第5話

  癖の多い髪を無造作にひっつめ、糸のように細い眼をした男がヘラつきながら割って入ってきた。


 B棟1-1に住む鎌池修二。彼の正体は妖怪鎌鼬。上に兄の康太、下に妹の美奈穂がいる。


 以前は三人で住んでいたが、同市内に自宅を兼ねた飲食店を構えることとなった。弟妹達も一緒に住もうと誘われたのだが、兄には既に人間の婚約者がいる。邪魔になっても悪いし、気兼ねもしたくないということで残り二人は未だここに住んでいるのだ。因みに妹は1-2と部屋を分けている。


 「あんたと私をつなぐ関係なんてお金の貸し借りくらいでしょ。まだ、こないだ貸した2万円返してもらってないわよ」あきなは苛立ちを全て叩きつけるように言葉を叩きつけた。


鎌池兄妹の家賃の内、妹のものは長兄の康太が払っていた。修二の分は半分の月2万円。水道光熱費、食費など込み。


 仕事はよろず屋と称していて、人様の役に立つことを探してやるなどといている。胡散臭いことこの上ないし、そんなもので安定収入が稼げるとも思えない。


 先月も持ち合わせがないとのことで家賃分をあきなが立て替えたのだ。


 「まあ、もうちょい待ってよ。いずれ倍にして返すからさ」修二はニンマリとした笑顔を張り付かせたままいった。が、内容は信用できないセリフランキングがあったとしたら、上位に食い込むこと間違いなしのものだ。それを聞いて安心できる筈がない。


 「それが本当ならあんた私に20万くらい渡してもらわないと合わない計算だけど」


 あきなは冷たく軽蔑した顔でにらみつけている。そこへあゆみが口を挟んだ。


 「ボクもまだ5千円返してもらってないな」つい先日土下座せんばかりで貸してくれと頼まれて渋々貸したのだ。


 「な、あんた!子供からもお金まきあげたわけ?」


 「ばか、あゆみ。それ言わない約束じゃないの。巻き上げたってなによ。人聞き、いや妖怪聞きが悪いよ。それくらいすぐ返すって」流石に形勢が悪くなったと思ったのかその口調に焦りがまじっていた。しかし、いまだ張り付いた笑顔は崩れていない。


「それくらいって私と合わせたら2万5千円、倍なら5万ってことになるんだけど」


 「いや、あの。はははははははは。まあまあいずれ返すよ、いずれね」ノラリクラリ、まさに暖簾に腕押しでしかないことを悟ったのだろう。あきなは渋い顔をしながらも黙り込んだ。


 「相変わらず人様に迷惑をかけているみたいですわね」


 そこへ新たにリビングへやってきた一人の少女。

 ピンク色、オープンショルダーのふんわりブラウスに白のフレアスカートといういで立ち。

 茶掛かった長い髪は丁寧にまかれている。その髪を撫でるように手をやりながら彼女は優雅に微笑んでいた。


  「な、なに?お前……、美奈穂か?」修二はそれまで浮かべていた笑みを引っ込めて戸惑いの表情を見せた。


  いや、それは修二だけではない、揃っていたみんな一瞬ポカンとした表情を浮かべて彼女を見つめていた。


 見つめられた彼女。鎌池美奈穂はみんなの視線を浴びて少し顔を赤くして軽く俯いたが、すぐに持ち直し、また優雅な微笑みで兄に目をやる。


「そうですわよ。妹の顔もお忘れになって?」


「なんだ、その喋り方。きもちわり」


 兄の言葉が突き刺さった途端、顔に浮かんでいた優雅な笑顔が凍り付く。がすぐに持ち直した。


 「き、気持ち悪い?ふ、ふふ、何をいうやら。私こそあなたの様な方が兄だなんて恥ずかしいですわ。穴があったら埋めたいとはこの事ですわね」


 「うるさいな、勝手な言葉を作るんじゃないよ。なんだその恰好と口ぶりは。日頃と違いすぎて見ていてむず痒くなるわ。ああ、恥ずかしい。それこそ穴があったら入りたいよ」


 言われて美奈穂の顔がまた引きつるが「お、大きなお世話ですわよ」と言いながらなんとか持ち直したようだ。


 傍目に聞いていると修二の言い分も大分ひどい言い種だが、彼がここまでいうのも理由がある。昨日までの美奈穂と余りにも様子が違いすぎるのだ。


 彼女はついこの間小学校を卒業したばかり、人間の子供に紛れて活発に遊びまわるような子だった。彼女に目を付けられたら男の子、女の子誰彼構わず無理やり引っ張りまわされる。 


 でも弱い者いじめは大っ嫌いでその現場を見たら例え上級生でも向かっていく正義漢。さながら女ガキ大将といったところだ。


 髪も兄同様無造作にひっつめていたし、服装なども気を配っていたとは言い難い。ついこの間まで確か黒に白地で『飴玉』と書かれた謎Tシャツを着ているような子だった。


 その様と今現在の彼女を見比べると違和感を感じるのも当然といえよう。

 

 「私も来月から中学生になるんですの。入学する聖蘭女子学園に相応しい子女としての振る舞いをしなければならないと思いまして」


 聖蘭女子学園というのは市内にある中高一貫の私立女子学校。新学期から彼女は兄の援助でそこへ通うことになる。規律厳しい厳格なお嬢様学校というほどではないようだが良家の子女が通っているイメージはある。



 「はあ、それで学校に合わせてキャラ変しようってこと?」あゆみが言うと、


 「はい、そうなのです。いかがですか。私、変じゃないでしょうか。あゆみお兄様?」


 「あゆみお兄様、ね」これは確かにすごい違和感だ。


 ほんの数日前、春休みに入った直後に彼女はこのリビングで寝っ転がりながらテレビを見たりゲームをしたりしていた。そしてあゆみが一緒にいるときには「兄ちゃん麦茶持ってきて。アイス欲しい。テレビのチャンネル変えて」としきりにわがまま放題言ってきていたのだ。


 流石にテレビのチャンネルくらい自分で変えろよと思うが、実際の家族としては姉しか持っていない。身近な幼馴染も姉ぶってくる。周りの女性も年上ばかり。そうした環境の中、妹的な存在である美奈穂が兄ちゃん兄ちゃんと呼ぶのが嬉しくもあり、わがままを聞いてしまっていたのだ。


 その美奈穂がと、認識すればするほどなんだが頭がバグったような感覚がする。


 なんとか「驚いたな。み、見違えたよ」と言葉を振り絞ると、氷魅華が続けて


「似合ってるよ。美奈穂、元から可愛かったけど、今の姿も魅力的だね」と笑いかける。


 それを聞いてしまったと思う。見違えたというのは、前はそうでなかったともとれてしまう。勿論そんなつもりはなかったのだが。


 少し気まずい想いを抱きながら美奈穂に向けたが彼女はそのこと自体は気に留めていないようだった。


 「あゆみお兄様。ひみかお姉さま。二人ともありがとうございます。不肖、私、鎌池美奈穂。エレガントなレディーとして生まれ変わりましたのよ。オッホッホッホホホホッ。


 その口調や振る舞いが果たして本当にお嬢様の振る舞いなのかも怪しいものだが、何とかして自分を変えようと努力していることは見て取れた。


 しかし、そんな上機嫌の妹に対して修二の冷たい言葉が突き刺さる


「ふん、そんなのいつまで続くもんか。後で泣き見る前にやめといたほうじゃいいんじゃないか」


「な、なんですの?さっきから。あなたこそ私や康太お兄様を見習ってはどう?」


「ふん。生憎オレは好きに生きるのが信条でね。自由でいることこそ価値があるんだよ。自分を型にはめて窮屈な思いをするなんてごめんだよ」


「別に窮屈なんて思いませんわ。これは私の自由意志よ」


「へっ。どうせ兄貴の女から余計なこと吹き込まれたんだろう」


 兄貴の女とは康太の婚約者、畑名恵の事だ。小規模ながらチェーン展開している飲食店を経営している会社の社長令嬢だが、それを鼻にかけず美奈穂を可愛がってくれた。

 恵は聖蘭女子学園の卒業生でありそのことが美奈穂の進路選択に影響を及ぼしたのは間違いない。


「兄貴の女なんて下品な言い方やめてくださる?恵さんとお呼びなさいよ」


 修二は恵を良く思っていなかった。なんとなく馬があわない。それは恵側の問題ではない。ただ、人間界でちゃらんぽらんに生きている妖怪の自分と、彼女の立ち居振る舞いの余りの差に会うと居心地が悪くなるのだ。


 「あの女って言って何が悪いんだよ。兄貴もお前も毒されやがって。俺らは鎌鼬、妖怪だぜ。人間に媚びて生きるなんて情けない!」


 「人間の子供に媚びて五千円せびった癖によくいうよ」あゆみはジト目になり脇からつっこっみを入れた。


 「あゆみちゃん、ちょっと黙っててよ」妹以外には強く出れず、修二の口調が弱弱しくなった。そこへ畳かけるように美奈穂が続けた、


 「全く、情けないわね。あきなさんとあゆみお兄様の借金。康太お兄様に立て替えるように伝えましょうか」


 あきなは、なんであゆみやひみかにはお兄様お姉さまでわたしはさんなのかと思わないでもなかった、


(私もお姉さまって呼んでくれないもんかしら)


しかし今はそれを口にする状況でもないと思いこういった。


 「いや、それは大丈夫。何なら私があゆみの分立て替えてもいいよ。それできっちり取り立てるから。康ちゃんが立て替えたらそれっきりになるでしょ」


 その話はなんとかごまかして先延ばしにした筈なのに、またその話になるのかと修二は焦りつつ問う。


 「き、きっちりって、どうするの?」


 「返すまで利子つけてもらうよ。で、これから絶対に。いくら困ってても貸さないからね」


 「そ、そんな」あきなの厳しい言葉にわざとらしく哀れっぽい声を出して俯く修二。


 「それがよろしいかと思います。皆さんもこんなのにお金貸すのはお止めなさい。溝に捨てた方がましですわ」そんな兄の姿を汚いものをみるように一瞥。


 そこで修二、よせばいいのに最後の反撃にでた。


 「何を!ふん、兄貴が出すお前の学費も無駄になるから、行くのやめた方がいいんじゃないのか」


 「な、なんですって」


 「お前に使う金も無駄金になるって言ったんだよ」それは美奈穂にとっては鎌鼬の鎌のように鋭い刃となって突き刺さる。言われた美奈穂はすうっと無表情になった後、静かにその言葉を吐き出した。


 「……黙れ」それは極寒地獄から響くかのように冷たく響く。

  

 「あん?なんだよ」


 修二も一瞬言い過ぎたかと思ったが引っ込みがつかず、更に挑発するように言った。

 


 「黙れっていったんだよ!!」

 

 美奈穂は離れて暮らしながらも自分の面倒を見てくれている康太も恵のことも大好きだった。

 

 昨日も康太の家に遊びに行き、恵とも話をした。

 修二の言う通り彼女の言葉に影響されたのは否定できない。

恵が通っていた学校に行くことで彼女のようになりたいと思ったし、安くない学費を援助してくれるという康太の想いに報いたいという想いもある。だから、こそ変わろうと決意したのだ。


 それを否定するようにぶつけられた修二の言葉。

 その余りの物言いに堪忍袋の緒が切れたのだろう、

 「い・い・か・げ・ん・に・し・ろ」それまでの優雅さをかなぐり捨てて吠えた。


 そして猛然と修二に襲い掛かり、首を締めあげる。

 

 修二はその状態のままなんとか平静を保ようと声を上げた。

 「く、苦しい。ほ、ほら言わんこっちゃない。やっぱり地金がでた、言ったとおりだ……」


「……………………」


 美奈穂は手は緩めずに無言で睨みつける。逆にそれが怖い。


 流石に修二も耐え切れなくなったとみて、


 「ちょっちょっと、美奈穂、く、苦しいよ。洒落にならないって、わかった。俺が言い過ぎたよ。くっああああ……」叫び声をあげたかと思うと白目をむき、そこに倒れ伏した。


 途端にドロンっと煙が巻き起こる。 その煙が晴れた後に現れたのは白く手が鎌のようになっている鼬の姿。修二の鎌鼬としての本性だった。

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