絶望必至、金剛土御門社

 ハーヴェイを蹴った脚がまだ痛む。

 それでも巨体の後ろを付いて行く足は止まらず、無限に続きそうだと感じるくらい長い螺旋階段を黙々と降りていく。


 どんどんと暗くなっていく地下。

 かの大王の漆黒には負けるが、徐々に目を慣らしていかなければ、どこまで会談が続いているのかも、目の前を歩く巨体の白衣さえも見失いそうで、光の一つもありはしない。

 だと言うのに、ハーヴェイはどんどんと先に進んでいく。

 感覚で憶えているのか。目に何かしらの術を施しているのか。定かではないが、きっとどちらかだろう。


「君と金刀比羅ことひら虎徹こてつは、組んでどれくらいになる?」

「……三、ヶ月くらいですか、ね」

「フム。奴と組んでそれだけ持つのだから、君は立派だよ。協調性が人一倍豊か何だろうね。訓練生時代は誰と組んでも、三日と持たなかったのに、大したもんだよ」


 と語ったところで、どうやら最下層に到着したそうだった。

 人が来ると自動で明かりが点くようになっていたらしく、数歩歩くと一挙に空間全体が照らされて、シルヴェストール――シルヴィは目を眩まされた。


 少しずつ慣らして開いていった目が見たのは、さながら金色に輝く巨大なやしろ

 左右に口を大きく開けた像と歯を強く食いしばった像――つまりは阿吽を表す筋骨隆々とした木像が立ち尽くしていた。

 射貫くような眼光を感じさせる凄まじい眼力に睨まれて、シルヴィは一瞬ながら怯む。

 更に進んでいくと本堂までの石畳が敷いてあり、左右に等間隔で狛犬型の灯篭が並んで、今まで点いてなかったはずの篝火かがりびがそれぞれの口内で燃えていた。


 黒人に対して差別する訳ではないけれど、白衣を着た黒い筋肉の塊は和風の社とは不釣り合いで、とても似合っていなかった。

 何より白衣を着ているものだから、大量の実験機材や実験道具が並んでいる研究施設にでも連れて行かれると思っていたのに、全く違う場所だったから驚かされた。


「想像していた場所と、違ったかね?」

「い、いえ……しかしここは?」

「君達が日頃訓練に使っている施設を仮に表とするのなら、ここは裏訓練施設とでも言うべきかな。ここは、今の金刀比羅虎徹を作った施設。私が作った施設で、虎徹は生まれたんだ」

「どういう、事ですか?」

「それはまぁ……実際に体験してみればわかるだろ?」


 獣の咆哮と人の叫び声とが混ざった阿鼻叫喚がそこら中で聞こえて来たかと思えば、様々な形をした異形の魔性が現れ、全てがシルヴィへとゆっくり迫って来ていた。


化生モンスター型……?! それも全て――」

「そう、Z級。もしくはS級1位の連中だ。

「魔性を、あなたが……?」

「正確には、生け捕りにしたのを適当に繋ぎ合わせて作った合成魔性なんだが……まぁ、細けぇ事は何でもいいわなぁ。とにかく見てけ、堪能してけ。おまえも金刀比羅虎徹の世界を体感して行け」


 オブシディアン――元日本では妖怪と言われるような存在が、次々と襲い来る。

 さながら絵巻に描かれる百鬼夜行。100を優に超える数の魔性が、金色の社より次々と降りて来る。

 全てが等しい殺意と敵意を向けて低く唸りながら詰め寄って来るので、実戦ならば確実に死んでいるだろうくらいに出遅れたシルヴィは、ようやく剣を抜いた。


 魚とイタチが合体したような魔性が噛み付こうとしてきたので、スライディングで空を噛んだ顎の下に潜り込み、斬り上げる形で下顎を切断。

 流れ落ちる紫の鮮血を浴びて、腹部に刃を突き立てながら滑り続けて掻っ捌き、開きにされた魔性は断末魔を上げて倒れ伏した。


 立ち上がった目の前で地中から巨大な壁がせり上がる。

 真四角の腹部だけが超巨大なムササビのような、ネズミのようなヌリカベもどきが現れると、シルヴィを圧し潰さんと短い両手を広げながら倒れて来た。


 若干臆したが、不意の圧し掛かり攻撃に対して刃を突き立てて両断。

 ヌリカベの巨体を真っ二つにして、左右に分かれた巨体の間に立つ。

 すぐさま揮発する返り血を浴びながら、咆哮が聞こえる社より上を見上げた。


 体は血染めの布巾タオル

 上半身は猫の耳が付いたコモドドラゴン似の龍種。

 妖怪ならば一反木綿と呼ばれるそれの亜種になるのだろう存在が群れを成して、口から火炎を放射しつつ迫り来る。


 武装錬金、継之型つぎのかたに切り替えたシルヴィは、高く跳躍。

 一反木綿の1体の上に飛び乗ると、真正面にいた個体の顔面へと疾走し、渾身の跳び蹴りで顔面中央に風穴を開け、体を貫通して抜けた。

 他の個体を足場に跳躍を続けながら、蹴りの応酬。空中を駆けながらの蹴りの連続にて空を行く魔性の顔面を変形させ、全て撃ち落とした。


 着地したシルヴィを狙って、腹が膨れ続ける体中に根が生えた土色の蜘蛛が這って来る。

 巨大な蜘蛛の前足2本はさながら蟷螂の斧で、膨れ続ける腹を抱えながらシルヴィへと迫って来た。地面を割る一撃で、ギリギリの回避を続けるシルヴィを攻め立てる。


 斬撃の応酬を蹴りで受け続けるが、押し返すにまで至らない。

 先と同じくスライディングして下に潜り、刃を突き立てようとするが、攻撃力が足りない。


 蜘蛛の下を抜けてから武装を交換。

 散之型さんのかたに切り替えて、ぶつけた剣を弾けさせる。爆ぜる斬撃を一点に重ねて足の一本を断ち切り、バランスを崩させると、迎え撃つため向けられた蟷螂の斧をもへし折って、真っ二つに両断。

 八つの目が光る頭部に斬撃を叩き込んで、脳漿を爆散させた。


 が、腹の膨張は止まらない。

 一定の大きさを越えると赤く変色し始め、熱を帯びて来たので爆弾だと確信。

 すぐさま距離を取ろうとしたが、仕留めたばかりの蜘蛛の口から吐き出された糸の束に足を拘束されてしまった。

 最後の抵抗に吐き出された糸の塊は散之型を駆使してもなかなか切れず、膨れ続ける腹の音が余計に焦らせる。


 逃げられないとわかって盾を錬成。

 鈍重かつ強固な盾を構えて爆発に備える。


 光が先に影を生み出し、飛び散った腹の破片が周囲に弾けて、最後に置き去りにされた音が鼓膜を劈く。

 音に鼓膜を、光に目を潰されそうになりながらも直接肉体を攻撃される破片だけは防いで、何とか耐え切った。

 崩壊する盾を落としながら、肩で息をする。


 同じ形、種類の蜘蛛の魔性がまだ数体いて、これらが全て爆発したらとても受けきれない――などと考えていると、巨大な唐傘お化けのような魔性が降って来た。


 が、唐傘お化けだと思ったのは最初だけ。

 脚だと思ったのは先が手の形をした尻尾で、尻尾の力で立った魔性は傘のように折り畳んでいた翼を広げて一つ目の怪鳥が嘲笑うように鳴く姿を見た時には、その巨体を見上げて戦慄した。


 巨翼の先にある腕で膨らみ続ける蜘蛛を鷲掴み、持ち上げた怪鳥は尻尾を揺らめかせて勢いをつけ、投げ付けて来た。

 膨れ続ける爆弾付蜘蛛の重量は、とても女の腕力で弾き返せるものではない。

 だからといって、避けられるだけの隙もない。

 投げられた蜘蛛は着地した先から、すぐに斧を向けて襲って来るのだから。


 休む暇も、様子を窺う隙も無い。

 自分の現時点での残在祓力ふりょくを確認する瞬間が本当に一瞬だけあったので確認したが、そのときには絶望した。


 何せ全開時の2割しか、もう残っていなかったからだ。

 Z級を十数体相手にすれば、それなりの消耗は必至。だからと言って、もう2割しか残っていないなんて事は、今までなかった。

 あり得ない。

 力の加減なんて、言われずともやっていた。Z級なら、何とか50体は相手出来るくらいの力があるはずだと自己評価を課していたのだが――


「力が余り、残ってねぇだろ」


 見ると、ハーヴェイにまで魔性が襲い掛かって来ているではないか。

 だが彼は片腕で頭を鷲掴み、適当に押し付けている。魔性の腰まで割れた石畳の下に埋まっており、這い上がる事すら出来ない状況だ。

 肉体強化を施しているにしても、片腕で相手出来る重量ではないはずだが。


「ここの正式名称は金剛土御門社こんごうつちみかどのやしろ。私の祖父が設計し、父に引き継がれ、私の代で完成させた。陰陽師と祓魔師エクソシストの力を削ぎ、魔性の力を底上げする術式が、社全体に施されている。数字にすれば、陰陽師ならば普段の10倍。祓魔師エクソシストならば普段の5倍の力を必要とされるよう設計されている」

「何故、そんな――?!」

「何故? 愚問だねぇ。そりゃあ、


 

 言葉に籠められた意思の強さこそ、どの攻撃よりもシルヴィの体に響いた。


 蜘蛛の振り回す斧を躱し、八つの目が揃う顔面に錬成した剣を次々と突き刺して、股下を抜けたシルヴィへと怪鳥のくちばしが迫る。

 啄木鳥キツツキもビックリの連打で迫られたシルヴィは、盾を錬成して凌ぎ、その盾を足蹴にして跳んだのを追って来た怪鳥の頭に、大剣を振り下ろして両断した。


 倒した。倒した。

 気分だけで言えば、もう100体倒している。

 だが未だ、半分にも届いていない現実。

 体はもう消耗し切って、指1本動かすだけでもしんどいのに。気力も限界ギリギリなのに。敵は未だ、70以上残っている現実に、圧し潰される。呑み込まれる。


「それが、本物の絶望だ」


 声が聞こえた時、世界は制止していた。

 正確には社に蔓延る魔性の動きが、時そのものを止められたが如く、完全に停止していた。


 荒く削れた自身の息遣いが喧騒に聞こえ、わざとらしく大きめにされる拍手が気怠く聞こえる。

 息遣いは消耗のせい。倦怠感は疲弊のせい。

 原因はわかっている。

 わかっているが、そこまでなるような事はしていないはずだった。

 そうして己が現状を顧みて、ようやく術式の存在を確認出来た。


「理解出来たかね?」

「何を……」

「無論、彼の歩んだ足跡そくせきをさ。見ただろう、体験しただろう。まだ1度だけ。それも5分の1にも満たない程度だが、金刀比羅虎徹も、最初はこの程度だった。だが幾度も回数を繰り返し、数をこなし、多くを乗り越え、今ではこの訓練場の最短攻略記録を狙う程にまで成長した。それだけ、絶望もして来た」


 ハーヴェイは自慢げに語るが、そんな優しい話ではない。

 人は絶望する。しかし希望を持って再起を図る。幾度も挑戦し、最後には成功し、報酬を獲得する。それが失敗と成功の循環だ。


 だがこれは、ただの絶望だ。絶望を繰り返し、絶望に慣れるための訓練。

 成功しても希望は無く、報酬はなく、約束された勝利もない。

 強くなる事は出来ても、必ず勝てるという保証はどこにもなく、ただただ理不尽なほどの絶望を叩き付けられる。


 心が壊れて当然だ。

 人としての機能を欠いて当然だ。

 そうしなければ、その人は術師でさえなくなってしまうから。

 そうしなければ、この絶望を乗り越えた先さえ戦えなくなってしまうから。

 そうしなければ、目的を達成出来なくなってしまうから、人としての感情、理性を欠き、戦闘に必要な部位を残して立ち回る。そうして彼は――金刀比羅虎徹は完成した。


「磨き上げた術技は根っこから削ぎ落され、体も満足に動かせない……より速い衰弱を強いられる中、特別階級Sを除く最高階級の魔性が襲い来る……こんな……こんな虐めみたいな事をして、何が楽しいのですか?! 彼がやりたいと言ったのですか!? 止めたいとは言わなかったのですか?! 無理強いしたのではないですか?! こんな事をしたって……大王に勝てる保証は、ないのに……」


 気付けば泣いて訴えていた。

 術師としてはそれは悪手だった。少なくとも、陰陽師相手には悪手だ。


 陰陽師かれらの力は感情を媒介とする。

 故に感情に対して様々な訓練を受け、上級の術師ほど感情に対しての揺さぶりは多くの対処が施されているものだ。


 ハーヴェイは自らを陰陽師とは言っていないが、虎徹を作ったというにはと見るのが妥当だろう。

 そうでなくとも、感情に任せて涙で訴えるなど、子供じみた真似をするべきではなかった。


「大王に勝てる保証はない。確かにそうだ。だがそれは、? この1000年、誰もあの大王には勝てなかった。今も勝てない。誰も勝てる保証なんてない。そうだろ。その保証を得る確率をコンマ数パーセント上げるために、皆が努力してる。これもまた、その1つというだけの、話……君の相方、金刀比羅虎徹が取っている手段を、教えてやったまで。そして君は、もう気付いている。何故私がそれを教え、体験させたのかを。だからこそ、泣いている。そうだろう? シルヴェストール・エルネスティーヌ」

「……殺す」


 ハーヴェイの問いかけに対して、シルヴィはたった一言。それだけ呟いた。

 そして次の瞬間には、再度動き始めていた魔性の群れへと両手に剣を持って肉薄しながら、絶叫を響かせていたのだった。

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