然と出るかもしれませんが、出ない時はまたいらしていただいて」

「出る前に出してもらえないでしょうか、あの、プロポーズするために買った指輪なんです……!」

 蓮が叫んだ。


「はあ、それは大事な指輪ですねえ」

 佐々木先生が俺の腹をなでまわしている。俺は驚きのあまりされるがままだった。


 お前たち、まだ結婚してなかったのか?!


「こう、事情があって同棲が先になってしまって、ちゃんとしたいとは思っていたんですがのばしのばしになってしまっていて、それがこう、ついに思い切ろうとした矢先にこれで、そんな指輪を、マオの……◯◯の中から探って取り出して贈るなんてできません……!」

 蓮が血を吐くように叫ぶ。まあ確かにそりゃ、なあ。


「せめて上からとか、出ないでしょうか」


 佐々木先生は俺を裏返し、背中を撫でまわしながら薄く笑った。

「上から出したら、マオくんは苦しいですよ。下からなら自然ですが、上からは体に無理をさせることになりますからねえ」

 佐々木先生は俺のおなかの横をもんだ。

「どうせならいっそ、開きましょうか。自然に出るのを待っていても、どこかにつかえるかもしれないし、そうしたらひどく苦しむことになりますからねえ。病気でもないおなかを開くなんて、興奮してきますねえ。強めの麻酔も打てますよ、殺人にはなりませんからねえ」


 俺はぎくりとした。開くって、蓮、俺……!


 佐々木先生は慌てる蓮を厳しく見据えた。

「そんなに大切な指輪なら買い直したらいいんです。命より大切なモノなどありません」

 いつもの怪しげな柔らかい口調に、びしりと筋が通った。蓮ははっとしたように動きを止めた。

「ペットにちょっとだけ、と我慢をさせる飼い主は、すぐにそれをエスカレートさせます。ちょっと苦しいのを我慢してもらうだけ、痛いのを、おなかがすいたのを、……死んでしまうほどの病気やケガを。私はね、それを見るたび、飼い主を同じ目に、いやその倍の苦しみを与えてやりたくてたまらないんです」


 佐々木先生は薄く笑った。

「あなたがマオくんの倍のたうちまわるなら、方法を考えましょうか」


 蓮が立ち尽くす。

 にゃーあ。

 俺は鳴いた。


 いいよ、蓮。

 俺を開いて、いいよ。


 お金ないんだろ。今月は旅行に行ったり、カーポート建ててくれたりしたもんな。


 しかも俺、その次の週は花を食べてしまったり(きれい過ぎて思わず。肉食である猫には、毒になる植物が多いらしい。気をつけよう)、その次は他の猫とケンカしたり(もちろん勝った)、その次もケンカしてケガしたり(これももう少し雨音が止めに来るのが遅ければ逆転して勝っていた。勝ちに入れていいだろう)、とにかく今月は佐々木先生にお世話になりっぱなしで、受付の看護師さんが猫保険のことを教えてくれるほどだった。カーポートの倍はかかったと先週蓮がぼやいていた。


 お前がプロポーズしたら雨音はきっと喜ぶだろう。

 そのためならいいよ、俺はきっとまたここに戻ってくるから。


 魔王がマオになって、どうしてこの家だったのか不思議だった。最初は、雨音がいたからだと思った。

 でも、雨音は蓮がいるからこの家にいたのだ。


 俺の家族は雨音と、蓮だ。


 雨音と蓮がいてくれたら俺は、何度でも家に帰るよ。だからいいよ、俺のおなかを。


「すみません、俺が間違ってました」

 蓮が言った。

「自然に出るのを待ちます。でももしマオのおなかがおかしかったら、また来ます。その時は先生、どうかマオを助けてください」

 蓮は佐々木先生に頭を下げた。佐々木先生はそうですねえ、と薄く笑った。

「もしそうなれば僕は全力でマオくんを助けましょう。ところで、マオくんの首の後ろに引っかかっているこれは、また飲み込むといけないのでしまっておいてくださいねえ」

 佐々木先生は、手品のように俺の毛の中から小さな指輪を取り出した。

「ああ!」

 にゃー!


 指輪!そこにあったんじゃないか!


「飼い主と仲良しなのはいいですねえ。今日はマオくんを存分になでられたので、特別に診療代はオマケしてあげましょう」

 佐々木先生、蓮は俺の飼い主ではないし、これは仲良しではない。戦っているんだよ!こんな人騒がせで猫騒がせな男、いつもの3倍請求してやれよ!

 俺は蓮の手を噛み、蓮は俺を引き剥がそうとして必死で、佐々木先生はその様子を目を細めて眺めていた。


 家の明かりがまだ点いている。雨音がまだ起きているのだ。

 きっと心配している。そして事情を聞いて呆れ、怒るだろう。

「あああ、また怒られるなあ……」

 車を停め、蓮がため息をついた。

 怒られろ怒られろ。お前が悪い。

 そして怒られついでに、その指輪を渡してしまえ。そうしたら雨音は怒るどころではなくなるだろうから。


 にゃあん。


「……そうだな、マオ、そうしようか!」

 蓮は下手なプロポーズの文句が並んだ紙片を握り潰した。蓮にも俺の言葉が通じたのだろうか?

 所帯を持つんだから、お前も少しは落ち着けよ。バカな大騒ぎはもうごめんだからな。

 にゃあ、にゃあん。

「わかったわかった、雨音さんもマオも大事にするよ!」

 やっぱり全然通じてないな!

 俺は呆れ、でも少し安心して、蓮が走るから揺れてたまらないお出かけバッグの中であくびをした。


 でも、白いふわふわのドレスを着た雨音に一番に抱きしめられるのは、俺だからね。

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猫に転生して飼い主を困らせワガママ放題するつもりだったのに、主が好きすぎてツンデレできません。 澁澤 初飴 @azbora

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