第11話 心の壁、セキュリティの壁

 盛大にAV女優のあえぎ声をまき散らした後で教室に戻るメンタルなど持ち合わせているわけもなく、自転車置き場にチャリだけを返した俺は、心に傷を抱えたまま早々に帰宅した。

 そして翌日。

 起きた直後は少しだるかったが、初回の鬼退治後のように起き上がれないほどではなかった。升が持つ妖力とやらに、身体が順応しつつあるのかもしれない。そんなことを考えながら、それでも別の意味で重たい身体を引きずって登校する。

「あ、おはようございます! 桃原先生!」

 傷心の俺を迎えた第一声はそれだった。

 顔面が引きつりそうになるのをこらえながら、自分の席に向かう俺の後を、悪友どもが満面の笑みを浮かべてついてくる。

「桃原、お前マジで勇気あるな!」

「で、昨日はあの後、どこで処理したんですか先生!」

「うるせーバカ! ついてくんな!」

 昨日のアラーム事件のせいで格好のネタと化した俺に、にやけ面が群がってくる。

 英雄の凱旋を迎えるような男子の反応とは対照的に、遠巻きに向けられる女子からの嫌悪の視線がものすごく痛い。席に着いた瞬間、少し離れた席で他の女子たちと固まっていた志乃と目が合う。

 人はこんなにも簡単に、長年の信頼関係を崩すことができるのか……

 幼稚園の時から変わっていないと思っていた幼なじみの冷たい視線に、想像以上にダメージを食らう。

「桃原、昼食を食べたらちょっと職員室まで来なさい」

 昼休みには先生に呼び出しまで食らってしまった。

 担任の女教師ではなく副担任の現文ハゲに呼ばれたあたりに、教師側の気遣いが見え隠れしていてよけいに心がえぐられる。

「まぁ、その、なんだ……桃原、先生も気持ちは分からんではないが、そもそもスマートフォンを授業中に鳴らす時点でだな……」

 寝ている間にしゃべるうさぎがスマホをいじったとはさすがに言えず、現文ハゲと一対一で向き合いながら、俺はできる限り神妙な顔つきでひたすら耐えた。思春期の葛藤とか、音声の入手経路についてとか、多方面からいろいろと突っ込まれた後で、なんとか昼休み中に解放される。

 疲弊とともに職員室を出た後でなんの気なしにスマホを見ると、兎呂からのRAINが入っていた。

『本日の午後五時に、龍門渕市にある歴史生物化学研究所まで来てください』

 内容はそれだけだったが、ヨロシクの文字が躍る絵文字と、かわいらしいうさぎのスタンプに若干イラつく。俺は電源ボタンを軽く押し、スマホを制服のポケットにしまった。


 放課後を迎えて駅に着くと、俺はいつもとは逆方向に向かう電車に乗り込んだ。

 歴史生物科学研究所までのルートは、授業中にスマホで検索済みだ。電車で龍門渕駅に到着したら、今度は駅から出ているバスに乗る。

 車内で揺られること約五分。バスは長ったらしい研究所名が書かれた、大きな門の前で停車した。

『国立歴史生物科学研究所前』

 施設名そのままの停留所でバスを降りる。

 研究所という単語から想像していた、ごたついた工場のようなイメージとは違い、門の中は一つの街のようになっていた。

 ビルのような建物と建物を仕切る道幅は広く、芝や植樹などの緑も多い。そう、例えるならば、進路指導室にあるパンフレットに載っていた大学キャンパスのようだ。

 とりあえず正面にある花時計を迂回してすぐのところにある、一番主要そうなビルを訪ねてみることにする。

 正面に三つ並んだ自動ドアの真ん中を通って入ると、ビルの中は外観から想像した以上に広かった。

 天井も高く、床は一面つるつるとした黒いマーブルタイルになっている。入ってすぐ右はラウンジになっており、いくつものテーブルやソファが置かれていた。一通りあたりを見回してから、左手の受付らしきカウンターに近づく。

「あの、すいません。今日、ここに呼ばれてきたんですけど」

 どう見ても社会人には見えないであろう俺にも、受付のお姉さんはにこやかだった。

「お名前をよろしいですか?」

「桃原成海です」

 俺が名乗ると、ショートカットのお姉さんはカウンターの向こうでなにやらパソコンをいじり始めた。だがほどなくして、お姉さんの笑顔が困り顔に変わる。

「すいません、桃原成海様というお名前で面会があるという話は、こちらには来ていないんですけど……」

「え?」

 予想外の回答に面食らう俺に、お姉さんの申し訳なさそうな上目遣いが向けられる。お姉さんは助けを求めるように、同じくカウンターの中にいたパーマのお姉さんの方を見た。ショートカットのお姉さんの先輩らしき、パーマさんがこちらに近づいてくる。

「誰に会いに来たの?」

 正直、受付嬢よりも水商売の方が似合っていそうなパーマさんの質問に、今度は俺の方が困惑する。

 ……誰に会うんだ? 俺。

 こちらから提示できる情報の少なさに愕然としながら、小さくうなる。

 兎呂の名前は出してもいいのか? でもあれうさぎだぞ?

「あ、なるなるはっけーん!」

 一人でぐるぐる悩んでいると、正面玄関の方から救世主の声がした。

 振り向いた先にいた茶髪ツインテールは、相変わらず身の丈に合わない大太刀を背負ってこちらを指差していた。

「夏希、お前ホントマジで最高のタイミングで来てくれた」

「どうしたの? なにやってんの?」

「兎呂のやつに呼び出されたんだけど、そんな話聞いてないって言われて」

「ふーん、そうなんだ……あ、すみません。地域保安員の櫻井夏希です。この人、私と同じ地区担当になる新人なんですけど、一緒に対策局の地域課まで連れて行ってもいいですか?」

 夏希はスカートのポケットに手を突っ込むと、例の帯刀許可証を取り出した。それをひっくり返してカウンターの上に差し出す。

「なるほど、そういうことね。はいはい、確かに。どうぞ、行ってちょうだい」

 帯刀許可証と同じケースに入っていた登録証なるものを見せると、パーマさんはあっさりと俺の同行を許可してくれた。

 夏希のパスを使ってオートロックの扉を通過し、なんとか無事、中に入ることに成功する。

「なあ、さっきなんて言ってたんだ? 地域なんとかって」

 オートロックの向こうはさすがにエントランスとは違い、多少、殺風景な作りになっていた。

 広々とした通路を歩きながら夏希に尋ねる。

「地域保安員のこと? 私たちみたいな、鬼退治してる人たちの呼び名だよ」

「鬼なんて非現実的なものを相手にしてるわりに、なんかパッとしないな。どうせならもっと格好よくてもいいのに」

「例えば?」

「きさつた……」

「ストップ! ストップです! それ以上は許しませんよ!」

 必死かつ全力の制止が入り、声がした方に視線を落とす。

 視界に入らなくて気付かなかったが、兎呂がいつの間にか俺の右隣に並んで歩いている。

「お前……人呼び出すんならちゃんと話通しとけよ! 入れなくて大変だったんだからな!」

「まぁ結果的に入れたんですから、よしとしましょうよ」

「タイミングよく夏希が来てくれなかったら、どうなってたと思うんだよ!」

「警備員室でお会いできていたのではないかと」

 歩きながら、つま先で兎呂を小突こうとしてかわされる。

 何事もなかったかのように歩き続ける兎呂をにらみつけながら、俺は夏希が呼んだエレベーターに乗り込んだ。九階まである階層表示の中から、夏希の指が七階のボタンを押す。

 エレベーターは音もなく上昇し、七階に到着した。

 扉が開くと、目の前にだだっぴろいオフィスみたいな光景が広がる。

 俺は階全体を見回しながら、慣れた足取りでオフィスに踏み出す夏希と兎呂の後に続いた。やたら多くの机が並んでいるが、人の数はまばらだった。スーツ姿の大人たちが仕事をする光景を、テレビ以外で初めて見る。

「ひーちゃんいますか?」

 そのへんを歩いていた女性社員の一人を捕まえて、夏希が尋ねる。

 この前言ってた〝ひーちゃん〟か。

 女性社員に案内されるままに、応接室までついていく。というか、ひーちゃん呼びで普通に通じるのか。

 応接室には、脚の短いテーブルをはさんでソファが向かい合わせに置かれていた。入り口から向かって右側のソファに、夏希、俺、兎呂の順番で座る。

 女性社員が出してくれたまんじゅうとオレンジジュースを前にして、俺は両ひざに手を置き、背筋を伸ばした。腰かけたソファも、いったいどこまで沈むのかと不安になるくらいふかふかしていて落ち着かない。

「なに緊張してんの?」

 ズコー、という音に右隣を見やると、夏希はほぼ氷だけになったジュースをストローですすっていた。

「いや緊張するだろ。鬼退治組織がこんなまともそうだなんて、想像しても……実感はわいてなかったし」

「あはは、それは確かにねー」

 組織のスカウト、うさぎだしな。

 と、もう一方の左隣を見やると、兎呂の前にもジュースが用意されていることに気が付いた。

「お前の分もあるんだな」

「当然じゃないですか」

「あれ、でもお前のジュースだけ微妙に色違くね?」

「うさぎと言ったらニンジンジュースじゃないですか!」

 中身が半分ほどに減った兎呂のグラスに気を取られているうちに、前足的な白い手が素早く動く。

「ああっ! 俺のまんじゅう!」

 かすめ取られたまんじゅうを追って手を伸ばすが、ひらりとかわされてしまう。

 逃げる兎呂を追って立ち上がりかけた、その時だった。

 俺たちが入ってきた応接室のドアが、がちゃりと音を立てて開いた。

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