第8話 恐怖のちくりvs必殺!マオマオまふまふ(前編)

 庭の薬草の世話を終え、その日届いた郵便物を確認していた雨音あまねは、あら、と弾んだ声をあげた。

「マオ、あなたもうすぐお誕生日だわ!」

 庭の巡回をして帰ってきた俺はなーおと答えた。

 

 誕生日。

 この家に来てから1年経つということか。


 俺の正確な生まれた日はわからない。だから、俺の誕生日はこの家に来た日に決まった。マオ、が初めて誕生したのはこの家に来てからだから、間違いではない。

「お祝いしなきゃね、ケーキ、ううん、あなたはプリンの方が……好き……」

 楽しそうに話していた雨音の声が急に小さくなる。

 俺は雨音を見上げた。雨音はいつもとは違う目で俺を見て、あわてたように目を逸らした。


 ん?

 雨音、どうかしたの。俺はにゃあと鳴いた。雨音はぎこちなく笑った。

「何でも、何でもないのよ。さあ、足を拭こうね」

 雨音が俺を見ない。何か変だな、と思いつつも、何が変なのかわからないまま、俺は雨音に抱っこされて濡れ雑巾で足を拭かれた。


 夜、れんが帰ってきた。俺はエサをもらい、かりかりとおいしくエサを食べた。が、いつもならそばに誰かいてくれるのに、今日はいない。

 エサを食べるのを中断してまわりを見ると、雨音と蓮がはっとしたように俺を見た。いかにも何か俺に聞かれたらまずい話をしていたかのように。


 俺は知らんぷりをしてエサに戻りつつ、耳をすました。しかし、もともと人間の何倍も聞こえる俺の耳に2人の声は聞こえなかったのだ。内緒話をしているのではなく、何か見せて確認しているようだった。


 俺はいやな気持ちになった。雨音と蓮が俺に聞かれてまずい話をこそこそするなんて。仲間はずれみたいだ。

 いや、俺たちは仲間じゃない。家族じゃなかったのか。

 俺は、そう思うようになっていたのに。


 エサは味もわからないままなくなっていた。蓮がすぐに皿を片付けにくる。やっぱり俺を見ていた。

 ねえ、何の話?何の話をしていたの。

 俺は雨音の足元にすり寄ってまあおと尋ねた。雨音はまたがちがちの笑顔を作って、全部食べてえらいわね、と言った。

 俺はいつも全部食べるよ。雨音、何か変だよ。変なの、いやだ。


 俺はにゃーお、にゃーおと雨音の足元で鳴き、くるくるまわった。雨音は困ったように俺を見て、ぱっと蓮の方に逃げた。

 逃げた。雨音が、俺をいやがった。

 雨音が洗い物をしている蓮に何か囁いた。蓮もちらりと俺を見て雨音に小さく答えた。

 水の音が邪魔で雨音が蓮に何て言っているのか聞こえない。

 でも確かにマオって言った。


 2人は洗い物が終わるまで、わざと無視しているみたいに俺を見なかった。俺は腹が立ってきた。

 にゃーお!にゃうにゃおーん!

 俺はテーブルに飛び乗り、壁際の本棚の上に飛び移った。本棚の上に置いてあった時計や燭台が、俺に押しのけられてバラバラと落ちていく。

「あっ!」


 2人の声がすると同時に、落ちたものたちがガッシャンと派手な音を立てた。

「マオ!ダメよ、悪い子!」

 叱る雨音に俺はまぁー!と言い返した。

 俺は悪くない!俺を悪い子にしたのは雨音じゃないか!

「マオ、テーブルに乗っちゃダメって言ったでしょ、いつもいい子なのにどうしたの」

 雨音が暴れる俺を抱こうとしたが、俺はその手を飛び越えた。

 知らない、雨音なんかもう知らない!

 しかし俺は床に着く前に大きな手に受け止められてしまった。蓮の長い手は思いもしないくらい遠くまで届く。


「マオ、よしよし」

 捕まってしまった俺は、怒られないでわしわしとなでられた。なでられると気持ちが素直になってしまう。

 雨音、雨音、内緒話いやだ。何の話なの。俺がどうしたの。俺のこと、いやになったの。嫌いになったの。

 にゃーお、にゃーお。

 俺は蓮に抱かれたまま、雨音に向かって必死に鳴いた。雨音が慰めるように優しく俺をなでる。

「怒ってごめんね。でもマオ、テーブルに乗ったらダメよ」

 雨音は優しい顔をしていた。だから俺は少し落ち着いた。

 雨音、雨音は俺のこと好きだよね?

 俺はついでに蓮を振り返った。

 蓮も、俺のこと好きだもんね?


 俺は2人の家族だもんね?


 俺はその日雨音の布団に潜り込んで、おなかに抱いてもらって眠った。


 少し経ったある日、突然蓮が明るいうちに帰ってきた。

 珍しい。何かあったのかな。

 玄関に迎えに出ると、もっと喜ぶと思った雨音が普通に迎えて、蓮もそんなにはしゃいでいなかった。

 何だろう。やっぱりこの前からずっと、何か変だ。2人とも何か示し合わせて、俺に内緒にしている。

 俺の中に暗い気持ちが広がる。

「マオ、お出かけしましょう。ほら」

 雨音が微かに緊張の混じった声で俺を呼んだ。雨音は嘘が下手なんだ。

 俺はいつもは大好きなお出かけバッグに入るのを尻込みした。

「マオ、公園にも行くわよ。おもちゃもたくさん持って行こうね。お花も咲いていてきれいよ。ね」

 雨音が優しく言うが、やはりどこか緊張している。お出かけバッグが暗く口を開けている。

 雨音。俺は、雨音を信じてる。

 観念して、俺はバッグに収まった。


 車の中では2人とも口数が少なかった。バッグ越しに雨音の体が緊張しているのがわかる。

 何か変だ。変だけど。

 俺はもう、鳴くこともできなかった。

 

 いつもの公園には、この信号を左に曲がって行く。信号の向こうに大きな赤い車の絵の看板があるので、俺はよく覚えていた。


 車は右に曲がった。

 

 俺はきゅっと目を瞑った。

 俺は、俺は、家族だよね?


 車が停まった。

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