第3話 Abroad

※この話には、以下の表現が出てきます。

・子どもレベルの暴言(英語日本語混在!)

・(小学生の)いじめ表現

苦手な方はご注意ください。

また、海外の学校生活を描写しております。

帰国子女の方にいろいろと話を聴いていると、「初年度は毎日泣いていた」という方が多いので、そこからいろいろ膨らませて書いております。特に現在の海外の小学校とは全然雰囲気が違うであろうことを念頭に置きつつ読んでいただけますと幸いです。








 例えば面接官が私のことを噂するとき、きっと彼らはこういうのだろう。


「この木下きのしたさんって子はどうだった?」

「ああ、あの? 悪くなかったよ、普通の子だけど」







 小学生の途中から、海外に数年間暮らしていた。当時、小学校ではまだまともに英語教育が導入されておらず、父の海外支社への転勤もかなり突然決まったために、私はあまり海外生活の準備ができないまま、現地の小学校に通うことになった。

 当然の話だが、まともに言葉を発することができない私のことを、現地の学校に通う児童たちは馬鹿にした。それまでの人生、純日本人として、日本語のみの教育を受けてきたということなんて考慮してくれるわけもなく、彼らは私のことを"Like a baby"(「赤ちゃんのようだ」)と称した。与えられた指示が聞き取れず、他の生徒に教えてもらえるでもない私が失敗をする度に笑い、先生に嬉々として言いつける。先生だって、私が英語に不慣れなことを友人たちに教え諭し、協力するよう指導してくれればよいものを(さすがにそれは甘すぎるか)、彼女は他の児童たちと同様に私のことをなじったし、それで泣こうものなら"Be quiet"と大声で怒鳴られた。無理やり服を掴まれて教室の外に投げ出されたこともある。返却される小テストには大きく一つのバツ印がつけてあり、"Work hard!!"、"What a careless writing!"のどちらか一言が記されているのみ、正しい答案を渡されるわけでもなく、どうすればよいのか分からなかった。日本ではどちらかといえば優等生扱いを受けていただけに、屈辱の毎日だった。そして、先生がそのような対応をとると、クラスメイトたちは「やっぱり愛子は馬鹿にしていい存在なんだ」と認識して、より一層当たりが強くなった。休み時間になると、私のことを殴ったり蹴ったりして遊ぶ男子も現れた。

 ある日、両親に英語が分からなくて学校が辛い、と愚痴をこぼしたら、夏休みを割いて私に丁寧に勉強を教えてくれた。幼い子どもは言語習得能力が高い、という言説を信じていた両親は、学校生活の中で自然に英語を習得できなかったことに少し驚いたようだが、私の小学校生活では"That Japanese girl is like a baby"、"Shut up, you idiot"(「馬鹿は黙れ」)、"How dare you screaming like that"(「よくもそんなに騒ぎやがって」)、"Hey, don't look at me"(「こっち見んじゃねえ」)、"F〇〇〇"(これに相当する日本語はなんなんだろう? いまだに分からない)程度の言葉しか覚えられないといったものだ。

 長期休みを機に、私は生まれ変わった。元々地頭が悪いタイプではない。それに所詮小学生レベルの英語、愛情たっぷりの人間(私の場合、それは親だった)に、集中して教えてもらいさえすれば、簡単に追いつけてしまうのだ。転校後半年も経ったころにはクラスの中で「よくできる方」くらいにはなったし、先生からの扱いも徐々に変わっていった。

 一方で、友人はできなかった。それまで"Like a baby"と馬鹿にしていた同級生が突然できるようになって、しかも先生の歓心を買っている。そんなに面白くないことはないだろう。

 クラス替えがあったおかげで、次の年度からはいじめも収まり、私は一番優秀な生徒としてしょっちゅう先生に褒められていた。相変わらず友人はいなかった(前年度のこともあり、外国人の同級生というものが信用できなくなっていたのだ。これは私側の問題である)けれどそれなりに満たされた気分で学校生活を送っていた。勉強さえすれば、大人に味方についてもらえる。そう学んだ私は、自らを守るため、積極的に机に向かうようになっていた。英語に不慣れな転校生が来ると、その指導係に命じられるようになったのは納得がいかなかったが、その役割を全うすればやはり先生に褒められることが分かっていたので、指示に従った。





 小学校六年生の途中で帰国した際に驚いたことがある。「帰国子女は馬鹿だ」という偏見を持っている日本人が多いこと。海外生活はいずれ終わりを迎えることはわかっていたので、私はちゃんと日本の学校についていけるよう、日本語の勉強も欠かさなかった(もちろん、教材は自分で取り寄せることはできないので、親にインターネットで買ってもらった)。だから、テストがあればだれよりも成績は良かったというのに、ある日こんなことを同級生に言われたのだ。


「木下さんって、日本語の発音変だよね。海外が長かったから、仕方ないか」


 海外に居た頃も、自宅ではずっと日本語だったし、そもそもある程度日本語ができるようになってから海外に出たので、彼女の言ったことは的外れである。どちらかといえば、英語より日本語の方が得意。それは日本を出る前も、帰ってきた後も変わらない。それなのに、クラスメイトはそのように扱ってくれなかった。――そうでもないと、彼女たちのプライドが守られないからだ、と今なら思う。その証拠に、帰国後にある程度覚悟していた「何か英語しゃべってよ」という質問はほとんど受けなかった。私に良い恰好をさせたくなかったのだろう。

 私が何か発言する度にくすくす笑いが起きるようになったその日から、私は人前で自分を「帰国子女だ」と紹介するのを嫌った。一方で、両親としては「せっかく娘に海外経験をさせたのだから、最大限生かしてもらわないともったいない」という想いが強かったらしく、私は私立の中高一貫校の帰国子女枠を受けさせられた。――「受けさせられた」という表現からすればすごく不思議な話だが、実はこの中高六年間を、私はかなり謳歌している。そこには私のことを偏見のこもった目で見る人はおらず、帰国子女枠で通った子も、一般枠で通った子も平等に仲良くしていたと感じる。実際、高校卒業後も変わらず仲良くしている五人組は、帰国子女枠二人、一般枠三人といった人数構成である。





 勉強する環境としては最高、友人作りとしては最悪の環境で育ってきた私だが、海外経験があることがバレたときに必ず受ける反応は「いいなあ」という羨望のまなざしである。このときに、相手の反応を絶対に否定してはいけない。「親には感謝すべきだよねえ」と自ら口にするのが、一番角が立たない方法である。それで終わることがほとんどであるが、中には敵対心をむき出しにしてくる者もいる。


「じゃあ、英語なんて勉強しなくても良かったんだ。受験も楽でよかったね」

「帰国子女だから、地頭が悪くてもこの大学に入れたんだね」


 エトセトラ。一応言っておくと、私は自分が仮に英語の点数が受験者平均くらいでも十分に合格できるレベルの大学しか受けていないし、最終的には得意科目は英語ではなくて数学。両親からは英文学科を進められたけれど、強い意志を持って理学部の物理情報学科に進んだ。

 それはさておき、あからさまに敵意を示されてしまうと、こちらとしても居心地が悪くなってしまう。「海外経験は有意義だったよー? 周り中敵しかいないところで、毎日殴られたり分からない言語で怒鳴られたりしながら英語を勉強する覚悟があるなら、ぜひ行ってみて。あ、子どもが産まれれば海外勤務を希望してみたらいいじゃん? 英語ができるようになるかどうかは知らないけど、少なくとも強い子には育つよー」という言葉をぐっと飲みこむ。一時期、「海外生活、つらいことも多いけどね。日本人は日本で暮らすことがやっぱり一番だなって思ったわ」なんて返しをしていたこともあるけれど、「日本が一番だと言えるようになるそのこと自体が恵まれすぎているのだ」と一蹴されてしまうので、最近は黙ってほほ笑むようにしている。帰国バレしている時点で負けなのだ。






 帰国子女であることの恩恵を受けているな、と感じるようになったのは、実は就活が始まってからである。時代も時代、海外の顧客や取引先が増えているという点で、帰国子女や英語の得意な人間を欲している企業が増えているというのだ。エントリーシートには必ずと言っていいほど、海外経験の有無を問う欄がある。資格取得欄には、英検の取得級を書く余地がある。面接の際にはたまにそのことを問われるし、それなりに実のある内容を答えることができる。多くの人が、面白そうに私の話を聴いてくれる。そしてそれなりに、就活は善戦している。


「愛子は、就活どんな感じ?」

「うーん、ぼちぼちかな」

「愛子は秘密主義だからなー」

「ちゃんと決まったらすぐに教えるよ」

「どうせあっという間に何社も内定取ったんでしょ? 愛子、帰国子女だし」

「やっぱ外資系とか?」

「まさか」


 外資系企業からの内々定ももらったが、早々に断ってしまった。正直、頭の中ではほとんど一社に絞っている。おそらく来週あたり、研究室推薦を受けた企業の結果が判明する。もし内々定をいただけるなら、そこにするつもりでいる。ゴリゴリの日系企業である。

 大学院二年の春。大学院に進んだ者たちは就活の疲れを、大卒で就職した者たちは若手社員としての愚痴を晴らすために、都内の居酒屋に集った。

 話題は私たち院組の就活、そして大卒就活組の思い出話がメイン。


「愛子ちゃんは帰国子女だし、梨々花ちゃんは美人だしさあ。なんというか、世の中って不公平。私みたいな平々凡々な産まれだと、そもそも話すら聴いてもらってないんじゃないかって思うもん」


 サークル同期、かつ私と同じ学部の女の子が酔った様子で愚痴をこぼす。確かに私は帰国子女だったことで得したかもしれない。美人は、そうでないよりも得な面はあるのかもしれない。でもそんなの、まるで梨々花が顔採用だというようではないか。梨々花が就活をしていた二年前、とても頑張っていたのを目の当たりにしていた私は、なんて言い返そうかと思案していた。そのとき。


「でもアンタ、そもそも愛子よりGPA低いじゃん。英語除いても」


 実桜香がそう言い放ったのが、意外だった。場が一瞬静まり返った。その子は「そういう野暮なこというなよー」と言いつつ引き下がったし、数分間は妙な空気が流れつつも、酔っぱらいの集う酒の席は、徐々に元の活気を取り戻した。







『Abroad』――fin.


 以上で完結です! ありがとうございます。

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