第2週 富士は日本一の山

「え、アレクスが引っ越してくる?」

 ここは、信仰の自由と暴力の渦巻く国、日本の中の、更なる蟲毒の町『矢追町』。様々な宗教家達が犇めき合い、絶妙なバランスを保っている複雑な町だ。

 その町に、この度、五つ子の弟の一人が、引っ越してくるという。五つ子の長男の家に、父親がそう伝えに来た。

「そうだよ、聞いてなかった?」

「うん、何も。引っ越しの準備で忙しいんじゃないかな。…そっかあ、アレクスがなあ…。……大丈夫かな? 日本人て、中東人見ると皆テロリストだと思う節あるぞ。」

「…それ、本当に毎日テロリストと暮らしてるイェールに聞かれたらしばかれるから、言うんじゃないよ。」

「この前もほら、コニーの教会いえとマーシーの教会いえが、『ロシア建築』だからって、因縁つけられてたじゃん。」

「そう、脅かすものじゃないよ。この国にいるときくらい、実家の煩わしいアレコレは忘れさせてあげようじゃないか。さしあたっては、歓迎のレクをやろうと思うんだけど。どう?」

 楽しそうに言う父に、反対する理由はないので、長男―――ローマンは、意気揚々とその案に乗った。


 そして一週間後、本当にアレクスが、数人の信者なかまと挨拶に来た。あまりにも規模として小さいが、立派な教会だ。申し分ない。その時に、父が彼をレクに誘っていることを伝えると、アレクスは喜んで了承した。

 アレクスにとってドタバタした一ヶ月が終わった頃、約束通り、レクに行く事になった。参加者は、ローマン、コニー、ゲストのアレクスと、ホストの父だ。ローマンもコニーも、重装備で来たが、何故かアレクスは、祭服をフル装備で来た。

「お前、そんなんで山、登れる?」

「フジは、信仰の山と聞きましたので、第十三の使徒アレキサンドリア・カトリックとして恥ずかしくないよう、正装で参りました。」

「うーん、間違ってないんだけど……。まあ、人間みたいにへばることもないだろうし、いっか」

 そういいつつ、ローマンは既に、富士山までの移動で疲れているようだった。

「まあ、アレクスにとっては日本人との交流の場にもなるだろうからな。樹海から楽しんで行くことにしよう」

 うげ、と、ローマンの顔が強張るが、コニーは気付かないふりをして、兄を煽った。

「兄上様、まさか五合目からなんて言わないよね? 樹海や一合目から四合目までに、神社は沢山あるんだから、ちゃんとアレクスを紹介しないと。」

「それは、まあ、そうだな。アレクス、今から猿と申の見分け方を覚えておけよ。」

「日本には、二種類のサルがいるのですか? ローマン兄上。」

「いや、なんというか……。うん、富士山のサルは、エグい。」

 あまり思い出したくない記憶でもあるのだろうか。コニーは楽しそうに兄を突いていたが、父が急かすので、山登りを始めた。

 聖書で山と言えば、モーセが十戒を授かったシナイ山や、エルサレムから下る山を思い浮かべる。聖書が語っていた地域と時代では当たり前だったが故に、聖書の中では省略されているが、どちらも険しい山だ。

 しかし、決定的に違うことがある。それは、富士山とシナイ山は、治安が全く違うということだ。富士山の申達は、アレクスが正装で赴いたことを大層気に入ったらしく、登山客達に『外国人』として紹介してくれているらしく、道々『ハロー』と声をかけられた。

「父上、日本語は『こんにちは』ではありませんでしたか?」

「ああ、その辺は気にするな。日本人って、フランス人にも英語で話しかけるから。」

 ローマンは何か思い出したらしく、顔をしかめた。そういえば、フランスとイギリスに板挟みにされたことは数知れなかったのだった。

「フランス人に英語!? 父上、それで日本人は無事なのですか!?」

「無事無事、日本ってそういうところあるから。」

「平和な国なのですね……。キリストの教えが古来からある国でもないのに。」

 同じ事を、フランシスコと話したっけ、と、ローマンは少し懐かしくなった。『大きなお世話だ』と、怒って良い筈の日本人達は、自分達が話しかけている存在モノが何なのか分からないまま、ハロー、ハロー、と、繰り返していた。

 人間であれば眠らなければならないところも、その時は休まず歩いた。アレクスに、日本の夜空の下を楽しんでもらいたかったというのもある。しかし、実のところ、父は焦っていた。というのは、アレクスがあれこれと興味を持つせいで、大幅に遅れていたからだ。五つ子達よりも遥に神に近い存在である父は、実は富士山の『神』とこっそりサプライズを計画していたので、それに間に合うか、心配だったのである。

「あ、父上! 辺りが明るくなってきました! これが『ゴライコウ』ですか?」

「いや、朝日が直接差し込むのを『御来光』と言うんだ。ただ、今回はアレクスの為にゲストに来てもらったから、少し急ぐぞ。」

「何親父、おじさん達でも呼んだの?」

「ははは、もっと凄いお方だよ。ローマンは特に親しくさせてもらっている方でもある。」

「???」

 そう言って、父は人間達が御来光を待っているエリアを通り過ぎ、三人を富士山の火口に連れてきた。辺りは霧に包まれていて、少し寒い。

「? 父上、御来光を見るのではないのですか?」

「御来光は、やってくるきっかけに過ぎないよ。まあ、こっちを向いててご覧。」

 父がそう言って、三人に背中を向けさせる。

 朝日が差し込んだことが、背中越しに伝わってきた。霧の中に、『何か』が浮かび上がってくる。『何か』は、アレクスにはよく見えなかったが、自分達が使える神にも等しい、聖なる存在だと言うことは分かる。アレクスはその場に跪いて、話しかけられるのを待った。コニーも同じようにした。

 同じようにしないのは、ローマンだった。

「いやいやいや! 何してるんですか! ちゃんと衆生のところにお出でになってくださいよ!」

「兄上様! 不敬! 不敬!」

「一応言っておきますけどね? 俺の弟、絶対に合いませんよ?」

「ははは、ローマン、大丈夫だ。今回呼んだのはオレだから。―――間に合って良かった。道中のご加護、痛み入ります。これが息子の一人、アレキサンドリア・カトリックです。どうぞよしなに。」

 霧の中から『何か』が近づいて来る。ローマンはそれでも跪かず、やれやれ、と、頭を掻いている。『何か』の正体が分からずに震えているアレクスの顔を持ち上げ、『何か』は言った。

「―――善哉よきかな。」

 僅かにその姿が見えそうになり、アレクスが手を伸ばすと、『何か』は、すっと霧の向こうに引っ込んでいってしまった。

 そして、霧が晴れた時、目の前には険しく切立った赤い山肌だけが見えていた。


 ―――ブロッケン現象。

 太陽などの光が背後から差し込み、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象。

 山形大学客員教授曰く、世界で初めてこの現象に名前をつけたのは日本人であり、その名称とは『御来迎』であるとのこと。

 御来迎、即ち、迎え来たるモノとは、古くから阿弥陀如来であると言われている。

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