4-3

 そうして歩き続けること数十分。

 次第に周りをゆく人の数は少なくなっていって、遂にシリカが足を止めた時には、完全に二人きりになっていた。

「まさかこの道を通るのか……?」

 表通りから一本入った、人の気配のないシャッター街。

 その一番奥にぽっかりと開いた地下への階段を前に、暫し保科は躊躇する。

 階段はそれなりに深さがあるようで、入口から見下ろすとまるで底なし沼のようだ。四方を囲む無骨なコンクリートは罅割ればかりで、有名な肝試しスポットと言われても疑わない。

「安心してください。古くはありますが、崩落の危険性はありません。」

「大分真っ暗だが……」

「電気は通っていますよ。」

 何でもないようにズンズンと前に進んでゆくので、恐る恐る足を運んで階段を少しずつ下りる。

 階段の一番まで来ると、もう自分の指先も見えないほど真っ暗だった。そこですっとシリカが手を挙げる気配があって、忽ち天井の蛍光灯が通路の手前から順番に連鎖して、パッと光を放っていく。

 まるでRPGのラスボス前の通路のような演出だった。

「これ、一度やってみたかったんですよね。」

 フンと自慢げに鼻を鳴らすシリカ。

「……権限の私用は程々にしてくれよ。」

 光にほっと人心地ついている間に、彼女はまたせかせかと先へと進んでゆく。

 少し速足になって追い付くと、コツコツと乱れた足音が通路一杯に響いた。

 いつの間にか潮騒は消えていた。

「街の地下にこんな場所があるなんて知らなかった。」

「元は地下鉄のために造られた連絡通路らしいです。当時は中枢と郊外を繋ぐ駅としてそれなりに栄えていたそうですが、随分前に廃線になりました。それからはただの地下道として扱われていたものの、ここ数年は誰も使っていないようです。」

「それも電子化の影響か。」

「そうでしょうね。」

 とりとめのない雑談を交わしながらずんずん前へ進んでゆくシリカと、ただひたすらにその後を追うだけの保科。

 先程は冗談でラスボス前みたいとか思ったが、実際この通路は本物のダンジョンだった。

 定期的に道を案内する看板が天井から下げられていたが、正直なところ全く効果をなしていない。シリカが居なかったら数分もしないうちに迷っていただろう。悲しき方向音痴の性だ。

「何故先人はこんな複雑な道を作ったんだ……、計画性とか無かったんだろうか。」

「いつの時代も今を生きるので必死なのが人間だそうですから。」

 と後頭部を見せたまま答えるシリカ。

「随分気取ったセリフだな。それ、何かの引用か?」

「はい。博士の言葉です。」

 ――うん。ちょっと記憶にない。

「……よく覚えてるな。私より私のことを知ってるんじゃないか。」

「まさか。そうありたいとは思っていますが、未だ叶ってはいません。」

「仕事熱心だな。程々でいいのに。」

「安心してください。博士の名言は百年先まで伝えて見せましょう。」

「割とガチで恥ずかしいから止めてくれ。」

 それを最後に、一旦会話は途切れることになった。

 歩き通しでいい加減疲れてきたというのも大きいが、周囲の空気の重苦しさに今更ながら気圧されてきたのが原因だった。

 ここに来て人の営みは完全に途絶えたかのように思えた。

 深海魚の腑の底を思わせる均質な空間は、電灯のあかりに照らされつつも灰を被ったような暗さを纏わせている。心なしか気温も低下してきたようで、真夏だというのに肌が薄ら寒かった。その上靴音がいやに反響して、段々思考が狂ってくるような気さえするのだ。

 シリカは一体どんな気持でこの道を歩いているのだろうと気になって、ちらりと顔を覗き込んでみる。斜め後ろからの位置関係ではよく見えなかったが、そこにあったのはいつも通りの感情の無い鉄仮面だけだった。

 ちなみにシリカの不愛想は決して感情の設定忘れとかではない。

 彼女の自我機構は全て一人の人間の脳を模倣して造られたものだ。

 文字通り電子の脳である彼女は、その実普通の人間と同じ人格を有している。但し元の人間の記憶領域にはアクセスが制限されているために、知識と実際の反応に乖離が発生しているだけだ。少し特殊な記憶喪失と思ってくれてもいい。

 特異な情報処理能力を除けば、彼女はどこにでもいる普通の少女なのだ。

 それはこの数年間の係わりでハッキリとした認識になった。

 しかし、今初めて保科は彼女が分からなかった。

 その端麗な顔面の、透き通るような硝子の瞳の奥には、果て知らぬ深淵が拡がっていた。やはり彼女という存在が自分と同じではありえない事実を突きつけられて、一瞬胸の奥が寒くなる。まるで親しい野良猫が冷酷にネズミ解体するのを見てしまったような、どこか哀しみを帯びた怖れ。

 ――と、視線に気づいたシリカが、小首を傾げて見上げてくる。

「どうかされましたか。足が疲れたとか……」

 すでにシリカの瞳からは先ほどの深淵は消えて、美しいだけの硝子玉に戻っていた。

「何でもない。大丈夫だ。」

「それなら宜しいのですが、無理はなさらないで下さい。もう少しの辛抱です。」 

 何でもないようにかぶりを振って――しかし、胸の内では予感が確信に変わった。

 シリカは、きっと何かを企んでいる。

 それも彼女にこんな真剣な表情をさせるほどの何かを。

 

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