第10話 人にやたらあだ名つけたがる奴なんなの?

「あ、自己紹介、まだだったね。私、櫻井夏希さくらいなつき。きみは?」

「桃原成海」

「へー、なるみかぁ。なるなる、って呼んでいい?」

「嫌だ」

「むー、心が狭いなぁ。ひーちゃんはいいよって言ってくれたのに」

 誰だ、ひーちゃんって。

 心の声と表情での疑問符は届かなかったのか、夏希は眉間にしわを寄せ、人差し指を唇に当てて小首をかしげた。

「とうはらってどういう字? 東の原?」

 できればあまりツッコまれたくない部分への質問に、今度は俺が顔をしかめてそらす。

「桃だよ。桃太郎の、もも」

「なんだ! ももはらなんだ! じゃあ、ももちゃ……」

「それは絶対に呼ぶな」

 ぱっと顔を輝かせた夏希を、出しうる限りの凄みを込めて制止する。

 ちくしょう、ただでさえ、なるみ、なんて女みたいな名前な上、この名字のせいでさんざんいじられた幼少期をいまさら復活させてたまるか。

「そんなに怒んなくてもいいじゃーん。ね、なるなる!」

「おい、ちょっと待て」

「え?」

「それもさっき嫌だって言ったよな」

 のれんに腕を押すがごとく、俺の本気の拒否にも夏希はきょとんとしている。

「そうだっけ? ま、いーじゃん。細かいこと気にする男子はモテないよ! よろしくね、なるなる!」

 純粋な笑顔を振りまかれ、俺はこれ以上、なにを言っても無駄なことを悟った。

 きっと、ひーちゃんって人も絶対に押し切られたんだ。諦めの境地に達すると同時に、どこの誰かも分からないひーちゃんに同情する。

 夏希のよろしくに対し、どう返そうか一瞬迷ったが、こちらももう引き返せないのだろう。さっきの兎呂の言葉じゃないが、このあたりが往生際というやつなのかもしれない。

「あぁ、こちらこそよろしく……櫻井、さん」

「やだなぁ、もう知らない仲じゃないんだから夏希って呼んでよー」

 いや、俺はお前のことまだなにも知らないんだが。

 あぁでも夏希は最初から、俺のことを知っていたみたいなんだよな……

「そういやさっきさ、ウワサがどうとか言ってたよな?」

 万が一、巷で〝豆まき高校生発見!〟なんて噂が流れていたらもう嫌だ。やっぱり鬼退治なんかしない。

「ウワサっていうかメルマガだよね、うちの組織の。豆はねー、私も勧められはしたんだけど……豆って、ねぇ? 節分じゃないんだし」

 まさにその節分で、こうなってしまったわけなんですけれどもね!

 それにしてもメルマガって……鬼退治組織はそんなものを発行してるほど余裕のある組織なのか?

 そう自問しながらも、人の升を見てまた笑いをこらえている真っ最中のツインテールに半眼を向ける。

「てか豆をバカにしてるけど、普通に考えてお前の刀の方が危ないだろ。補導されるぞ?」

「補導? 知ってる、知ってる。ジュートーホー違反ってやつでしょ? でも残念でした、私にはこれがあるから平気なの!」

 言うなり夏希はスカートのポケットからなにかを取り出し、俺のまぶたに触れるくらいの位置に押しつけてきた。

「組織本部からもらった帯刀許可証だよ。見える?」

「見えません」

「それにこれには刃がついてないの。鬼の妖力削ってるだけだから人は斬れないしね」

 夏希はそう説明しながら、目隠し同然に突き出してきた帯刀許可証とやらをしまった。

 そのタイミングで、これまで黙って成り行きを見守っていた兎呂が口をはさんでくる。

「さあさあ、お二方とも、おしゃべりはそのくらいにしてそろそろお開きにしますよ! さびれた商店街とはいえ、ぼちぼち人が通りかかってもおかしくない頃ですから」

 そうだ、すっかり忘れかけてたけど、兎呂が人払いしてくれてたんだったな。

「特に成海さんはまだ組織の正式なメンバーではありませんから、鬼退治現場を目撃されたことでなにか不都合が起こってもフォローしきれませんからね」

「そうなのか?」

「今のところ、私が独断でスカウトしただけの仮雇用ですから。鬼退治の現場を人に見られる、ということ自体そうそうないでしょうが、まぁ今はそういう理由があるので念には念を入れてください」

 そういえば前回も今回も、鬼退治の現場には自分たちのほかに誰もいなかった。

 ということは毎回、兎呂みたいな組織のメンバーが、鬼を退治する人間よりも先に現場に到着して、あらかじめ人払いをしているってことなのか?

 いくらなんでもそれはちょっと無理があるような気がする。

「ほらさ、今日はなんとなーくこっちの道から帰ってみようかなーとか、どこかに行きたいけどどうにもやる気が出ない、って時があるじゃない? あれは人のダイロッカン的なものが働いて、無意識に悪いものを避けてるんだってさ」

 俺の表情から疑問点を察したか、兎呂の代わりに夏希が説明してくれる。

「もちろん組織の尽力もありますが、そういった人間の本能にも近い機能によって、鬼の存在が世間に広がらずにすんでいるのです。まぁまれに次元の裂け目が発生した現場に迷い込む、勘の鈍い人もいますけどね」

 なるほどな……って、ん?

 俺が初めて鬼に遭遇した時は、別に鬼ごっこアプリに呼び出されて鬼に出くわしたわけじゃないよな……?

 俺が小考している間に、兎呂は表情を変えずに続けた。

「成海さんには近々、本部への出頭要請をかけますから。スマホのチェックは怠らないでくださいね!」

 そういえば鬼退治組織については、まだほとんどなにも聞かされていない。

 そう思った矢先に、スマホというキーワードで、現状、真っ先に解決しておかなければならない事案を思い出す。

「そうだお前! あのアラーム音、直せ……!」

「おや、もうこんな時間ですか!」

 俺が訴えを終えるか終えないかのうちに、兎呂はわざとらしく自分の手首に視線を落とした。無論、うさぎの腕には腕時計などついていない。

「組織の体制などについて、詳しいことはまた本部でお話しすることになると思いますから。それでは成海さん、夏希さん、ごきげんよう!」

 兎呂は一方的に早口でまくし立てると、近くの駐車場の塀から建物の屋根へと飛び移り、あっという間に姿を消した。

「ごきげんよう! まったねー、とりょりょ!」

 つかみかかろうとした格好のまま固まる俺の隣で、夏希がぶんぶんと手を振っている。

 しばらく兎呂が消えた方向を見送った後で、夏希はくるりと顔だけをこちらに向けてきた。

「……で。アラームって、なんのこと?」

「あ、いや……あいつが設定してった鬼ごっこアプリのアラーム音が、ちょっと……変な音で」

「私が直してあげよっか?」

「あっ、あー! いや! いいよ! 別にそこまで急ぐアレでもないし!」

 俺は必死になんでもない風を装って、夏希の申し出を断った。親切心の追従を避けるためにも夏希と顔を合わせないようにしながら、寿司屋の前に乗り捨てていた借り物の自転車をつかみ起こす。

「そう? それじゃあ私も帰ろーっと。そんじゃ私、電車だから。またね、なるなる!」

 夏希は兎呂を見送った時と同じく、元気よく手を振ってから駅の方向に向かっていった。太刀を背負った茶髪ツインテール。その後ろ姿を見送りながら、借り物のサドルにまたがる。

 帰るって、今から学校に戻るのか? 俺は……

 今から戻れば、午後の授業には間に合うだろう。が、今日はもう学校には戻りたくない。というか、できれば二度と戻りたくない。

 商店通りから見える狭い空を見上げて、一つだけため息をつく。夏希の姿が見えなくなったところで、俺はいわれのない自分の不幸に身悶えした。

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