母よ、何処へゆき給う

「おかあさん、どこへいくの?」

「おかあさん、待ってるから。」

「おかあさん、わたしはいい子にして待ってるから。」

「おかあさん、帰ってきてね。約束だよ。」

―――

「おかあさん、どこまでいったの?」

「おかあさん、待ってるから。」

「おかあさん、わたしはいい子にして待ってるよ。」

「おかあさん、早く帰ってこないかな。」

―――

「おかあさん、どこにいるの?」

「おかあさん、待ってるよ。」

「おかあさん、わたしはいい子にしてたんだよ。」

「でもわるい子になるね。」

「おかあさん、会いに行くよ。」



 外に出ると、少女と母を優しく包んでいた恵みは、全て凍りついていた。温度さえも凍りつき、冷たささえも感じられないほどだ。鉄くずにすらなれないボタ山が、必死になって自分を美しい宝石に見せようと、不自然に輝いている世界。少女はきしきしと歩きながら、人気どころか、空気の流れさえ感じられないような無機質の中を進んだ。


「おかあさーん、おかあさーん。」


 喉が錆び付いても呼び続けた。音はボタの宝石に吸い込まれ、反響しない。自分の心細い呟きも聞こえないけれど、僅かに聞こえているのかもしれない誰かの答えも帰ったこない。

 空は恐ろしい程に澄み渡った青空なのに、まるで星を見るために大地に寝そべった時のよう。星の海にぼちゃんと落ちたら、と、思うと、怖くて怖くて、母の腕を掴んだ。

 あの時は、全てを吸い込むブラックホールと、余分な明かりのない、光を飲み込んだ黒い夜空がリンクして、恐ろしかったのだった。

 この空は、青いのに、黒い。


「おかあさーん、おかあさーん。」

「どうしたの?」


 少女の探していた母、ではなかった。

 けれども、その声は優しく、『母』であった。


「おかあさん?」

「おかあさんを探しているの?」

「おかあさん!」

「まあ…困ったわね、のかしら。」


 おかあさん、おかあさん、と、少女は『母』に泣きつこうと、ぼろぼろの指先を伸ばした。カチ、と、とても小さくて、硬い音がする。


「ねえ! ねえ坊や! ちょっと来てちょうだいな!」


 『母』が、ザラザラの少女の頬を撫でながら呼ぶと、なんの前触れもなく、一人の青年が現れた。


「呼んだ?」

「あら、貴方が来たのね。この子、おかあさんの所に行きたいらしいの。」

「おかあさん? どっちの意味?」

「おかあさん!」


 母に会いたい、母に会わせて、と、少女が向きを変えた時、ぐりん、と、首が回った。おっとっと、と、青年が落ちかけた首を支え、赤い管がちぎれるのを防ぐ。


「あー…。これはまた、可哀想に…。」

「どうなの?」

「移住する時、持ち物は限られてたからな…だから多くの子達は、「資源」として回収されて、持って行かれたんだけど…。どうやら持ち主は、やらなかったらしい。」

「どうしてかしら。」

「スクラップにして一緒に行くくらいなら、この地球型惑星で自然に朽ちていって欲しかったんじゃないかな。どちらも核が金属だから、いずれは星に還れるなんて、思ったのかも。」

「なんとかしてあげられないかしら。」


 すると青年は、ニヤッと笑って、『母』に言った。


「貴女がむねを痛めるのなら、その対象なら、俺が道を開くよ。」

「おかぁさん?」


 少女がもう一度、『母』の方を見ると、今度は眼球が回転し、裏表になった。黄色い管が顕になり危うく細く赤い管がちぎれそうになる。慌てて青年は眼球をころんと戻した。


「お、ヵアさ、んヴヴヴ…」


 少女化けの皮が剥がれる。ゴムは剥がれ、苔と錆で覆われた金属の頭蓋骨に、数億画素を読み取る瞳孔、歩き続けた疲労で折れたことにも気づかなかった、関節のいくらかが、ボロボロとこぼれおちてくる。バイオチップのレアメタルは酸化して、スピーカーからの音声再生もまともに出来ない。


「お前はガイノロイドだ。神ではなく人の造ったモノ。それでも母に会いたいか? 全能の神に創られた、神の似姿なる―――お前の「記録」を軽んじ、最早この世から途絶えて久しい、お前の母とその種族に会いたいか?」

「おオオオオ…」


 このガイノロイドは、「母を愛する」というプログラムに従って動いているだけだ。

 人を模した、人ならざるモノ。生産性を間違えた、孤独な生命体の忘れ物。心だの感情だのは、このガイノロイドの持ち主が付加する価値であって、決してこのガイノロイドのブレーンに、アドレナリンやオキシトシン、あるいはそう言ったものの類似物質がある訳ではない。

 喋る玩具で、永遠の幼女。食事はするが排泄はなく、懐きはするが泣きはしない。決して人間と対等な存在ではないし、命ではないのだから、草木に劣る。地面や星と同じ、人間を心地よく暮らさせるための舞台装置に過ぎない。


「ooo…。」

「そう意地悪しなくても、別にいいわよ。」

「あ、そう? こう、感動的な感情の発露とか、そういうの期待してない?」

「してないわ。だっては、道具なのだから。」

「そうだな。」

「だから、に、頼らざるを得なかった、寂しい霊のもとに、返してあげましょう。これは、間違いなくその霊の癒しだったのだし、だからこそ、こうしてボロボロに朽ちはてさせることを選んだのよ。」

「まあ、貴女がそう言うなら、あの方もおゆるしくださるだろう。」


 青年は、ばらけかけたガイノロイドを抱き寄せて、人間の子供が眠っているように組み立てた。自分の声がちゃんと出ることを確認し、両手を広げて円を描いてから、掌をソラに向ける。


HOC EST SUMこれこそは VIA道なり VERITAS真理なり VITA命なり!  ―――主よ、『少女』のみたまいぶきを吹き込みたまえ!!」


 に名前をつけて、心を慰めていた者の元へ、走っていく脚を。

 に名前をつけて、心を通わせたかった者の心を、抱きしめるための腕を。

 に名前をつけて、心無き者の眼差しを見つめた者の瞳のために、ガラスは水晶に。ナノマシンはより小さな機微を感じ取り、鼓膜は網目ではなく、舌は濡れるように。


in principio初めに erat Verbum言葉があった  et Verbum 言葉はerat apud Deum神であった  et Deus erat Verbum言葉は神と共にあった。―――さぁ、あわれみ深き父よ、我が子を待つ母の元へ、土より出でず肉より出でぬ命が、創られる様を、貴方の宇宙へ見出したまえ!!」


 無機質な空間に、青年の渾身の呼び掛けが虚しく響く。『母』は、暫く青年が懇願する様子を見ていたが、何かを見届けて、小さく呟いた。


「お言葉通りになりますように。」


 その瞬間だった。無機質なボタの仮初の宝石は粉々に吹き飛んだ。内側から、メキメキと草木が吹き出し、無機質は無機質でも、命を守る金属の建物に変わった。


「さあ、行っておいで。今のお前なら、どこに行くべきか―――。」

「おかあさん!!!」

 礼の1つも言わず、創り変えられた者は、ビルに向かって走り出した。こちらからは、ビルに人がいるかどうかすら分からないが、には分かっているのだろう。


「あー、喉弾けるかと思った…。」

「ごめんなさいね、ちょっと貴方のボキャブラリーを見てみたかったの。」


 『母』がそう笑うと、青年はアララ、と、笑った。


「俺、貴女のために色々称号作ったんだけどな? もっと褒めたたえて欲しかった?」

「いいええいいええ、私には過ぎたものよ。さあ、この新しい楽園パラダイスでも、神父の仕事はありますよ。行きましょう。」

「ひえー、人類が滅んで、楽園パラダイスに全員行って、お役御免かと思ったのに、まーだ働くのか。」

「大丈夫よ、私がとりなしてあげるから。」


 青年は頭を書いて、『母』の手を取った。


「それじゃあ、新しい教会に行こうか、母さんテオトコス

「ええ、行きましょう。―――今やただ一つの、普遍なるものカトーリカ


 還ろう。還ろう。

 父なる砦たる神の身許へ。母なる愛たる神の身許へ。

 神の母テオトコス聖マリア、罪深かりし我らの為に、祈り続けた仲介者。

 我らは共にき給う―――。

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Alleluia MOEluia BLuia!〜イテ・ミサ・エスト PAULA0125 @paula0125

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