第7話 君が猫よりワガママで甘えん坊だとは(後編)

 雨音は大袈裟なのだ。

 結局丸一日と少ししか離れていなかったのに。玄関先でそんなにキスしなきゃいけないほどかな。

「雨音さん、ほら、マオも見てるから」

 こちらもまた寝不足でげっそりした顔をだらしなくゆるませて、蓮が雨音を引き剥がす。

 雨音は玄関からリビングまでのほんの少しの間も離れたくないみたいに、まるで猫みたいに蓮のまわりをくるくるした。


 ああ、嬉しそうだな。少し悔しいけれど、俺は雨音のその顔が好きだ。


「向こうでお茶菓子に出してもらったんだけどね、ほら、前にテレビでやってて雨音さんも食べてみたいって言ってたの、あったろ。それ、無理言ってふたつもらってきちゃったんだ」

 蓮は紙袋をテーブルに置いた。他にもいろいろ買ってきたらしい。その時間があれば目の下にそんなクマなんか作ってないで少しでも寝たらいいのに。つくづくマメと言うか、ダメな男だ。

「早く食べた方がおいしいって言われたから、帰ってきちゃった」

 それは嘘だ。俺にはわかったが、雨音はそうなの、と素直に笑っている。雨音、そこは少し察してやっても。

 仏心を出した俺と、にこにこしていた雨音は、蓮が袋から出したものに釘付けになった。


 そ、それは俺が魔王だった時食べ損ねて今でも夢に見るあのプリン……!に、すごく似た感じの奴!


「あの、お取り寄せは3ヶ月待ち、本店は行列で開店と同時に売り切れてしまうって言ってた、あの……!」

 雨音が真剣な眼差しでプリンを見つめる。俺の元いた世界と状況はほぼ同じか。ではきっとその特徴も。

 瓶に入っていて、黄色味が濃い。少し固めのはずだ。底のカラメルは光に当てないと黒く見える。そして何より、上のほうに、たっぷりの生クリーム。


 とろりとしたものもいいが、固めはたまご感が強い気がする。あちこちの有名プリンを食べたが、俺は固めに落ち着いた。果物なんか乗せなくていい。アイスもチョコもいらない。プリンはそれだけで食べるのがいい。だがダブルスタンダードだ、邪道だと言われても、ホイップした生クリーム、それだけは乗っていた方が俺は嬉しい。


 はああ、食べたい。雨音のおなかもぐうと鳴る。やっと体が働き始めたようだ。

 真顔になった俺と雨音に、蓮は苦笑した。

「雨音さん、どうぞ。マオは俺と半分こでいいよな」

 仕方ない。蓮にもわけてやろう。本当は瓶で食べたいが、猫ではそうもいかない。


「……おいしい!蓮、すごくおいしい」

 早くも食べ始めた雨音がうっとりと言う。いいな、蓮、早く早く。

 プリンの蓋に分けられたプリンは、半分より少し少ない気がする。おい蓮、そっちの方がまだ多くないか。

 にゃおと不満を表明すると、蓮はああそうだったね、と言って蓋を雨音の方にやろうとした。

「俺からじゃ食べたくないもんね。雨音さん、これマオに」

 俺は言葉の途中でプリンにかぶりついた。口のまわりにクリームがつく。

「……マオが、俺の手からプリン食べた!」

 蓮が素っ頓狂な声をあげた。俺は少し顔をあげたが、無視してプリンを食べた。


 今までは下僕から分け与えられるなんてことが許せなかったので、どうしてもそうせざるを得ない場合(俺も雨音も好物のものとか。何故かよく被るのだ)、蓮が自分の分を分けて雨音に渡し、雨音から俺がもらうことにしていた。プライドの問題だ。こればかりは俺はいくら食べたいものでも我慢して譲らなかった。


 しかし、下僕は下僕だけれど。2日もほぼ寝ずに、しかも約束した通りに無事に帰ってきた。その頑張りは、少しは認めてやらないでもない。プリンが我慢できないからじゃないんだぞ。


「マオ、可愛いなあ。いい子だね、もっと食べるか?」

 蓮は喜んでプリンを蓋に追加した。もう半分より多いな。ふふん、儲けた。

 うまい。固めでシンプルなプリン。思った通りの味、しかしそれをちょっとずつ超えてくるのがいい。材料がいいのだろう。もちろんそれに甘えずにおいしさを追求した結果であろうことは言うに及ばず、見事だ。これならどこの魔王の進物にしても喜ばれるだろう。

 蓮の手、邪魔だなあ。俺が可愛いのはわかってるよ。


 俺はきれいに蓋をなめた。これが行儀悪く見えてしまわないのが、猫になって良かったなと思う理由のひとつだ。

 雨音は食べてしまっておなかが落ち着いたからか、すぐにとろんとし始めた。蓮があわてて歯磨きを促す。

「そうだ、マオには約束した通りおみやげ買ってきたよ」

 蓮がプリンの容器を片付けながら俺に言った。

 え。そんな約束はしていないのだが。

「ほら、これ」

 俺の目の前に出されたのは、マンガみたいな、真っ赤な大きな魚だった。

 ……何これ。

「あら、かまぼこ?」

 歯磨きを終えて戻ってきた雨音が楽しそうに笑う。ちょっと眠そうだ。

「でも、マオには人の食べ物あんまりあげたらいけないのよ」

「これ、猫用なんだって。もう、これだと思ってね」

 真空パックされた真っ赤な魚は、俺の半分くらいの大きさがある。これで猫用。作った奴バカだろ。

 そして蓮には俺の真意は何も伝わっていなかった。このとんちんかん。


 雨音が可愛いとほめてくれる。蓮は風呂に行ったようだ。ようやく雨音の気持ちをひとりじめできて、俺も満更ではなかった。蓮がいると俺は雨音にこんなにかまってもらえるのか。満更でもないが、少し複雑だ。でも嬉しいからいいか。

 開けてしまうと食べてしまわなくてはいけないので、雨音は後ろのシールを確認し、そのうち食べましょうね、と言った。俺も今は食べ切れないからその方がいい。

 雨音にほめられながら、俺はかまぼこの前でいろいろポーズを取った。雨音はみんな可愛い可愛いとほめてくれる。嬉しいな、雨音、もっと見て。

「あれ、雨音さんもマオもまだ起きてるの」

「マオ、気に入ったみたいよ」

「約束したんだよ」

 風呂から出てきた蓮に雨音が報告し、蓮が答える。してねえよ、雨音に俺が食いしん坊みたいに聞こえることを言うのはやめろ。

 俺は蓮の足をべしっと叩いた。


「そういえば明日は休みなんだ」

 布団に入って、蓮が思い出したように言った。もともと明日帰ってくる予定だったんだっけな。

「平日のお休みなんて珍しいね」

 雨音が嬉しそうに言う。

「どこか行きたい?」

「そうね、ランチとか……でも、あなたとゆっくりできるのも嬉しい。行ってきたところの話も聞きたいわ」

「きれいな町だったよ。いつか一緒に行きたいな」

 その時は俺も一緒だろうな。俺は雨音の布団の上からにゃっと短く鳴いた。

「そういえば雨音さん、願い石はどう?」

「うまく行ってるわ。明日の朝は布をかけるだけだから、大丈夫よ」

 そうか、雨音は願い石があるから明日、もう今日か、早起きはしなければいけないのか。でも布だけなら。もし雨音が寝坊して起きられなさそうなら、俺がかけてあげようかな。

 それなら良かった、と蓮が答え、話が途切れた。俺も寝るか。猫は人の倍は寝ないといけないのだ。


 蓮がもぞもぞしている。うるさいな、寝ろよ。いつもは布団に入ったらすぐの癖に。

「雨音さん、あの、急だけど、明日休みだし、その、ほら、久しぶりに、良かったら、ええと」

 蓮がぼそぼそまわりくどいことを言っている。

「雨音さん。……雨音さん?」

 雨音はとっくに寝ていた。

「……」

 蓮は変な顔をしている。そのために頑張れたのもあったのだろう。それならさっさと誘えばいいのに。ばぁーか。

 雨音を起こそうか起こすまいか迷っているような、半分体を起こしかけた蓮の布団に、俺はのっしのっしと移動して、真ん中に丸くなった。

 蓮があわてて小声で言う。

「ちょ、マオ、何で急に懐くんだよ、今はその、忙しいんだよ、避けてよ」

 懐いてはいない。蓮も忙しい訳ないだろ。俺は聞こえないふりをして、頑として動かなかった。こうしておけばお前が雨音に悪さできないからな。

「もう、おみやげが効き過ぎたかな」

 蓮も諦めて布団に入った。そしてすぐに動かなくなる。こいつも大分寝不足だったからな。さっさと寝たらいいんだ。

 俺は改めて雨音の布団に移動し、大きなあくびをしてから、のんびりと丸くなった。


 ちなみに後日食べた猫用かまぼこは、ねっとりとしながら歯切れが良く、ぷりぷりもちもちで、実にうまかった。俺は1日でぺろりと平らげてしまった。作った人を悪く言って本当に申し訳なかった。

 また食べたいけれど、今度は3人で買いに行けたらいいな。





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