第32話 最後の一撃

 彼女の動きは想像以上で、僕にははっきり見えないほどだった。

 しかもあんな大きな剣を持ちながら走ってるわけだから、マッチョなギルマスよりずっと体力がある。


 リナリアが向かう先には悪魔騎士がいる。奴の体には明確な変化が訪れていた。突然生えてきた右腕と同じように、その近くから半透明の奇妙な腕が生えてきた。


「グァオオオオオオオ!」


 たった一度聞いただけで難聴になりそうな叫びと共に、鎧の胸部分がバリバリと裂ける。

 う、うわああ。なんか兜以外全部白いの化け物みたいになってきたぞ。


 しかも、その半透明の体にはありとあらゆるシャボン玉みたいな何かがひしめいている。もしかして生前の記憶なのだろうか。沢山の人々の姿や、ただ必死に走っているところや、日記を書いているような場面が映っている。


「あ、アレクさん! 危な——」


 最前線で悪魔騎士を抑えていたアレクさんが、イカれたように振り回す拳にぶつかり、森に吹っ飛んでいった。けっこうまともに喰らったように見えたので、もしかしたらという嫌な予感が頭をかすめた。


「オオオオオ!」


 しかし、半狂乱になった元王子は、どうやらリナリアに狙いを絞っているらしい。正面から彼女を捕まえようと腕を伸ばし、他の腕で殴りかかったり、あるいは蹴り飛ばそうとする。出来うる限りを使って、鬱陶しく自らの周囲で戦い続ける少女を殺すことに全力を注ぐ。


 正直、この動きの速さには呆然とする。上半身の動きだけをみれば、リナリアにも速度で負けていない。きっと彼女以外に接近できる者はいない。彼女もまた必死だ。光魔法で速度や身体能力を上げているとはいえ、あの怪物相手ではどうにもならない。


 圧倒的すぎるほどのリーチの差。腕力の違い、広すぎる懐。徐々にではあるが、銀髪の大剣使いは捕まりつつあった。だがそれでもかわしている。こんなに粘り強い剣士はなかなかいないと思うが、そろそろ本格的にやばい。でも僕だって、ただ黙って見ていたわけではない。


 奴が僕の魔法に気づかずにいたのは、これで二回目だろう。掌を向け、奴の脳天目掛けて狙いを定める。


「アース・ストーン」


 背後に隠していた巨大岩が、僕を飛び越えて奴目掛けて襲いかかる。ようやく察知した怪物が、四本の腕を前に出して防御の姿勢を取った。


 ここで僕は詠唱を手短に終えると、今までにないくらいに魔力を集中させる。正直、どうなってしまうか定かではないけど、やるしか道はない。大岩を囮にして、次の一手を打つ。


「アース・ホール」


 大岩は強い衝撃とともに、四本の腕にがっちりと防御されてしまう。しかし、本来の目的である落とし穴に嵌めるという作戦は成功した。


 巨体が狼狽したようによろめき吸い込まれる。


 地鳴りとともに、奴の巨大な右足が膝のところまで地面にめり込んでいた。こんなに大きな穴を作ったのは初めてだったし、やっぱり全部を埋めるほどのものは作れなかったようだ。


 これが今の僕の限界みたいだけど、まあ気にしない。限界があるなら越えればいいだけだ。そんな変に熱くなっている自分に戸惑いつつ、思い描いていた最後の一手を放つ。


「アース・リターン」

「オ……オオオオ! ウウウウオオオオ!」


 悪魔騎士がどんなに気張ってみせようと、そう簡単には出られない。落とし穴を作り、ハマったところで元の状態に戻す。奴は突然膝まで埋められてしまったようなものだ。


 間髪入れずに動いたのはリナリアだった。天に向けて上げられた左掌から、細く眩い雷のようなものが登っていく。やがて空に届いた時、一瞬世界そのものが真っ白になったような錯覚がした。


 続いて空から黄金の魔法陣が現れ、中心から巨大な雷が、美しい銀髪めがけて落ちる。


 まばゆい雷光を、リナリアは掲げた聖剣で受け止めた。僕は切羽詰まった状況だったのに、なぜか高揚感を覚えていた。全身に強い光と雷を纏った彼女は片膝をつき、大剣を水平になるように構える。


「ふぅう……はぁああっ!」


 瞬きすら許されない一瞬、もはや直視できない発光とともに銀髪の剣士は飛んだ。右下から左上に向けて空中で振られた剣。黄金色に輝く光の刃が悪魔騎士の兜を切り裂き、その空洞の奥に隠れていたオーブまでをも粉々に——輝く小石へと変えていった。


 怪物は守るべき最も大事な部位を失い、先程までの暴れっぷりが嘘みたいに大人しくなる。全ての腕がダラリと下がり、意識がないことは誰の目にも明らかだった。


 僕とフィーリの騎士達は、怪物となってしまった王子がひざまずき、声も上げずに崩壊していく様をただ眺めていた。


 壮大な光景だったし、リナリアの一撃には感動した。振り上げられた剣には、僕が見たこともないような輝きと可能性が詰まっている気がする。彼女とダンジョンに潜ったら、とか一瞬考えてしまったが、今はそれどころじゃなかった。


「そうだ! アレクさーん」


 気を取られてる場合じゃない。派手にぶっ飛んだ騎士団長を探して森に走ったが、彼は斜めにひしゃげた木に自らの体を預けて呆然としていた。


「アレクさん! 無事ですか」

「平気です。それより……見えませんか?」

「え?」

「王子が……王子が泣いています」


 僕は彼の言葉にハッとして振り返った。半透明の体が煙にまみれて少しずつ消えていく。しかし、その姿の中に王子と思わしき何かを感じることはなかった。


 ひょっとしたらその涙は、アレクさんにしか見えなかったのかもしれない。

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