第30話 【現実世界】もう一つの原稿

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矢田「これで完成ですか?」

やよ「もう少し。エピローグを足して終わり」

楓 「……でも、先生、これはさすがにまずいですよ。主人公の如月がただの脇役になってますし、全然ハッピーエンドじゃないですよ」

平輔「先生、申し訳ありません。私も煽ってしまったのかもしれませんが、これでは掲載許可は出せません。せめて、ラストだけは変えてください。如月と瞬が和解して、他の仲間もそれに続くというか」

やよ「矢田ちゃんはどう思う?」

矢田「率直に言っていいですか?」

やよ「もちろん」

矢田「こんな酷い終わり方みたことありません」

平輔「矢田、言葉が過ぎるぞ!」

矢田「作家と同じ名前の、ほとんど台詞のない登場人物が裏切って、最後相打ちなんて気持ち悪いです」

やよ「だよね。やっぱり」

矢田「ここからでも巻き返せるって言ってくれないんですか?」

やよ「……楓ちゃん、今何時?」

楓 「……六時……十分前です」

やよ「リミットいっぱい、ね」

楓 「ですよ、だから、最後だけ直して……」


   やよい、退場。


楓 「……先生?」


   手に封筒を持ってきて、やよい入場。

   それを矢田に手渡すやよい。


やよ「これ」

矢田「これは?」

やよ「開けてみて」


   封筒を開ける矢田。


矢田「これ……完成してるじゃないですか!? タイトルは今描いているのと同じ『ハッピーエンドは決まってる』」

平輔「なんだと!? ちょっと見せてみろ」

楓 「先生、いつの間に描いたんですか? 私にも内緒で」

やよ「ここまでね」

矢田「ここまで?」

やよ「みんな、ごめん。お騒がせしちゃって」

楓 「どういうことですか? おっしゃってる意味がわかりません」

やよ「うん、ごめん」

楓 「これが完成したの、何で黙ってたんですか?」

やよ「ごめん」

楓 「出来上がってる作品をもう一度、初めて描くふりして、描いたってことですか?」

やよ「タイトルは同じだけど、全く別の作品。借金も、火星人もヒーローも出てこない」

楓 「嘘……」

平輔「……これ、面白いですよ、今描いている瞬と如月は同じ、純愛ラブストーリー。面   白いけど、軽薄じゃない。どちらの人物にも感情移入できる。今描いているのと全く違う話ですが、間違いない。最高傑作だ」

やよ「ありがとう」

矢田「説明してください。だったら、描いていた漫画はなんなんですか!? 一緒に描こうって言ったのは嘘だったんですか?」

楓 「私は先生の唯一のアシスタントなんですよ! 私まで馬鹿にして」

やよ「本当にごめん」

矢田「謝ってばかりいないで、納得できるように説明してください!」

平輔「もういいじゃないか、原稿はここにあるんだ。それも先生の代表作となるような傑作だ。お前の仕事はこれを会社に持ち帰ることだろう」

矢田「私は信頼関係の話をしているんです。私や楓さんをからかってたんですよ。そんなの許せるわけないでしょ!」

平輔「馬鹿っ……」


    平輔が矢田をに手を上げてるところをやよいが抑える。


やよ「もう六時です。編集長、遅くなってすいませんが、その原稿持って行ってください」

平輔「そ、そうですね。ありがとうございます。確かにいただいていきます。……矢田、そのくらいにしておけよ」


   平輔、退場。

   間。


やよ「怒ってるわよね?」

矢田「違います。悲しんでるんです」

楓 「先生にとっては私なんていなくても大丈夫だって、思い知らせるためにこんなことしたんですか?」

やよ「そんなつもりじゃない。聞いたわよ。楓ちゃん、読み切りの掲載が決まったんでしょ?」

楓 「……それは……すいません」

やよ「違う、違う。日本語って難しいな。えっと、迷惑をかけたくなかったの。自分の作品を描くのに専念してほしかったの。だから、さっきの作品は一人で描いたの。時間はたっぷりあったしね」

楓 「迷惑なんて、あるわけありませんよ。私は……」

やよ「ありがとう」

矢田「でも、だったら、さっきまでのは何だったんです?」

やよ「……実は、夫が亡くなったんだ。一週間前」

矢田「え?」

楓 「ちょっと待ってください。やよいさんの旦那さんは海外に住んでるんですよね? まさか一週間前って……」

やよ「うん、そう旅行っていうのは、夫の亡骸を引き取りに行ってきたんだ」

楓 「そんな……」

やよ「……うちの夫、芸能界引退した後、困っている人たちの役に立ちたいって、海外に行ったのは知ってるわよね?」

矢田「もちろんです、当時、テレビでもずいぶん話題になりましたから」

やよ「格好良く報道されてたけど全然そんなことないの。手に職もないくせいにアフリカの、ひどい貧困地域でボランティア活動してたんだ。こう言うと、あの人がさも立派に聞こえるけど、生活費は全部私に頼ってたの。ひものくせにボランティアなん   て、ふざけんなだよね? あ、それに芸能界にいるときも、裏ではけっこうろくで   もないことやってた。浮気は当たり前、違法ぎりぎり、いやアウトかな、そんなこ   とまでやってた人だから。小心者のくせに見栄っ張りで、うまくやれなかったんだ   ろうね。最後は全部に嫌気がさして、飛び出したの。心が耐えられなくて逃げだし   っていうのが正確かな。まぁ、向こうに行ってからの人の役に立ちたいっていう気   持ちだけは本物だったと思う」

楓 「……亡くなった原因は?」

やよ「刺されたの。井戸掘りに訪れていた村で、そこの村人にね。付けていた腕時計を盗むために」

楓 「ひどい……」

やよ「馬鹿なのよ、こんなのを付けて行くなんて」

楓 「もしかしてその時計」

やよ「私が彼に贈ったものなの。初めて貰った原稿料で買ったの。雀の涙みたいなギャラで買ったんだから、すごい安物よ。でも……だからかな、あの人、ずっと……」

楓 「先生……」

やよ「私、あの人と死にたかった。いろいろある人だったけど、愛してたんだ。すごく、すごく、すごく。馬鹿みたいだけど、十六年も一緒にいたっていうのに、いつもときめいていた。漫画がヒットしたときは一緒に喜んでくれて、何も描けなくなった   ときは、そっと肩を抱き寄せてくれた。恥ずかしいけどさ、私が漫画を描けなかったのは、彼が側にいなくなったからなんだ。愛してたんだなぁ。……死んだ彼を迎えに行く途中、私もね、死のうと決めた。だってそうでしょ。愛している人が自分の贈ったものが原因で死んだんだもん。生きてる意味なんてない」

楓 「そんなこと言わないでください」

矢田「そうですよ。そんなこと絶対に口にしちゃいけませんよ!」

やよ「……でもね、原稿のことを思い出した。楓ちゃんと矢田ちゃんのことも思い出した。五年ぶりの新作、彼なしでもどうにか書き上げた愛しい作品、自分でも傑作と思えるものを描き上げたのに、渡せないまま死ねないなぁって。せめて、その原稿渡してから、死のうって決めて日本に帰ってきた」

矢田「お願いですから……お願いですから……」

やよ「ただ渡すだけにしようと思った。でも、ダメだった。寂しくて、寂しくて、どうにもならなくなっちゃった。本当に死ぬつもりだったんだよ? でもね、また一緒に楓ちゃんとおバカな話をしながら漫画を描きたくなっちゃった。矢田ちゃんに『先   生ちゃんとしてください』って叱られたくなちゃったの。……本当、格好悪いわね。夫も天国で呆れてると思う。『おいっ、来るんじゃんなかったのかよ』って」

楓 「馬鹿っ! 先生の馬鹿っ!」

やよ「うん……馬鹿だね」

楓 「死んじゃダメです、絶対にダメです」

やよ「……」

矢田「先生、ちゃんとしてください」

やよ「……」

矢田「先生が生きてくれるなら、何度でも言いますよ。ちゃんと、してください。ちゃんと……」

やよ「……ごめん」

楓 「旦那さんだって、追いかけてほしいなんて微塵も思ってませんよ」

やよ「……ごめん」

矢田「謝る前にやることがありますよ」

やよ「……?」

矢田「描き上げてください」

やよ「描き上げる?」

矢田「まだ作品は描き上がってませんよ。どうするんです? この先。しっかり最後までやり遂げてから、次のことを考えましょう」

楓 「そうですよ。エピローグが残ってるんですよね。描き上げなくちゃ」

やよ「だけど……」

矢田「先生が言ったんじゃないですか。一度描き始めた物語はしっかり終わらせてあげないといけない。登場人物には魂がある、終わらせなくちゃその魂は行き場を失うって。このままじゃ、如月も瞬も、やよいイエローも怒りますよ! 私も手伝います   から」

やよ「……そうね、そうかもしれないわね」

楓 「かもじゃありません。そうです、絶対」

やよ「うん」

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