第46話 一番したいこと

 いつものように目が覚めた。射し込む朝日も、いつもと同じで清らかさに満ちている。

 アサギは体を起こし、夢のような出来事だった昨夜のことを思い出した。


(あれは……夢だったのかしら? 現実だったのかしら)


 分からない。現実であるとは、とてもだが実感がわかないでいる。

 部屋の中を見回してみてもカナの姿はどこにも無く、アサギが身にまとっている衣類からは、大王の残り香が漂う。


(現実だったとしても、失敗……よね)


 溜め息と共に、膝を抱えて俯いた。


(なにもかも、捨てる覚悟だったのに)


 アサギの復讐は、大王とクワシに阻止されてしまったのだ。


 あのまま、魂の緒が切れてしまえばよかったのに。魂は体に、ちゃんと戻ってきてしまった。


(生きろ……と、いうことなのかしら)


 この理不尽な世の中で。


 頭元に置いていた袋を開き、中からひと房の髪を取り出す。

 大王も肌身離さず持っていた鶯王の遺髪。

 アサギは紐で固く縛ってある遺髪に頬を添えた。


「鶯王……母は、そっちに行ってはいけなかったのですか?」


 問いかけても、答えがあるはずもない。それでもアサギは語り続けた。


「感情の抑えが効かず、ひどい言葉をたくさん投げかけてしまいました。母は、貴方の父君に会わせる顔がありません」


 このまま、どこかへ旅に出ようか。

 野垂れ死にしてしまったとしても、それはそれで運命だ。


「でも、なんだかスッキリしています。言いたいことを全て吐き出してしまったからかしら……腹の中でモヤモヤしていたモノが、綺麗に無くなってしまったみたいです」


 腹の中に巣食い、一緒に頭領であるムラジの首を絞めていた蛇は、もう居ない。こんなに清々しいのは、いつ以来だろう。

 アサギは窓の外に目を向け、遺髪を胸に抱く。


「母は、貴方の体が眠る場所に行きたいわ」

「では……共に参ろうか。あの子の眠る場所へ」


 独り言に割って入ってきたのは、部屋の出入口に佇む疲労困憊した様子の大王だった。

 大王が着ている物は、ムラジの所で見た物と同じ。

 あのときの大王は、アサギと同じように霊体だったのか、それとも生身だったのか。見た目だけでは判断がつかない。


 それにしても、こんな早朝に陛下が訪ねて来るなど、今までにないことだ。


「どうされたのです?」


 大王は答えず、部屋の中にズンズンと入ってくる。アサギの傍らに立つと、勢いよくドカリと腰を下ろした。


「大王?」


 大王はアサギの頭の先から足先までを確認するように眺めていく。異常が無いと判断したのか、安堵の息を吐くと、強引にアサギを引き寄せて腕の中に閉じ込めた。


「お、大王!」


 アサギが慌てても、大王は腕の力を弱めようとしない。子供が甘えて縋(すが)り付いてくるような行動に、かなり戸惑った。


「体に不調は無いか?」

「え?」

「体から魂が抜けると、それなりに負荷がある。しかも、あんなモノまで従えて……。アサギにそれほどの力が眠っていたとは知らなんだ」


 ということは、昨夜のアレは現実だったのだ。


「頭領は、亡くなりましたか?」


 首を絞め続けたが、最後に息を吹き返していたように思う。けれど時間が経過して、やはりダメだったということがあるかもしれない。

 死んでいたとしても悔いは無いけれど、どうなったのかくらいは知っておきたかった。


「一命を取り留めたが、まだ油断はできぬ。今はクワシが傍に居て、容態を見守ってくれている」


 なんだ……死ななかったのか、というのが、正直な感想である。これではクワシに借りを作ったことになってしまうのではないかと、面倒事が増えた気分だ。


「なんで、私は……まだ生きているのでしょう? あのまま、魂の緒を切ってしまうつもりだったのに」

「そのようなことを言うな!」


 大王は大きな声を出し、アサギの両肩を掴んで顔を覗き込んでくる。

 見詰めてくる瞳は、昔アサギを追って妻木の里へ押しかけてきたときと同じ。


 そういえば……あのときも、アサギは寂しかった。

 母から必要ないと存在を否定されたように感じ、自分の存在意義を問うていたのだ。そんなときに、まだ皇子という立場であった大王は駆けつけてくれた。


 このとき大王が向けてくれた真っ直ぐな想いに、当時のアサギは応えようと思ったのだ。


(今の今まで、忘れていたわ……)


 大王のことが好きだという感情は、寂しさや憎悪に塗り潰されていたのだろう。

 それほどまでに、心が離れてしまっていた。


 気付いた胸の内に、アサギは大王から顔を背ける。もう、どんな顔を見せればいいのか分からなかった。


「なぜ、顔を逸らす」

「今まで気付かなかった自らの気持ちを……認識してしまったからです」


 もう、昔のようには戻れない。

 アサギの様子から気持ちを察知してか、大王は肩を掴む手に力を込める。


「我はまた、そなたと絆を築いていきたい」


 大王の申し出に、アサギは頭を横に振った。


「私の心は、遠く離れてしまっています。どうぞ、離縁してくださいませ」


 きっと、ムラジも仕方がないと諦めるだろう。なにせ、自分の命を狙ってきた女だ。里から追放するなど、なにかしらの措置を講ずるはずである。

 それだけのことをアサギはやらかしたのだ。


「ならぬ! もう一度、やり直そう。生きてさえいれば、やり直しはきくのだ」


 大王はアサギの頬に手を添え、ゆるりと顔を向けさせると、視線を交わらせる。

 アサギは抵抗せず、なされるがままに従った。


「我は今でも、アサギを愛している」


 さぁ、と大王の手が差し伸べられる。

 きっと、この手を取らなければ、やり直しはきかない。


(私はもう、大王と同じ夢を見ていけない……)


 大王と共に見ようとした夢を見続けていくのは、もう無理だ。


 手を取れずにいると、再び大王にスッポリと抱きすくめられる。


「……大王?」

「嫌なら、我の腕から逃げよ。そうでなければ、我と夫婦を続けていくという返事に受け取る」

「そんなっ」


 なんて、わがままで理不尽なのだろう。


 アサギの不満を見越して、大王は続ける。


「判断を委ねること、卑怯だと思われても構わない。命令をくだしてアサギの身を留め置くことはできても、心が伴わぬのであれば虚しいだけだ。心が伴っていなければ、我にとっては意味の無きことよ」


 アサギは、大王の胸に手を添えた。力を込めても、腕の力が弱まる気配はない。


「……大王?」

「逃げよと言ったが、我は逃がす気が毛頭ない」


(は?)


 アサギは、だんだんイライラしてきた。

 わがままが過ぎる。けれど、思い出した。アサギが惹かれていった男は、こういう男だったと。

 その強引さに絆(ほだ)され、夫となった男に対して欠片も興味を抱いていなかったのに、少しずつ心を開いていったのだ。


 体の中に、心のどこかに残っていた大王に対する想いの欠片が、存在感を増していく。

 腕から抜け出すことが、この温もりから逃げることが……できない。悔しいけれど、できなかった。

 全てを包み込むような安心感が、やはり心地よいのだ。


(なんて、簡単な女なんでしょう)


 チヨとマツは、アサギだけが再び大王と共に歩むことを許してくれるだろうか。長く生きられなかった鶯王は、母だけが生の道を進み続けることを快く思ってくれるだろうか。


 もうこの世に居ない本人達から、直接答えを聞くことはできない。

 けっきょくは、アサギ自身がどうしたいか、という根本的なところへ立ち戻ってしまう。


(また、後悔に苛(さいな)まれていく日々は……ごめんだわ。私が悔いを残さない選択は、どっちかしら……?)


 大王と別れることが幸せか、挫折をしながらも、また共に歩む努力をしていくほうが幸せなのか。


 決心が鈍り、揺らいでしまっている今は、答えを保留にしてもいいのかもしれない。

 生きてさえいれば、いつでも変えることができるだろう。人生にはいくつもの分岐点があり、その度に悩み決めていくのだから。


(私が、今一番したいことだけを考えよう)


 自己中心的と他人から思われても、自分が苦しいのは、もう嫌だ。


 アサギは、目にいっぱいの涙を浮かべながら、ボスッと大王の胸に額を当てた。


「一緒に、行ってくださいますか? 鶯王の体が眠る地へ」


 見てみたい。大切な息子が、最後に見た景色を。それが、今のアサギが一番したいこと。


「あぁ、勿論だ」


 大王はアサギを強く抱き締める。その力強さから、大王の感情が伝わってくるようだ。


 アサギは話の間中、右手で力いっぱい握り締めていた鶯王の遺髪を胸に抱く。

 家族三人が寄り添い合っているような……そんな錯覚を覚えた。

 



(終)

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かけはしの皇子の夢語り 佐木呉羽 @SAKIKureha

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