第28話 悪魔騎士の襲撃

 この島の空はずっと雲に覆われ、太陽は永遠に顔を出さない。

 時間からも隔離されているような奇妙な世界で、リナリアはたった一人歩き続けていた。


 魔転移の扉に吸い込まれ、濁流に流されているような感覚を味わった後、気がつけばこの島に一人倒れていたのだ。聖剣はどうやら元の世界に戻ってしまったらしい。


 声を出してみても、誰も反応がない。もしかしたらみんな、まったく違う場所へと飛ばされてしまったのだろうか。不安ばかりが頭を過ぎる中、彼女はようやく人の姿を見つけた。


「あ……い、いたっ!」


 遠目に小さく見えるのは、騎士団長アレクの部下達だろう。リナリアは心細さから解放され、急いで彼らの元へと駆け寄ろうとした。


 しかし、走り出そうとした矢先に大きな縦揺れが起こる。彼女は転びそうになるが踏みとどまる。振動は何度も続き、徐々に大きさを増していくようだった。


 もしかしたら。嫌な予感が少女の脳裏を過った。その予感は残念ながら当たっている。


 リナリアが振り返った先には、明らかにフィーリの城を攻め落とそうとしていた悪魔騎士が見えたからだ。まるで幽霊であるかのようにぼんやりとその姿を現した。理解できない状況に疑問を持ちつつも、彼女はすぐに森の中へと隠れる。


 今は騎士達とも離れており、なによりキーファがいない。そのことが彼女をより慎重にさせていた。


 ほんの数日の付き合いでしかない魔法使いを、リナリアは信頼し始めていた。未知の可能性を秘めた魔法はもしかしたら、自分が知るどんな魔法よりも素晴らしいかもしれない。でも、彼は強力な魔法を扱う者特有のプライドの高さがなく、どこか爽やかだった。


 まずはあの騎士達の元へと向かい、それからキーファと合流する。形勢を整えて戦いを挑もうという計画はすぐに瓦解した。騎士達が迫る巨体を見つけて騒ぎ、悪魔騎士もまた彼らを見つけてしまう。


 巨大な騎士は周囲が震えてしまうほどの重々しい咆哮を上げた。背負っていた斧を手に取り、堂々たる足取りで騎士達の元へと歩みを進める。普通の人々であれば、小山を思わせる巨体が接近すれば恐れ慄いて逃げ出すものだ。


 しかし五人の騎士達は勇敢だった。全員が武器を取り、あろうことか正面から怪物と戦いを挑むつもりでいる。リナリアはすぐに彼らが殺されると思い、全身に寒気が走った。


「わ、私が……なんとかしなくちゃ……」


 かすかに震える白い手で、彼女はもう一度聖剣召喚をする。明るく透き通るような銀髪が風に靡き、彼女を中心に黄金色の輝きが発せられていった。頭上に現れた箱がくるくると回り、女神像を思わせる絵が輝く。


 箱が開かれ、いっそう眩い光とともに剣と盾、それから甲冑と額当てが一瞬にして彼女を包んだ。悪魔騎士が足をとめ、すぐ近くに異変が起こっていることに気がつく。


 もう隠れていても無意味であることは、リナリアにも分かっていた。しかし、どうしても自分から森を抜け出ることができない。当然のことだが、こんなに巨大な相手と戦う経験など彼女にはなかった。


 大人と子供の体格差どころではない、馬鹿馬鹿しく感じられるほどの違い。象よりも大きな相手への恐怖が、彼女の小さな体を押しつぶそうとしている。


「オオオオオオオオォ!」


 巨大な悪魔騎士は、その雄叫びすらも重々しい。斧を持つ右手を振り上げ、真っ直ぐに落とす。リナリアはすぐに横に飛びのいてそれをかわしたが、大地が深々と抉られる様子をまざまざと見た。


「……怖い……」


 なんて恐ろしい魔物なのか。しかし躊躇している暇はなかった。悪魔騎士はすでにリナリアを見つけ、今度こそ殺すべく森へと足を進める。


 悪魔すら怯えるような咆哮とともに、斧が縦に横に、あらゆる角度から森を切りつけ始めた。


「く!」


 しかしリナリアには当たっていない。ぎりぎりのところで攻撃の軌道が読めている彼女は、持ち前の身軽さと素早さでどうにか回避を繰り返す。だがこのままでは時間の問題だった。木々が嵐にあっているように揺れ、無惨に削り取られていく。


 しかし、ここで騎士達が動いた。


「この悪辣な魔物めが!」

「我らフィーリ騎士団、貴様などに負けぬ」

「今度こそ仕留めてくれるわ」


 彼らは口々に叫び、怪物へ携帯していた弓を構え、次々に矢を放っていった。そんなことをしても無駄なのに、どうして戦えるのか。リナリアには彼らの気持ちが理解できない。


 鬱陶しいと言わんばかりに、悪魔騎士は迫りながら踏みつけようとするが、小回りと先読みをしつつ騎士達は回避する。いよいよ苛立って斧での攻撃に移った時、騎士達もまた剣を使っての接近戦を挑もうとした。しゃがみ込んできたところを狙おうというのだ。


 しかし、やはり無謀なことには変わりない。

 彼らは直撃こそ免れたが、巨木のような腕がかすっただけで吹き飛んだ。危うく捕まりそうになったり、斧で両断されかけた。悪魔騎士は体の表面にかすり傷ができるだけだが、騎士達は割りに合わない深手を負い続ける。


 それでも彼らは戦いをやめようとはしない。国を守るために、なんとしてもこの場で仕留めてやるという気概を、リナリアは肌で感じていた。


 愚かだと批判する者もいるだろう。理解できずに目を背ける者もいるだろう。しかし彼女の青い瞳にはそれが尊く映った。


 自分にもあんなことができるのだろうか。ここに来てもなお、本気で戦うことができずにいる自分にも。だが迷っている暇はない。騎士達はかろうじて生きているが、とうとう戦う力を失いつつある。みな地面に倒れ伏して、荒い息を漏らしていた。


「私が、私がやらなきゃ」


 リナリアは震える声で自分を鼓舞する。彼女にできることはあった。しかしそれは、最後まで戦い続けるしかない状況に、自らを追いやってしまうことを意味している。


 殺意に満ちた悪魔に殺される未来が、誰の目からも想像できうる行為だった。

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