第20話 正直男はサプライズ下手(上手く嘘をつける自信のない男性は、慣れないサプライズなど企てない方が無難であるという教訓)

「……言ってくれたら良かったのに」

 雨音がふくれている。が、朝のようにぴりぴりはしていなかった。

「ごめんね、びっくりさせたかったんだ」

「びっくりしたわよ。させ過ぎよ」

 本当だよ。このサプライズ下手め。

 しかし雨音は運転している蓮の上着の裾をずっと握っている。誤解も解け、機嫌も直ったようだ。


「癇癪起こすんじゃなかったな。あの着物可愛かったから、もっと着ていたかったのに」

 まだ少し腫れぼったい目で雨音が呟く。髪の毛はまだくるんくるんだが、もうそれとネイルくらいしかあの大変身の面影はない。

「あの着物で、あなたと歩きたかったの。あなたと写真も撮りたかった」

 思い出してどんどん残念になったのだろう。雨音がしゅんとする。


「……じゃあ、そうしようか」

 えっ、と雨音が蓮を見た。

「もう着られないわ」

「俺が手伝うよ」

「着付けができるの?」

 俺も驚いた。蓮は何だかんだ手先は小器用だが、そこまでできるとは。

「普通の着物は無理だけど、あれはすごく改造してあるから大丈夫だと思うよ。プロみたいには行かないだろうけど」

 雨音の頬がぽうっと赤くなる。またきれいになれる、そして蓮と歩ける。嬉しくなったようだ。

「旅館のそばにワイナリーがあって、ワインのソフトクリームがあるんだって。行ってみない?」

「食べたい!」

 雨音が弾んだ声を上げる。やっと旅行らしくなってきた。


 蓮が仕上げたはいからさんもなかなかの出来だった。雨音も思い切って、さっきのメイクに似せた華やかなメイクをした。


 はいからさんは幸せいっぱいの笑顔でソフトクリームを食べたり、ワインを試飲してみたり、足湯に入ってみたり、おみやげをのぞいたりした。

 そしてあちこちできれいだとほめられてご満悦だった。いちばんほめてほしい人もそのたびにほめてくれるから、満足したらしい。


 部屋でお膳の夕食を食べたり、温泉に浸かって、湯上がりには浴衣を着てみたり、厚みが倍もありそうなふかふかの布団で寝たり。ぷるんぷるんの胸は……まあ、それはいいか。

 ちいさな旅行を、雨音はとても楽しく過ごしたようだ。


 チェックアウトの時、雨音はチェックインの時とは打って変わった明るい笑顔で、旅館の人にお世話になりましたと挨拶した。

「これ、お借りした衣装です」

 旅館の人は用意してあったリストと内容を照らし合わせ、確かに、と笑顔で受け取った。


「あと、エステのお店の皆さんに、これを渡していただけないでしょうか」

 雨音は紙袋を渡した。ここの地元のお菓子だが、おいしかったので買ってきた。

「とても楽しく過ごせました。皆さんのおかげです。ほんの気持ちですが、どうか」

 数度のやりとりの後、お菓子は受け取ってもらえたが、ポチ袋はどうしても受け取ってもらえなかった。


「とてもご迷惑をおかけしてしまいましたから、どうかこれもお願いします」

 雨音が何とか袋を渡そうとすると、旅館の人はにっこり笑って、奥から今渡したのと同じお菓子の紙袋を取り出した。

「店の者から預かっておりました。今日は手が離せないのでご挨拶できませんが、渋澤様には大変お世話になりましたとのことです」

 返されたのではなく、あちらでも同じものを用意していたようだ。雨音は戸惑った。


「渋澤様のおかげで、オフシーズンなのに特需だそうです。こちらはそのほんのお礼です」

 雨音はまだきょとんとしている。

「もしお時間があれば、少し町を歩いてごらんになってください。すぐにわかりますよ」

 旅館の人は悪戯っぽく笑い、それから封筒を取り出した。

「こちらもお預かりしておりました」

 封筒の中身は数枚の写真だった。

 旅館の前で、はにかんで俺を抱くはいからさん。

「旅館の前でいらしたから、こちらにお泊まりの方だろうと写真を持ってきて下さった方がいらっしゃいまして。素敵な写真をありがとうと言っておられました」

 あの年配の夫婦と、カップルの方もか。

「嬉しい。ありがとうございました」

 雨音はまた泣き出しそうな顔をして微笑んだ。


「嬉しいな、いっぱいおみやげもらっちゃった」

 雨音はご機嫌だ。今日は雨音の心そのままのような青い空が広がっている。

 蓮と手をつなぎ、足取りも軽く町を歩く。まだ早い時間なので、いつも午前中で売り切れてしまうという評判の大福を買いに行くのだ。


「あれ」

 蓮が気付いて声を上げる。通りの向こうの二人連れの女性が、はいからさんだ。

「わあ、可愛い。あの着物本当に素敵ね。ああ、草履も良かったな。袴が臙脂色もいいな」

 まだ着たそうに雨音が言う。雨音ならどれでも似合うよ。


 蓮が大福を買ってきた。早速食べようかどうしようか相談していると、マップを眺めながらこちらに向かってくる、また別のはいからさん。

 大福を食べながら歩いていると、カフェにはいからさん、足湯にも、昨日行ったワイナリーにもソフトクリームを食べているはいからさん。


 特需ってこれか!


 雨音はこの町にちょっとしたはいからさんブームを作ってしまったらしい。

 着物の女性がこんなにたくさん歩いていると、ちょっと不思議な感じだ。しかし若い女性がきれいな着物で楽しそうにしているのは華やかでいい。町も活気付く。

「みんな雨音さんを見たのかな。ああなりたいって思ったんだろうね」

 蓮がにこにことそれを眺めながら言った。雨音は少し恥ずかしそうにしていたが、嬉しそうだった。


 施工が終わったとの連絡を受けて、俺たちは帰ることにした。

「はいからさんがいっぱいで、すごかったね」

 車の助手席で、雨音が少し名残惜しそうに振り返った。もう町は見えない。

「楽しかった。ありがとう、蓮」

 蓮はくすぐったそうに笑った。


「でも、意外だったなあ。雨音さん、ああいうの好きなんだね。あんまり服とか興味ないのかと思ってた」

「よくわからないだけ。きれいな服を着られたら楽しいわ。他にも、素敵な着物や服、いろいろあったのよ。また着てみたいな」

 俺は雨音が貸衣装のカタログをうっとりと見ていたのを思い出した。夏は浴衣も貸し出すらしい。浴衣の雨音か。旅館の浴衣でも色っぽかったから、気に入りの柄を着たらきっと、もっと。


「ねえ、蓮は私に何を着てほしい?」

 雨音が蓮を見る。

 俺は雨音がいつか見ていた、どこかのガラスの中に飾ってあったあのふわふわの白いドレスを着てほしい。きっと雨音にはすごく似合うってあの時思ったんだ。

 俺にも聞いてくれないかな。そして着てみてくれないかな。そうしたら俺はまたあの蝶ネクタイの首輪を着けて、雨音に抱っこされたい。ちなみにあの首輪は記念にもらえた。だから俺もおみやげがあるのだ。嬉しいな。


 蓮は俺がひとしきり考えるのが終わってもまだ悩んでいた。例えばの話に過ぎないのに、テンポ悪いなあ。蓮もそう思ったらしく、言い訳をする。

「着てみてほしいの、たくさんあって。迷うよ」

「そうなの?」

 雨音は嬉しそうに蓮を見た。

「たくさん着られたら楽しいと思うわ。ねえ、どんなのがいいの?」

 ええと、と蓮は照れたようにはにかんで、答えた。


「セーラー服。あとはナース服と、もし良かったらバニーガールを」


 ひとこと目で雨音の笑顔はすっと消えていた。

「変態」

「え、あの、え、雨音さん?」

 戸惑う蓮を、冷たい目で前を向く雨音は見もしない。

 俺もそれでいいと思うよ、雨音。

「え、え、何で、俺は正直に言っただけなのに!」

 正直ならいいということではない。

 魔王だった時に配下にいた、薬の天才だった錬金術師はどうしただろう。もし今依頼できるなら、いくら積んでもいい、バカにつける薬を開発してもらうのだが。

 それができるまで、蓮は黙ってろ。


 帰りの車の中もまた、無言になった。

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