第二章 剣聖令嬢と湖の騎士

第10話 リナリア

 潮風が優しく頬を撫でている。とうとうこの大陸から出ていくという感慨深い思いで僕の頭はいっぱいだった。


 後はただ出港を待つのみだ。まさかこんな行動に出るなんて、少し前の自分だったら想像もつかなかったと思う。


 ただ、一つだけ気になっていることがある。別にスルーしてもいいような気がするけれど、さっきの騒ぎのこともあり好奇心が沸いていた。フードの人が船上で隠れつつこっちの様子を伺っている。さっきついてきたのは彼女だったみたいだけど。


「あのー! 君はこの大陸から出て、何処に行くつもりなの?」

「……!」

「あ! いや別に、隠れなくてもいいのに」


 客室へと続く扉のすぐ近くにいたフードの人は、いきなり呼ばれて驚いていた。慌てたようにシュッと素早く物陰に隠れたけれど、少ししてから決意が固まったらしく、自信なさげな足取りでこちらまでやってくる。


「すみません。あの、先ほどは……助けていただきありがとうございました」


 小さくてか細い、何か透明感のある声だった。声の感じからすると僕よりも年下かな。


「でも、助けは要らなかったかもね! ああいうのは放っておけなくて。それより、途中から追いかけてきたみたいだったけど……」

「実は私もこの大陸から離れようと思っていたのです。それで……その。一人では心細かったので」


 船はゆっくりと波止場を離れ始めていた。彼女は船が動き出したのを確認すると、ようやくフードを外した。僕は思わずその素顔に見惚れた。


 透き通るようなショートカットの銀髪が波風に揺れ、瞳は空とも海とも違う、キラキラとした青色をしていた。しかし、前髪が長く眼鏡をかけているため、フードがなくても少し顔が隠れている。


 肌の色は真冬に降り積もる雪を思い出させる。綺麗というよりは可愛い風貌で、こんな少女があんな大男を投げ飛ばした事実が、まるで夢だったんじゃないかと思えてきた。


 しかし、そんな驚きと同時に、まったく異なる衝撃が僕の耳に届く。


「い、いたぞ! 船に乗っている!」

「船を止めろ! 止めんかぁー」

「り、リナリアさまぁー!」

「お戻りください! リナリアさまー!!」


 慌てて彼女が振り返ると、船着場ギリギリまで駆けてきた数人の男達がこちらに向けて叫び声をあげていた。さっきまでのゴロツキとは違う、逞しくもどこか品を感じる燕尾服の男達。


 そんな彼らが声を荒げなくてはいけないほど、切羽詰まったことが起きているみたい。


 いやはや、勢い余って何人か海に落ちちゃって、それを引き上げようと右往左往してる姿を見る限り、只事ではない空気感がありありである。


 でも、正直大変そうだなぁってくらいの感想しか持っていなかったんだ。


 ここまでは僕にとっては他人事にしか過ぎない話だったし。あくまでここまでは。


「リナリアさまって、君のことだよね? あの人達は……」

「……はい。彼らは私の、知り合いです」


 う、ううーん。知り合いっていうか、なんか部下みたいな感じっぽかったような。暗い顔になって俯いちゃったけど、変に突っ込まないほうがいいんだろうか。


「あの。ところで、あなたさまは」

「ああ、そうだった。僕はキーファ。魔法使いで、今は旅行中ってところかな」

「魔法使いさまだったのですね。あの魔法、とても興味深いです」

「変な魔法だったろ。地属性魔法だよ」

「変だなんて、とんでもありませんっ。ところでキーファさまは、どちらに向かわれているのですか」


 この人はかなり育ちが良いみたい。キーファさま、なんて生まれて初めての呼ばれ方をされたから、ちょっとばかり落ち着かない気持ちになり苦笑した。


「さま付けで呼ぶのはやめてよ。なんかそういうの、落ち着かないからさ」

「あ、はい! 承知しました。でも、私のことは気になさらず、リナリアと呼んでください」


 腰が低いというか、かなり厳しい環境にいたのかな。


「実はこの船で、常夏の島って言われてるポルカ島に行こうと思ってるんだ。なんか楽しそうだし。君は?」

「私は、特に行くあてはないんです。どうしてもこの大陸から出たかっただけです」

「そっか。よく知らないけれど、苦労しているみたいだね」


 直接的には話してくれなかったが、さっきの男達に追いかけられていたし、彼女には秘密があるようだ。


 その後なんだけど、僕は特に会話のネタが浮かばず、リナリアと呼ばれた人もまた喋らずで、ほとんど景色を見ているだけって感じになった。僕らは一体何をしてるんだろ、と疑問を浮かべてしまうほどだ。


 ただ、この時不思議な感覚があった。普通はずっと喋らないでいると気まずくなるんだけど、なぜか僕は落ち着いている。隣にいる女の子もまた喋らないほうが楽だと思っているのか、一向に空気が悪くならないのだ。


 だからだろうか。僕はいつもより景色の美しさを堪能することができた。いっぺんの曇りもない青空と、お日様に照らされてキラキラ光る青い海。そういえば今までの人生で、こんなに海を眺めたことなんてなかった。僕は人知れず感動していた。


「めちゃくちゃ良い景色だなあ。きっとポルカ島はもっと壮観なんだと思う。到着が今から楽しみだよ。この船が島に上陸する瞬間を思うとワクワクしてくる」

「本当ですね。でも、あの……」


 そんな時である。ちょっともじもじした様子で、隣にいたリナリアはボソリと呟くように、


「この船、ポルカ島までは行かないですよ」


 などという驚くべき一言を放ったのだ。

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