19話 ユージンは、絶望と出会う

「け、ケルベロスだ!!!!!」

 誰かが叫ぶ。

 悲鳴を上げ、腰を抜かす者も居る。




 ――冥府の番犬ケルベロス




 その名の通り、普段は『死者の世界』である冥府に居る怪物である。

 

 いや、というより神話に出てくる伝説の怪物だ。


 10階層の階層主トロールを遥かに上回る巨体でありながら、俺たちの頭上を軽々と飛び越えてくるほどの俊敏性。


 階層主であるゴブリンキングを餌として捕食している。


 人間など、この怪物にとっては、虫けらのようなものだろう。


「全員、逃げて!!!」

 レオナが部員たちに指示し、部員たちも応えるように四方へ散った。


「スミレ、逃げるぞ!!」

「う、うん……」

 何起きているのかよくわかっていないスミレの手を引き、俺は密林の中へ駆けだした。


 いや俺自身も理解が追いつかない。


 なぜ、こんな低階層に冥府の番犬ケルベロスが……?


「ユージンくん! あの三つ頭がある犬って強いの!?」


「あれは『神の獣』だ! 絶対に!」

「へっ!? ど、どーいうこと!?」

 俺がスミレの質問に答えようとした時。


「ギャアアアアアアアアアアア……!」

 身の毛がよだつような悲鳴が聞こえた。

 

 ――バキ……、グシャ、……という骨が砕ける音と、何かが咀嚼される音が聞こえた。


「えっ?」

 息を呑む声が聞こえる。

 隣ではスミレが真っ青な顔をしている。


「あっ!?」

 スミレが足を絡ませ、転んだ。


「スミレ!」

 俺はスミレを抱き上げて走った。

 

「ゆ、ユージンくん……さっきのって」

「今は考えるな」

 俺は兎に角、冥府の番犬ケルベロスから距離を取ろうと全力で走った。


 最悪な事態は、まだ続く。




 ――100『神の試練』が開始されました



 

 20に、無機質な声が響いた。


「ひゃ、100階層……?」

 スミレの戸惑った声が聞こえたが、俺は問いに答える余裕が無かった。


 戸惑っているのは俺も同じだ。


 何故、100階層の天使の声アナウンスがここで流れる……?


 俺は走りながら周囲を見回し、隠れる場所を探した。


 何か……、どこか、身を隠せる場所は……。


 あった!

 巨大な木の幹に人が入れるくらいの空洞がある。


 中に魔物が隠れている可能性はあるが、外にいるよりはマシだ。

 俺はスミレを抱えたまま飛び込んだ。


 空洞は、ぎりぎり二人が入れるくらいの大きさだった。


 助かった!

 俺は地面にスミレを座らせ、すぐに空洞の入口に結界を張った。



 ――結界魔法・身隠し


 

 これで空洞の外から、俺たちの姿は見えない。

 それどころか、空洞自体も見えないはずだ。


 ……だけど、あの『神獣』ケルベロスの鼻を誤魔化せるのだろうか。

 

「ゆ、ユージンくん……」

「待って、静かに」

 不安気な声を上げるスミレを手で制し、俺は耳を澄ました。



 ……ズシン……ズシン、という足音が近づてきた。


 地面が小さく揺れる。


 ハッ……ハッ……ハッ……ハッ……


 獣の荒い息が聞こえる。


「ヒッ!」

 スミレが小さく悲鳴を上げ、慌ててその口を抑えた。


 冥府の番犬ケルベロスの三つある頭の一つが、俺たちのいる空洞へゆっくりと近づく。

 人間の頭部ほどもある巨大な眼球が、獲物を探している。


 ぎょろりとした黒い瞳が、俺と目が合った気がしたが気づかれはしなかった。

 結界は機能しているようだ。


 ハッ……ハッ……ハッ……ハッ……


 獣の息が、空洞内に響く。

 スミレは呼吸を止めるかのように、口を手で塞いでいる。


(……………………早く向こうへ行ってくれ!)

 心のなかで願う。


 しばらく、結界のあたりを睨んでいたが、やがて去っていった。

 た、助かった……。

 俺はその場に座り込んだ。


「ねぇ……あれ……なに?」

 涙声のスミレの肩を抱き寄せた。

 スミレの身体が震えている。


 いや、震えているのは俺も同じかもしれない。

 心を落ち着けるために、俺はスミレにゆっくりと説明した。



「スミレ、魔法学院で魔物には強さによって危険度の順位ランクがつけられていることは知ってるよな?」

「う、うん……、それはリン先生に習ったけど……」

 スミレの言葉に俺はうなずく。


 俺たち探索者が迷宮で魔物に出くわした時、戦うべきかのか、逃げるべきか。

 それを判断するために魔物には危険度が設定されている。


 その中でも最上位なのが『災害指定』。

 これは、街一個を滅ぼした、もしくは滅ぼしかねない魔物に対して付けられている。


 強いドラゴンなんかは、それにあたる。

 千年以上生きたとされる古竜エンシェントドラゴンに至っては、例外なく『災害指定』だ。


 勿論、俺はそんな魔物とは戦ったことはない。

 親父はあるらしいが、「流石に好んで災害指定の魔物とは戦いたくないな」と言っていた。



「さっきのケルベロスっていうのは……、その災害指定の魔物ってこと?」

「……違う」

 俺は、ギリと奥歯を強くかみながら答えた。


 そう、魔物の中で最上位の危険度である『災害指定』の魔物。

 だが、冥府の番犬ケルベロスはそこに含まれない。


 なぜなら、あの怪物は神獣だからだ。


「神獣はその災害指定の魔物たちの。……当たり前だ。何十万年も生きている神話時代の怪物なんだから……」

「…………」

 スミレは理解ができない、という顔をしている。

 俺も正直、まだ悪い夢なんじゃないかと思っている。


「神獣は……、天界にいる神様の眷属だ。本来なら地上には居るはずがない。唯一、『最終迷宮ラストダンジョン』と呼ばれる場所にだけ出現する特別な存在……」

 そう、本来なら出会うはずのない。

 特定の条件でのみ出現する。


「聖神様が100階層ごとに配置したと言われている『神の試練』に出現する獣。だから本来は100階層より下の階層で出会うはずが無い……絶対に」

「……ここ20階層だよ?」

 スミレが涙声でつぶやく。


「ああ……変なんだ。こんなこと聞いたことがない」

 あり得ないことが起こっている。


 これがレオナが言っていた、迷宮の難易度がおかしくなっているという件か?

 にしたって無茶苦茶だ。


 20階層にやってきたばかりの探索者に、神獣をぶつけてどうしようっていうんだ!

 憤ってもなにも解決しない。

 スミレは、がたがたと震えている。


 俺はスミレが落ち着くよう、背中を抱きしめた。

 徐々に震えが収まっていく。


 しばらくして、スミレがポツリと言った。


「ユージンくん、あの怪物が殺せないって言うのはどういう意味……?」

「神獣は魔物とは違う。あいつらには『無限の命』がある。だから『神の獣』を倒すのではなく、いかに知恵と勇気で乗り越えて、次の階層に進むか……それが『神の試練』。100階層ごとに配置されているそれは別名『試練の獣ディシプリンビースト』とも呼ばれてる」


「……どうやって乗り越えればいいの?」

「わからない……」

 スミレの質問に、そう答えるしかなかった。

 俺の迷宮記録は、たったさっき更新したばかりの19階層。


 100階層の怪物と戦うことなど、想像もしていなかった。


 俺の言葉に、スミレが押し黙った。

 しかし、沈黙に耐えかねたように口を開いた。


「……さ、さっきの三つ頭の怪物は、強いの?」

「ああ、ケルベロスは有名な神獣だよ」

 俺は、記憶にある知識を口に出した。


「『試練の獣ディシプリンビースト』は何が出現するか決まっていない。他の階層と違って100階層や200階層は、普段は何も居ないんだ。挑戦者が現れた時だけ『試練の獣ディシプリンビースト』が『召喚』される。冥府の番犬ケルベロスは、過去数回召喚されたことがあるが……俺の知る限り冥府の番犬ケルベロスを突破できた探索者はここ百年以上、居ない」

 言ってみて気づく。

 悪い情報ばかりだ。


「……そ、そんな」

 『試練の獣』にはかなりの強さのブレがある。


 運悪く冥府の番犬ケルベロスが出てきたら、おとなしく諦めたほうが良い、と学園の探索授業では教えられている。


「レオナさんたち、無事かな……」

「わからない……うまく逃げられているといいけど」 

「私たち、これからどうするの?」

「こうなったら迷宮職員ダンジョンスタッフが来るまで待つしかないな……」

 この異常事態は、中継装置サテライトシステムで見ているはずだ。

 きっと救助に動いてくれている。


迷宮職員ダンジョンスタッフさんって、さっきの怪物を倒せるほど強いの?」

「まさか……、多分100階層をクリアした上位探索者たちに依頼をかけると思う」

「そ、そっか! じゃあ安心だね!」

 スミレの顔に少しだけ笑顔が戻った。


 が、懸念はある。


 100階層をクリアした探索者は『A級』探索者と呼ばれ、その数は非常に少ない。


 そもそも常に迷宮に潜っている事が多い。

 運よく、すぐに手配できるだろうか?


 俺は持ってきた探索鞄に目を向けた。

 もともとキャンプの予定は無かったので、携帯食料はあまり持ってきていない。


 おそらく半日分程度だろう。


 救助が来るまで、持つだろうか。


 俺とスミレは、狭い木の空洞の中で身を寄せ合って救助を待った。


 スミレからは、時おり質問をされたが、正直外に居る神獣が気になって会話どころではなかった。


 ……時間の進みが遅い。

 

 どれくらい経っただろう?


 数時間かもしれないし、一時間も経っていないのかもしれない。


 その時、だった。

 



 ――『神の試練』を終了します。挑戦者はしました




 20階層に無機質な天使の声アナウンスが響いた。

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