第4話

 百鬼夜荘は金鞠家の裏に建っている。


 元は普通の一軒家だったが、住民が増えたため隣にもう一軒分建て増しをして12の部屋を居室としていた。


 玄関のあるA棟の一階リビングルームは共用スペースとなっており、既に何人かの住人が集っている。風呂場から戻った三人もテーブルについてそこへ加わった。


 「あっ痛。スマちゃん、水、もう一杯ちょうだい」


 顔をしかめながらダイニングテーブルにつっぷしているのはA棟2-1の住人、更屋敷菊奈(さらやしきあきな)だ。見た目はメアリーと同じくらいに見えた。


 「はいはい。大丈夫?昨夜は随分遅くまで呑んでいたんじゃないの。無茶しちゃだめよ」


 スマちゃんと呼ばれたあゆみの母須磨子は、心配半分呆れ半分の顔をしながら水を運んだ。


 彼女は当年とって38歳。あきなよりは年上に見える。しかし、妖怪の年齢というのは概して見た目通りではない。実際あきなが百鬼夜荘に来たのは須磨子が生まれるよりも前だった。故にあきなもメアリーも彼女のことはいくつになってもスマちゃんと読んでいる。


 「スマちゃん、単なる二日酔いだよ。そこまでしてやることないさね。そもそもあの程度で潰れるなんて、だらしない」


 昨夜から明け方にかけてメアリーとあきなは二人で酒を酌み交わしていたらしい。


 「私はもう少しゆっくりやりたかったのよ。あんたのペースにつきあってたら身が持たないってわかってたのに」


 「別にアタシのペースに付き合うこたあないんだよ。嫌なら独り呑みでもすりゃいいじゃないか」


 メアリーはいわゆるザルだ。どれだけアルコールを摂取しても翌日にはピンピンしている。吸血鬼が飲む酒と言えばグラスに赤ワインが定番だが、彼女が昨夜呑んだものは、日本酒、焼酎のロック、ハイボールにビールウイスキー。これらを間もあけずにちゃんぽんして平然としている。


 それにつきあったあきながグロッキーになるのも仕方がない。


「つめた~い。久々3連休の初日だよ。何十年来の親友と気の置けない同士想いっきりはめを外したかったのよ」二日酔いで焼けた声に甘えが混ざるが、


 「着替えすらできなくなるまでになった酔っ払いを世話する身になって欲しいもんだね。新入生にも呆れられますよ。更屋敷先生」


 それを敢えて跳ねのけるようにメアリーは口調を変えた。


 二人は同じ職場の学校で働く同僚同士。あきなは国語教師として漢文を教え、メアリーは養護教諭として市立藤浜高校に勤めている。そしてそこは四月からあゆみとひみかが入学予定の学校でもあった。


 「ボクは今更なんとも思わないけどな」


 ふらつきながら水の入ったコップに口をつけているあきなを見ながらあゆみが言った。


 彼女の正体は皿屋敷のお菊といわれる亡霊が妖怪となったもの。


 昔は井戸の中で一枚、二枚と皿の数を数え、一枚足りないと嘆きながら怨念を振りまくだけだったが、時代が下るにつれその想いも薄まり、それにつれて皿を数えるだけの生活にも飽きてしまった。


 お菊の井戸があるといわれる皿屋敷は各地にある。そこで、まずはそれらを自在に移動し土地を巡りながら最終的に百鬼夜荘へ流れついてきた。そして長い間井戸の底で立ちんぼ暮らしだった為、疲れを癒すために暫くの間はゴロゴロゴロゴロ。だらけながら過ごす日々を送っていた。


 このままでは仕方がないと一年発起して今では高校教師として働いてはいるものの、その期間にしみついた生活態度を変えることはできていない。物や服はほっぽり放し。ゴミも散乱して散らかし放題。自分で掃除機をかけたり選択をした事がない。


 それについて突っ込まれると、「アタシの生きていた時代は掃除機や洗濯機なんてハイテクなものなんかなかったから、使い方がわからないの」と苦しい言い訳で逃げる。


 仕方なくハウスキーパー代を貰って、あゆみやひみかが定期的に掃除や洗濯をしている。


 しかし、いくらピカピカにしても2日経つと元の木阿弥だった。物は散乱して何がどこにあるのか探すのも難しい。


 なにしろお菊のアイデンティティである大切な皿もどこかにやってしまうのだ。いつしかはゴミの山にうずもれていたこともあった。

 このままでは一枚割る所の騒ぎではない。その内全部踏みつぶしたりして壊してしまうんじゃないかと心配になる。


 「寧ろ、あきなちゃんが学校の先生として授業している姿の方が想像つかないよね」

 「うん、全く。洗濯機を回すのすらしないずぼらやさんだものな」


 ニヤニヤ笑いながら二人はあきなに顔を向けた。

 あきなにしろメアリーにしろ二人よりも大分この百鬼夜荘に住み着いている時間は長い。しかしその扱いの違いはメア姐と呼ばれて敬われているメアリーと比較してあきなちゃんと「ちゃん」でよばれていることでも察することができよう。どちらも親しみを込めたものであるのには違いないのだが。早い話がいじられキャラなのである。

 

 「まあまあ、だらしないくらいで砕けていた方が生徒には人気が出ることもあるさ。そこがあきなちゃんの魅力といってもいいんじゃないかな」ひみかは涼しげな笑顔で顔を向けるが、


 「ちょ、ちょっとひみか。それ、フォローのつもり?あのね、二人とも少し馬鹿にしすぎよ。これでも私、学校では生徒会担当。時にはやさしく生徒を導き、過ちを犯した生徒があれば厳しく臨む。生徒に大人気の美人教師、それが私、更屋敷菊奈」


言って彼女は天高く指をさして一度立ち上がった後、決まったという風な決め顔をするが、すぐに「あっ痛」と言ってテーブルに倒れ伏す。しまりがないことおびただしい。


 「メア姐、今の本当なの?」あゆみの問いにメアリーは、


 「まあ、自身の評価と客観的評価ってのは、得てして食い違うもんさね」と表情を変えずに返答した。


 「じゃあ、やっぱり事実じゃない部分もあるんだ」


 「む~。信じないんだったらいいわ。入学してきたら思いしらせてあげるからね。あゆみ、あんた風紀委員に厳しく取り締まらせるわよ。毎日服装検査や持ち物検査でひっかけてやるんだから」突然の職権乱用宣言にあゆみは慄いた。


 「そ、そんなのあり?ひ、酷いよー。それになんでボクだけなんだよ。ねえ、ひみか酷いよね」突然理不尽ないいがかりを受けてひみかに助け船を求めた。


 「ふむ、あきなちゃん」ひみかは満面の笑みをうかべて目をやる。


 二人が卒業した藤浜中学でのひみかはスポーツ万能。学年では1、2争う成績。その上、誰彼構わず困っている生徒がいるとさりげなくフォローに回ったり、手助けしたりする。というところからついたあだ名は藤浜中の王子様。更に一部の女子が陰でイケメン様などと呼んでいたらしい。


 彼女に手を取ってもらうためにわざと目の前で転ぶ女生徒が30人以上いたなんて都市伝説まがいの噂もあるくらいの人気者だったのだ。


 でも、あゆみはしっている。決してそれは彼女の才能などというものではないことを。


 小学校低学年の頃の彼女は普通の、どちらかというとどんくさいといってもいいようなタイプだった。でも、彼女の世話役だった多津乃の死を契機に変えたのだ。


 長い髪を短くして、誰よりも勉強に励み、走り込みや身体トレーニングなどを続けるようになった。彼女の身体が同年代よりも大きいのはそれが実ったのかもしれない。


 それを踏まえて自分を顧みるに背中にも追いつけていないと焦りも感じてしまう。


 それはともかく、王子様と呼ばれるほどのひみかの笑顔。そのあふれる程のオーラを浴びて声をかけられたあきなは、少しひるみかけているようだった。


 「あ、あによ?あんたに見つめられるとちょっとドギマギしちゃうんだからね」返す言葉に呂律がまわっていない。中学生じゃあるまいし何言ってんだろうこの人。まだ酔っぱらってるんじゃないだろうかとあゆみは心配になった。


 「聞いた限り、学校ではしっかり働いているみたいだね」対してひみかは笑みをこぼさず続けた。


 「そうよ、ひみかはやっぱりわかってるわね」言ってあきなはつられるように笑顔を作ったが、


 「じゃあ、そのしっかり者の美人教師様が自宅がぐっちゃぐちゃの汚部屋に住んでて、人に掃除洗濯まで押し付けてるなんて話が出まわったら困るんじゃないのかい?」今までの笑顔に底意地の悪さを潜ませ、すごみが増した顔で迫るひみか。


 「え、そ……それは」その様子に笑顔を引きつらせてあきなは言葉に詰まってしまった。


 「ははは、これは一本とられたね。そもそもあゆみ達が学校での様子を信じられないのも、あんたの日頃の行いさ。生徒に下着まで洗わせてるなんて知られたら立つ瀬がないだろ。日頃世話になってるあゆみにあまり意地悪しなさんな」突然メアリーが馬鹿笑いを上げる。

 

 「し、下着は最近自分で洗ってるもん」あきなは力なくいったがその言葉には説得力などなかった。


 「それが当たり前だろ。そもそもあんた、この子らに大きく出れる立場かい?家でのこと触れ回られたら立場無くすのは」


「わ、わかってるわよ。ねえ、あゆみ、さっきの冗談よ。冗談だから……。お家でのこと秘密にしてよね。あんた良い子なの私知ってるもの」あきなは媚びたような作り笑顔を作ってあゆみにいう。


 「ボク、コマメ庵の小倉ホイップたい焼きが食べたいな」


 それには明確に答えずあゆみが空っとぼけたような声を上げる。


 コマメ庵というのは町にある和菓子屋のことだった。


 「へ?」とあきなは一瞬何を言われているか判断できず間抜けな声をあげる。その意味に気づいたひみかも続けていう。


 「あ、私はあそこの抹茶クリーム餡蜜を久しく食べてないな」


 更にメアリーも声を上げた。「アタシはあの店の小豆大福が好きだね」


 流石に三人の言っている意味に気づき、あきなは忌々しそうな顔をする。


 「口止め料ってこと?。ん、わかったわよ。おごればいいんでしょ。でも、メアリー、あんたは関係ないじゃない」


 「寧ろ、今までアタシの方があんたのこと黙り続けてあげてたんだよ。同じ職場の同僚じゃないですか。更屋敷先生」


 「ああ、もう、藪蛇。余計なこというんじゃなかった。イッつつ」あきなは頭に手をやった。痛む頭を押さえているのか頭を抱えて自分の愚かさを嘆いているのかは傍目にはわからなかった。


 そこへ「ちなみに、俺はあの店でいっちばん高い『極み最中』がいいんだけど。俺にもおごってくんない?」


 突然ソファに座っていた男が割って入ってきた。


 「はあ?修二あんた関係ないでしょ。勝手に話に入ってこないでよ」

 

 「そんな冷たいこといわないでよ。俺と君と仲じゃないの」

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