第5話 少年少女の過去

「人には聞こえない声……?」

「ほんと、何言ってんだっていう話ですよね。けれど、私がこうして人気のない辺鄙な土地に居を構えている事が少しの証明になるかなと……。街で両親と一緒に過ごしていた頃はずっと白い目で見られていましたから、もう何年も唯一の友達であるカーネとここでひっそりと暮らしてます」


 音葉は哀切混じりに苦笑しながら、傍に居たカーネなる愛犬の頭を撫でてやる。カーネは主人の手を気持ちよさそうに受け入れていた。


――ずっと、愛犬と一緒にここで暮らしてたのか。


 それに得も言われない悲壮感を抱きながら、俺は続けざまに問うた。


「それで、一緒に暮らしていたご両親は?」

「街の人たちと同じです。まだ三歳だった私を虐め、蔑んで追い出そうとしました。けれど、唯一私を庇ってくれた方がいて……。その方が別荘であるこの家に私を置いてくれて暫く一緒に生活してくれたんです」

「今ここには居ないということは、その方はもう……」

「はい、二年前に亡くなりました。元々高齢の方だったので、ご本人はまだ小さい私を置いて逝くことを気がかりに思っておられましたが」


 そうして音葉は部屋の隅に置いていたチェストへと視線を移す。

 俺もその視線を追うと、そこには温厚そうな七、八十代くらいの男性と今より幼さの目立つ音葉が屈託のない笑みを浮かべている写真が飾ってあった。

 男性と音葉は、実に生き生きとした顔色で仲睦まじげに肩を並べている。


 音葉が写真から目を遠ざけ、再度俺に向き直っては神妙な顔色に変えた。


「ここに移り住んでから一つだけ分かった事があります。どうやら私の声は、特殊な周波数のようで、ヒト以外の動物たちには聞こえるようです。私がカーネを呼ぶと、この子はすぐ駆け付けてくれますし」


 音葉が「カーネ」と呼ぶだけで、傍でお座りしていた薄茶の犬は喜々として「ワン!」と一声鳴いた。


 その様子を見届けて、俺は主人にすり寄るカーネを見つめる。


「その子はあの男性が元々飼っていた犬なのか?」


 音葉は首を横に振った。


「いえ、カーネは優司ゆうじさんの愛犬たちの子供です。二代目、と言えばしっくりくるでしょうか。私が小さい頃はよく親犬である二匹の犬たちと遊んでいたんですけど、優司さんが亡くなる少し前にその子たちも逝ってしまって……」


――それで、優司さんという育ての親も無くなった後、残された子犬であるカーネとこの子だけで過ごしてきたという訳か。


 男性に先立たれ、親戚愛犬が居るとはいえ一人で生きてきた事に変わりはない。そういう点では自分の境遇と似通っている。


 俺は、暫し過去回想に入り浸り沈黙した。


「あの……」


 俺が黙りこくっていたせいか、今度は音葉の方から声を投げかけられ俺は少し目線を上げる。


「ん? なんだ」

「奏斗さんは、どうしてこんな所にいたんですか?」


 いずれ聞かれるだろうとは思っていた。だが、今日あったばかりの赤の他人である少女に、これまでの経緯を話していいものかと思い悩む。


――いや、彼女は全て話してくれた。なのに、俺が一方的に素性を隠すというのは筋違いだろう。


 俺は意を決して大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


「こっちにも、並々ならぬ事情があって」


 そして俺は、時折自嘲の笑みを含ませながら事の次第を全て暴露した。だが音葉は、笑う事も悲しむことなく、真剣な面持ちのまま静かに頷いて聞いてくれた。


 他者と生きる事を拒絶された者と、自ら他者と関わる事を拒絶し逃げた者。


 相反する道を突き進んだ自分たちだったけど、辿り着いた未来結果は『孤独一人』という光の入らない暗闇の世界だった。音葉にしては、俺と違って独りじゃないかもしれないが。


 全て話し終え、自身を落ち着かせるように紅茶を口に含むと、音葉はようやく強張った表情を緩ませ一言。


「お母様は歌手だったのですね。羨ましいです」


 そこには、俺の経緯に対する同情や憐みは一切なかった。俺だって、彼女に憐れんでほしくて――、「大変でしたね」「辛かったでしょう」とか、慰めの言葉をかけてもらいたくて話した訳では無い。だから、特段気に障る事ではなかった。

 けれど、無名ながらも音楽を生業としていた母に対して、彼女はそう一言寂し気に呟いた。



 憧憬と諦観――。


 音葉は、二つの感情を綯交ぜにして悲哀の色を帯びていた。

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