2022/9

第1週 女王の尸を食す時

「食事会がしたい。」

 教会報の原稿を手渡した神父様が、中々事務所からお帰りにならないな、と、思っていた時、そう仰われました。

「良い案ですね。丁度次の日曜日は信徒総会ですから、その時にでも。」

「いや、そうじゃなくて。平日に。」

 おかしな事を仰るものだと思いました。平日、信徒たちは仕事に行っているからです。平日のミサに出てくるのは、老人や、少し頭のおかしい人なんかです。

「日曜日、仕事がせっかく休みなのに、ワラワラ身内で盛り上がってるところなんて来たくないだろ? これからは開かれた教会であるべきだ。」

「はぁ、そういうものでしょうか。」

「日本人はそういう所あるだろ。」

 どうも、神父様と私では、認識の齟齬があるようです。

「あの、神父様」

「うん?」

「どなたと食事会をなさりたいのですか?」

「平日働いてない人達。」

「はあ…。それは、教会の老人会のようなものでしょうか?」

「なんで?」

 この神父様は中々の変わり者でいらっしゃいますことは、この神父様の前にいた教会の事務から聞いております。聖歌を皆で歌うために、聖歌隊のプライドを傷つけ、信者達がボイコットした時があり、1人もごミサにやってこなかった時期があったとか。

 その時も神父様は、私が心底嫌なことをおっしゃいました。

「矢追町には、居場所のないキリストが沢山いるじゃないか。彼らを招きたいんだ。初めはクチコミから。俺が「元気の出る話」をする時、元気が欲しい人を招かずにどうするんだ?」

「それは、良いですね。信徒が増えれば、神様もお喜びになることでしょう。」

「結果論だけどな。今は、キリスト孤独な人を招きたい。その方向で進めてくれるか?」

 といいつつも、私はさてはて、困り果てました。

 神父様のお考えになっていらっしゃる「人」とは、きっとお金のない人たちのことです。ホームレスや難民であれば、信者たちは喜んでお金を出すでしょう。天に徳を積むことになりますから、私もそうします。

 ですが、頭のおかしい、会話の成り立たない人を教会に招いて、トラブルに巻き込まれるのはごめんです。

 教会は神聖な場所なのです。きれいな場所なのです。世俗のように争いごとをする場所ではないのです。教会にあっていい、世俗の事柄は経理だけで十分です。

 とにかく、会議にかけてみましょう。信者達が反対すれば、神父様も目を覚ますでしょう。


 目を覚ましませんでした。寧ろ皆賛同されてました。大変です。なんだかこう、嫌な予感がするのです。

「12月はビーフシチューだ。」

「3月はひな祭りだ。」

「5月はチマキできまりだろ。」

 神父様が色々な案を出してきました。とりあえず、材料費500円、料理人は全て信徒、材料は信徒の縁故最優先で、話が決まりました。

「6月はどうしますか?」

 すると神父様はお答えになりました。

「鮎の塩焼きがいい!」


 ―――これは、本当にあったかもしれない物語。

 とある変わり者の神父様が始めた、食事マラナタの始まりの物語。

 10年後、「彼女」はやってくる。鮎の塩焼きを口実にやってくる。

 17年分の怒りを携えた、16歳のその少女は。

 神父に愛され神父を愛し、知識に愛され知識を愛し、やがては神に導かれ、洗礼を受ける。

 それは本当にあった、嘘のように下品な「本物」の御霊みたまの証言。

 浴槽の中でぽこぽこと浮かび上がり、フワッと臭い出すおならのように、彼女が聖霊に満たされ、洗礼を受けるまで、あと―――。

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